第27話 少女は何を思うのか




 それは、悪夢のような光景だった。


 太陽が傾いた夕暮れの時間。大きな蛇の首を持った血塗れの女が現れた。

 それは神の贄にされた少女、ディゼル。彼女は砂漠の民が神と崇める白蛇の頭を抱え、一歩一歩ゆっくりと歩いてきた。


「きゃあああああ!」

「か、神様が……神様が……」


 各々が悲鳴を上げ、神様の正体を知る者は神の怒りに触れると泣き喚いている。

 騒ぎを聞きつけた族長が慌てた様子でディゼルの前に駆けつけ、その惨状に顔を青褪めさせた。


「こ、これはどういうことだ……何てことをしてくれたんだ!」

「私は化物を退治しただけですよ。あの洞窟にいたのは神様じゃなくてただの蛇でしたので」

「そ、その方は我々の守り神なんだぞ! こんなことをしては、罰が下る……!」

「あら。私、ここに来るまで何もなかったですよ? 神様の罰が下るというなら、もう何かあってもいいのでは? そもそも、本当に神様だと思っていたのですか? 何を根拠に? わざわざ部外者を騙して生贄にしてきたのは何故?」

「っ……! わ、我々は騙してなど……」

「神様の贄になることが名誉ある素晴らしいことなら、貴方がなればいいじゃないですか」

「し、神婚の儀には若くて清らかな娘ではならないのだ!」

「それって、貴方が死にたくないから決めたことなのでは?」


 ディゼルの問いに、族長は言葉を失った。

 どうやら図星だったようだ。花嫁という言葉を使うことで、神様の生贄を若い女性に限定させた。年老いた男は除外されるように。

 何と浅ましいのだろう。自分が死にたくないからと逃げ道を作って他者を犠牲にするなんて。しかもそれを自分たちが勝手に神として崇めた生き物なんかのせいにして。


 神の花嫁と言えば聞こえがいいだろう。街の皆で凄い凄いと持ち上げれば、洗脳されていくかもしれない。

 だが残念なことに、ディゼルは神子でもなく、清らかな娘でもない。悪魔の花嫁だった。


「罰が下るというなら、人を騙して生贄にしてきた貴方達は、どうなるんでしょうね?」

「っ!? な、に……」


 族長は急に息苦しさを感じ、胸を搔きむしった。

 花の効果が出てきたのだろう。視界が歪んで、頭の中で何か喚く声が聞こえてくる。


「もしかしたら……私という存在が貴方達への罰だったのかもしれませんね」

「ど、どういう、こと、だ……」

「だって私……神子なんかじゃなくて、悪魔の花嫁なんです」


 そういうディゼルの背後には、黒い靄が渦巻いていた。

 見ているだけで魂を抜き取られそうだと思えるほど禍々しく、悍ましい黒いそれ。鮮血で真っ赤に染まった白無垢を来たディゼルの微笑みも、まるで死神のようだ。

 族長は膝を付き、泣き崩れた。これが、己の末路なのかと。


「…………みこ、さま」


 ディゼルは聞こえてきたか細い声に、ゆっくりと振り向いた。

 そこにいたのは、怯えた表情を浮かべるミリィ。


「……ごめんね、ミリィ」

「どう、して……」

「私はね、神ではなく悪魔を愛した女なの」


 ディゼルはミリィに近付き、そっと頬を撫でた。

 血に濡れた彼女の手が、少女の顔に血の跡を描く。


「……最初から死ぬつもりもなかったし、神様の生贄に何かなるつもりもなかった」


 騒ぐ声の中に、苦しみもがく声が混ざる。

 誰かが暴れたのか、どこかの家から火が付き、乾いた空気のせいで周囲にドンドンと火の手が回っていく。

 予想以上の惨状。水も少ない砂漠では、消火も難しいだろう。


「……ミリィ、逃げないの? 助けにはいかないの?」

「…………」


 ミリィは動かなかった。燃えていく街をただ眺めているだけだった。

 少女がいま何を思ているのか、ディゼルには分からない。しかし彼女の背後にいる悪魔が愉快そうな笑みを浮かべていることから、きっと絶望を抱いているのだろう。


「あのね、ミリィ……私はね、酷い女なの」


 ディゼルは唇を噛み、呆然と立ちすくむ少女に口付けた。

 流れていくディゼルの血を、ミリィは飲み込む。

 ディゼルには悪魔の血が流れている。その血を飲んだミリィにも、僅かに悪魔の力が混ざることになる。


「……貴女は悪魔の瘴気で苦しむこともないでしょう。最後まで、この惨劇を見届けて。そして、いつか来るであろうあの子に伝えて。私が、何をしてきたか。貴女が私をどう思っているのか」


 ディゼルは光を失ったミリィの体を抱きしめ、耳元で囁いた。

 ここで皆と共に死ねないことは、苦痛だろうか。それとも助かったと安堵するのか。それは分からない。

 いつかまた出会えることがあったら、少女はディゼルを憎んで殺しに来るのだろうか。


「……さようなら、ミリィ」


 もう二度と会わないことを祈って、ディゼルは街を去っていった。

 それを追う者はいない。


 いつしか誰の声も聞こえなくなった街で、少女は空を仰ぐ。



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