第48話 手紙

 真っ白い雲が流れていく。濃い青の空に、よく映える白く分厚い雲。それを眺めているだけでも、もう夏なのだと分かる。


 庭園を望むテラスで、ジェシーはそれらを眺めるわけでもなく、ただボーと座っていた。


 テーブルの上には、お茶とお菓子が乗せられている。気を遣ったメイドたちが、あちこちから取り寄せたのか、様々なお菓子が用意されていたが、どれにも手が触れた様子はない。


 ジェシーの脳には、二ヶ月前の光景が、今でも鮮明に支配していた。



 セレナのたかぶりは、コルネリオを刺しただけでは収まらなかった。標的を再びジェシーに向けるように、振り返ったのだ。


「サイラス! フロディー!」


 ジェシーを抱えたロニは、即座に二人を呼んだ。いくら刃物を持った相手とはいえ、十八歳の小娘である。戦力外と言ってもいい男でも、二人がかりなら止められると思ったのだ。


 サイラスが頷けば、フロディーが反対する余地はない。その間に、ロニは部屋から出て、ジェシーを安全な場所まで連れて行った。


 だからジェシーは、その後セレナがどうなったのかは知らない。ただ処遇しょぐうがどうなったのかは、後から教えてもらった。見舞いに来たロニによって。


 あの日、震える体をロニに抱えられ、王女宮を出た途端、気を失った。安心したからだろう、とロニは言っていたが、恐怖とショックに精神が耐えられなかったのだと、ジェシーは推測した。


 セレナの苦しみも知らずに、五年もの間、呑気に国外で過ごしていたこと。良かれと思って取っていた行動が、最終的にセレナを苦しめる結果となってしまったことに。


 セレナが怒るのも無理はなかった。彼女を人形のままにしてあげれば、自我を持たせなければ、自分の置かれた境遇きょうぐうに気づかず、穏やかに過ごせていたのかもしれないのだから。


 苦しむ結果となっても、人間ひととして生きたいと願うのならば、セレナは壊れない。しかし、彼女が選んだのは、人間ひとではなかった。


 ジェシーがしたことは、ただのお節介だったのだ。



「そんな私が、ここでのんびりと過ごしていていいのかしら」


 セレナに刺されたコルネリオは、助からなかったと聞いた。ロニたちから受けた傷が癒えていなかったところに、深く刺されたからだと言う。

 さらに、セレナは表面上の傷のみ、治していただけで、きちんと治療していなかったそうだ。


 ナイフを所持していたことから、元々コルネリオを殺そうとしていたのではないか、とロニは言っていた。


 その後セレナは、コルネリオ殺害で裁判を受け、今はゾド公爵領の教会で修道女となり、会うことができない。

 けれど、手紙のやり取りは可能だった。その証拠が、今ジェシーの手に握られている。昨日、届いたセレナからの手紙である。



 ◇◇◇


 親愛なるジェシーお姉様。


 この度は、ご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ありませんでした。


 けれど、後悔はしていません。彼が生きている限り、そして私の名がけがされない限り、ずっと利用され続けるのですから。


 ランベールについては、もうご存知かと思いますが、彼はおこうで眠らせていただけなので、無事です。後遺症もないでしょう。コルネリオは殺害を希望していましたが、私が止めました。


 理由は、ランベールが王位に就くべきだと思ったからです。婚約者だからとか、と言った情ではありません。周りが敷いたレールに沿った方が、辛い思いをする者を少なくできると思ったんです。


 最近よく、回帰前のことを考えます。あのまま婚約破棄を言い渡されたらどうなっていたのか、と。私の名誉が傷つき、今のように修道女にさせられていたのでは、と思えてなりません。


 そうなれば、コルネリオも王位に就きたいなどと夢見ることはなかったんじゃないかと思うんです。


 彼とは、ジェシーお姉様が国外追放された二ヶ月後に出会いました。

 私の婚約破棄に、ランベールの謹慎処分、ジェシーお姉様とロニお兄様の国外追放で、ゴタゴタしている首都から離れた方が良い、とお父様に勧められ、教会が行っている巡礼に参加しました。


 ルメイル侯爵領を訪れた時、コルネリオに声を掛けられたんです。

 彼はただ、自分の母親をあのような境遇にした家の娘を見たかっただけだと言っていましたが、私は復讐するつもりで近づいてきたんだと思いました。


 だって、出会った時のコルネリオは、とても優しかったし、私の話を聞いてくれました。ジェシーお姉様のように、ちゃんと取り合ってくれた。

 私から情報を聞き出すためだったとはいえ、嬉しかったんです。だから、利用されても良いと思いました。


 でも、首都に戻り、事が上手くいかなくなると、やっぱり人は変わるんですね。お父様やお母様もそうだった。私の話など、意見など聞いてはくれなくなりました。


 辛かったです。回帰する前も、回帰した後も、コルネリオは傍にいてくれたけど、一人でした。


 ジェシーお姉様にお会いしたかった。この苦しみを聞いて欲しかった。


 それがようやく叶ったのに傷つくなら、会わない方が良かったと思いました。何故、サイラスお兄様たちのように、突き放してくれなかったのかと。


 だから謝りません。そして、二度とお目にかかることもないでしょう。


 ですからジェシーお姉様も、私を憎んで下さい。殺そうとした私を、二度と許さないくらい。


 そうしていただかないと、私は辛いです。恐らく今も尚、私のことを心配してくれているのでしょうから。私の最後の願いを叶えてくれませんか。



 セレナ・ゾド


 ◇◇◇



「“最後の願い”かぁ」


 ジェシーは、椅子の背もたれに寄りかかりながら呟いた。


 私がセレナを苦しむきっかけを作ってしまったのに、恨むなんてできないわ。


「むしろ、セレナが恨むべきでしょうに」


 文面から、恨んでいないのが分かる。だからこそ、ジェシーは悲しかった。


「泣くと余計、セレナは恨まないよ。悲しむだけ」


 いつの間にか、目から涙が流れていたのか、セレナの手紙を届けに来てくれていたロニが、ハンカチで拭ってくれた。


 ここは首都にあるソマイア公爵邸ではない。ソマイア公爵領にある、邸宅だった。


 回帰前のゾド公爵がセレナにそうしたように、ソマイア公爵が養生ようじょうも兼ねて、領地へ行くようジェシーを促したのだ。


 そこに、手紙を届けに来たという名目で、昨日からロニはこの邸宅にいた。折角来たのに、すぐに帰れとは言わないよね、と念を押されれば、泊めないわけにはいかない。


「ありがとう、ロニ」

「ううん。それよりも、ようやく読んだんだね、手紙」

「開けるまで随分かかったけど、読まないとね。届けてくれたロニにも悪いし、何より、折角セレナが書いてくれたんだから」


 そう、昨日手渡された時も、ジェシーはすぐに触れることができなかった。受け取ろうとする手が震えているのに気づいたロニは、部屋に置いておくよ、と言ってくれた。

 そして、ようやく今日読めるようになったのだ。一晩、気持ちを落ち着かせて。

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