第2話 杏奈のおねがい。

「鈴子先輩がですね、会長のときにファンクラブを作るという話を……」

「鈴子お姉ちゃんめ……」


 勇次郎を、『勇きゅん』と呼ばせるための何かを、鈴子りんこが画策していたことは知っていた。まさか、『勇きゅんファンクラブ』なるファンクラブまで作っていたとは想いもしなかった。更に、会員までが存在するとは、更に更に、杏奈が会員番号一番とか、何の冗談かと思ってしまっただろう。


(……やっぱり、そんなことをやってたんだ。鈴子お姉ちゃんのあれ、手伝うのやめようかな、いや、いっそのこと原稿、落ちてしまえばいいんだ――)


 勇次郎は鈴子を内心、かるく呪ってしまった。


「そういえば、勇次郎様と、仲田原鈴子さんは、幼なじみでいらっしゃいましたよね?」

「うん。住んでたマンションの隣にいた僕の親友、ぶんちゃんのお姉ちゃんが、鈴子お姉ちゃんだから。僕が五歳くらいからの付き合いだから、もう十年は超えてるはず」

「左様でございましたか……」


 さもありなんという表情の麻乃だったが、そこでふと、何かを思い出したかのように勇次郎を見る。


「そういえば勇次郎様は確か、『校内女装コンテスト』を三連覇を――」

「あーはいはい。してますよ。あの衣装もメイクも、鈴子お姉ちゃんがやったんだもの……」


 言葉のとおり、勇次郎は、女装コンテストを三連覇していたのだった。二連覇がかかっていたたとき、会場ですでに『勇きゅん』コールが響いた。おそらく、鈴子が何かをやったんだろう、ブラウン管から這い寄る何かのような恐ろしい鈴子の手腕に、あのときの勇次郎は全て諦めることになってしまう。


「あの、付属中一年のときの、二年のときはさらに、つい先日は見事なつくりをしてたと思うのですが、あの衣装、どうやって?」

「あぁ、あれですか。あれはね、ラスコッタってレオタードのブランドがあるじゃないですか?」

「えぇ、知ってますわ」


 バレエからダンス、室内トレーニング時に利用するものまで、幅広い製品を作っているブランドだった。


「鈴子お姉ちゃんが採寸して、デザインして作らせたんです」

「……デザインを件の鈴子様が、でございますか? いえ、それにしたって中学生、高校生には余る金額だと思うのです」

「あぁ、鈴子お姉ちゃんのことは、一般人の枠で考えちゃ駄目ですよ」

「え?」

「はい?」


 勇次郎が呆れるように言うくらいだから、何か深い理由があるということなのだろう。


「ここだけの話ですよ?」

「えぇ」

「はい」

「まず、仲田原文庫って、僕の親友のこと話したじゃないですか?」

「えぇ。勇次郎君と常に一緒にいる、あの背がすらりと高く、『眉目秀麗びもくしゅうれい』ともいえるお方かと」

「当たってます」


(確かに、文ちゃんはかなりのイケメンだよね)


「はい。浮いた噂ひとつないのに、放課後告白イベントの噂だけは絶えないというあの?」

「よく知ってるね」

「メイドですから」

「あははは。あ、続きですよね。その文ちゃんは、SNSでは有名な男性コスプレイヤーなんです」

「そうなんですか?」


 きょとんとする杏奈。だが、麻乃は表情変えずにいつもどおり。


「存じております」

「え?」

「あら、杏奈お嬢様はご存じでなかったのです?」

「知らないわよ」


 麻乃の情報収集能力は、主人でもある杏奈も驚くほど。


「デパートや百貨店にある、若者向けブランドショップの広告で、たまにモデルをされているのを見かけたことがございます」

「うんうん。さすがは麻乃さん」

「そうだったの?」

「えぇ、たまに、でございますけどね」

「そうなんだよね。文ちゃんは社会勉強だって、言ってたけど。それでね、文ちゃんが身につけるコスプレの衣装も、鈴子お姉ちゃんが作ってもらってるんだ。それもフルオーダーでね」

「勇次郎様」

「ん?」

「やはり、かなりの金額になっていませんか?」

「あぁ、大丈夫だと思うよ。だって鈴子お姉ちゃんは、かなり有名な『ある特殊なジャンル』の漫画家、んー、同人作家と言った方が正しいかな?」

「そうなんですね」

「それは存じて、……おりませんでした」


(絶対知ってるな、この間だと)


 誤魔化すようにする麻乃の表情を見て、勇次郎は内心思っただろう。


「あははは。それでね、その売り上げが、とんでもないんだ。確か去年は、おじさんの年収を超えるんじゃないかって言ってたような」

「なるほど、それなら納得ですね」

「まさかあの鈴子先輩が。そこまでの方だっただなんて……」


 麻乃は自分の集めていた情報に照らし合わせて、納得できたのだろうが、杏奈はただただ驚いていた。彼女もよく知る鈴子が、そんなことをしていたとは思っていなかっただろう。


「鈴子お姉ちゃんは、外面だけは完璧だからね。でも、家での言動は結構滑ってるよ。僕も文ちゃんも呆れること多いし」

「おそらくは、勇次郎様と文庫様を楽しませておられるのでしょうね」

「あぁ、そう言われると否定できないかも」

「それこそ、完璧な『お姉ちゃん』ですね。お暇なときに、色々質問しないと……」


 麻乃は手を一つ叩いた。まるで何か、忘れ物をしていたかのように。


「杏奈お嬢様。あの話をお忘れではありませんか?」

「わ、忘れていましたわ」

「あの話、ですか?」

「えぇ。わたし、いくつか、お願いがあるのですが」

「うん、いいよ。おっけ」

「はい?」

「だって、僕が今までずっと見てきた会長さんだもの。無理なことは言わないでしょう?」

「よくご存じで」

「あーさーの」

「はい。どうぞどうぞ」


 彼女たちは本当に付き合いが長いのだろう。まるで、杏奈の本当の姉のように、気遣いつつ戯け、いじるまである。それでいて、しっかり立てるべきところは間違えない。


「あのね、わたしたちのパパとお母様、二人が入籍したことで、戸籍上は勇次郎君も東比嘉になったではありませんか?」

「うん」

「ですが、春からの附属高校ふぞくでは、旧姓の『浜那覇』を名乗ってほしいのです」

「別に構いませんけど、それはまたなんでです?」


 勇次郎は浜那覇の姓を捨てて、東比嘉を名乗るつもりだった。ただ、杏奈は浜那覇を名乗って欲しいというではないか?


「わたしはね、パパの後を継ぐつもりです。そのため、『東比嘉』でありつづけなければならないのです」

「どういうこと?」

「あのね、勇次郎君なら予想できていると思うのだけれど、パパは医学部の教授でもあるのです」

「あ、あぁ。なるほど」

「わたしもいずれ医師になり、パパの後を継いで教授にならなければなりません」

「うん」

「パパも、第一線を退くことになったなら、お爺さまの後を継いで、いずれ理事長になるはずです」

「あぁ、そっか。静馬さんのお父さん。僕のお爺ちゃんにもなった人は、まだ健在なんだね?」


 まだ、静馬のことをお父さんと呼ぶのには慣れていないのだろう。


「とても元気です。ビーチにほど近い、別宅に移り住んで、毎日釣り糸を垂れて過ごしてるとメッセージが来ますもの」


 杏奈はスマホのSNS、ビームの受信画面を開いてみせる。そこには、『お爺さま』というアドレスと、釣った魚を顔の側に持ち上げて笑顔を見せる、真っ黒に日焼けした、初老の男性がそこにいた。


 静馬と違ってスマートで、オールバックの白髪にサングラス。口ひげも決まっていて、勇次郎から見てもかっこいいと思ってしまう。


「かっこいいお爺さんだ。とても活動的な人なんだね」

「えぇ、わたしもよく連れて行ってもらったのですよ」

「杏奈お嬢様、お話がやや脱線なさって」

「そ、そうだったわね。ごめんなさい」

「いえ、大丈夫です。……僕にはさ、お爺ちゃんもお婆ちゃんもいないからさ、近いうちに遭いに行きたいな」

「そのうち、案内いたしますわ」

「うん。でも、なんとなく理解したよ。附属高校に上がっても、僕の相手はする余裕がない。その上、僕に負担をかけたくない。そうでしょう?」

「えぇ。わかってしまうのですね。先日、お爺さまにお会いして、高校三年間、勇次郎君と同じクラスにならないように、お願いをしてきたところです」

「なるほど。そこまで徹底する必要があるんだね。うん、大丈夫だよ」

「ありがとう。次にですね」

「うん。なんでも言ってちょうだい」

「うふふ。わたしね、鈴子先輩が羨ましかったんです」

「鈴子お姉ちゃんが?」

「えぇ。弟さんがいて、お姉ちゃんをしていて。それでいて、生徒会長をしっかりと務められていて、完璧超人ですよあの方は」

「そうかなぁ?」

「わたし、ひとりっ子なので、弟が欲しかったんです。そこで鈴子先輩に出会って、もっと欲しくなってしまって。そんなとき、勇次郎君を知ってしまったんです」

「そうだったんだ」

「えぇ。可愛らしくて、お友達も沢山いて」


(友達って、文ちゃんくらいしかいないよ。あとは、いじられてるだけだし)


 そう内心でぼやく勇次郎。


「男の子なのに、また違った魅力まで持ってるだなんて、もう、その場に行って、お話したくて」

「え?」

「附属中学二年のとき、鈴子先輩が勇次郎君に花束を渡して、頰に、キスまでしてその……」

「あははは。公の場であれはちょっと、ドン引きしたっけ」

「とても羨ましかったんです。だから絶対に、生徒会長になろう、そう改めて心に決めたんです」

「ちょっと待って、生徒会長になろうとしてたのって」

「もちろん、勇次郎君と少しでもお近づきになるためですけど? 何かおかしいことを言ったかしら?」


 そのとき、麻乃がこっそり勇次郎に耳打ちをする。


『杏奈お嬢様は、これが素でございますよ』

『あははは……』


 勇次郎はちょっとだけ驚いた。


「だから、その、勇次郎君のことを、家では『遊くん』と呼ばせていただきたいのです」

「うん。いいよ。僕もさ、お姉ちゃんって呼ばせてもらうけど、いい?」

「――はぅわっ!」


 杏奈にとって未だ、勇次郎の『お姉ちゃん呼び』は、ボディブローのように強烈なものだった。

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