28:さあ、踊ろう

 キリキリと胃が痛みを訴えている。


(ああ、緊張する……)


 午後二時半過ぎ、沙良は講堂の舞台袖で秀司たちと自分の出番を待っていた。


 舞台では奇術同好会がマジックショーを披露しており、軽快なトークと見事なマジックで観客に拍手を送られている。


 このマジックショーが終わればいよいよ沙良たちの出番だ。


 手のひらに『人』という文字を書いて飲み込むフリをしてみても、ちっとも緊張は緩和されず、手は震え、心臓は鳴りやまない。


 講堂の舞台の上で緊張するのは一年前、入学式で新入生代表挨拶をしたとき以来だ。


「そんなに緊張しなくても大丈夫だって」

 見かねたらしく、秀司が苦笑交じりにそう言った。


 彼がステージ衣装として選んだのは和柄の半纏だ。


 右半分は無地の青、左半分には様々な色を使った花柄の模様が華やかに描かれており、黒の帯を締めたその姿は見惚れるほど格好良い。


 沙良は後で写真を撮り、『秀司コレクション』に入れようと心に決めている。


「みんなジャガイモだと思えばいいのよ」

 そう言う瑠夏は沙良の着る赤とは色違いの、黄色の着物を大胆にアレンジしたような衣装を着ていた。

 ミニ丈のフレアスカートからは白く細い足がすらりと伸びている。


「他人の視線なんて気にすることないよ。要は慣れだよ慣れ」

 緑の半纏を着た大和が気楽な調子で右手を振った。


 沙良を取り巻く三人は誰もが圧倒的な美と存在感を放っている。


 華美な衣装を身に纏ったその姿はキラキラと光り輝き、眩しいほどだ。


(ああ、そうだ、この三人は注目されることに慣れてる人たちだった。本来私とは住む世界が違う人種なのを忘れていたわ……)


 美しい白鳥の群れの中に放り込まれた雀はこんな気分なのかもしれない。


「しっかしなー。まさか本当に秀司狙いで来るとは思わなかったわ、西園寺さん。中学のときから凄い子だなとは思ってたけど、あの子の神経は極太の鋼鉄で出来てるのかな?」

 大和が話題を変えたことで、沙良の手の震えは止まった。


 ついさきほど、里帆が関係者以外立ち入り禁止の舞台袖にこっそりやってきて教えてくれたのだ。


 西園寺栞が来てる、客席の最前列に座ってる、と。


 茉奈が聞き出したところ、秀司に暴力を振るった彼氏と別れた西園寺は「秀司に彼女ができた」という情報をどこからか聞きつけ、秀司の彼女を――つまり沙良を見定めに来たらしい。


 沙良が秀司の彼女に相応しくないと判断すれば、その美貌を武器に略奪する気満々なのだろう。


「本当にな。正直、あいつとは二度と会いたくなかったんだけど、現実に押しかけて来たものはしょうがない。俺が対応しないといつまでも粘着されそうだし、大事な彼女に変なことされても困るからな」

 そこで秀司は沙良を見た。

 平時ならドキリとしていたところだが、残念ながらいまは呑気に胸をときめかせている場合ではない。


「直接対決して大丈夫か? 秀司」

 大和が心配そうに言う。


「ああ。『失せろ』の三文字を出来る限りオブラートに包むよ。それでも伝わらないならはっきりそう言うから、心配いらない」

「…………」

「大丈夫だから。そんな顔しなくていい」

 俯いていると、秀司は優しい手つきで沙良の頭を撫でた。


(あ。初めて撫でられた)

 ここでその対応はズルい。


「……本当に大丈夫なの? 私も一緒に行こうか?」

 沙良はじっと秀司の目を見つめた。

 瑠夏もまた無言で秀司を見ている。


「いや、多分沙良が同行したら余計話がこじれる。あいつの対処は俺に任せて。気持ちだけは受け取っとくよ、ありがとう」

「そう……でも――」

「沙良」

 台詞を遮って、瑠夏が沙良の名前を呼んだ。


「あんたがいますべきことは何? 西園寺の出現に怯えて不安がること? 不破くんと一緒に西園寺をどう退治しようか悩むこと? 違うでしょう」

 その声に隣を見ると、瑠夏は腰に手を当て、鋭い眼差しで沙良を見つめた。


「西園寺がはるばる見に来たっていうならむしろ好都合じゃないの。なんのためにあんたはこれまで踊ってきたの。なんのためにあたしが必要以上に厳しくダンスを教えてきたと思ってるのよ」

 瑠夏の目は気圧されてしまいそうなほどに強く、その声は凛と空気を震わせる。


「あんたは全校生徒に、一般客に――いま講堂にいる全員に身をもって証明したかったんでしょう。『他の誰でもない、私こそが不破くんの彼女だ』って」

「……うん」

 熱のこもった言葉に呼応するように、沙良の胸は熱くなった。


「なら、臆することなく胸を張りなさい。西園寺に堂々と見せつけて、教えてやるの。誰が不破くんの彼女に相応しいのかを。お前なんかお呼びじゃないってことを」

 瑠夏は珍しく唇の片端を上げ、言い切った。


「誰が何と言おうと、いま、世界の主役はあんたよ、沙良」


 秀司も大和も微かに笑っている。

 彼らは何も言わず、態度で瑠夏の言葉を肯定していた。


「――うん。ありがとう」

 これから舞台に立つことを考慮し、泣きそうになるのを必死で堪えて頷く。

 親友の想いは確かに受け取った。


(もう西園寺に怯えるのは止めよう。あの子はただ、はるばる私たちのダンスを見に来た観客の一人よ)


 ひと際大きな拍手が観客席から聞こえて、沙良ははっと舞台に目を向けた。


 奇術同好会のメンバーは観客に手を振り、沙良たちとは反対側、舞台の下手へと退場しようとしている。


『――以上をもちまして、奇術同好会によるマジックショーは終了になります』


 舞台袖で司会進行役の生徒会役員の女子がマイクを持ち、アナウンスしている。


『続きまして、二年一組の有志による創作ダンスの発表です。それでは、どうぞ!』


 パチパチパチ、と拍手が聞こえる。


「出番だな」

「楽しんでいこう!」

「ええ」

 皆と頷き合い、瑠夏に続いて歩き出す。

 眩しいほどのスポットライトを浴びながら舞台の中央に行き、瑠夏と並んで座る。


 観客席はほとんど埋まっていて、中にはビデオカメラを構えた歩美や山岸たちクラスメイト、他のクラスの友人知人の姿もあった。


 同じ学生以外にも、老若男女問わず多くの一般客が座っているが、やはり沙良の目を引いたのは最前列に座る美少女だ。


 もしも里帆から事前に彼女がいると教えてもらっていなければ、沙良は動揺を隠せなかっただろう。


 高校生になった西園寺はますます美しく成長し、胸元にリボンがあしらわれた可愛らしいピンクのワンピースに身を包んでいた。


 中学の卒業アルバムの写真ではセミロングだった髪は背中の中ほどまで伸びている。


(あの子が西園寺さん……)


 西園寺は胸の前で両手を組み、まるで祈るような、懇願するような、切なげに潤んだ目で秀司を見ている。


 まるでようやく会えた恋人にでも向けるような熱い眼差しだ。


 気になって秀司を見ると、沙良の横に立っている彼は『本当にこの女はどうしようもないな』とでもいうように微苦笑していた。


 その表情を見て、もう大丈夫だと思った。


(大丈夫。秀司は彼女を見ても取り乱したりしていない。ちゃんと西園寺さんのことを過去の出来事として処理できてるんだわ)


 心の底から安堵していると、秀司がこちらを見て、今度ははっきりと笑った。

 西園寺に向けたそれとは全く違う笑みを見て、沙良も笑い返す。


(――さあ、踊ろう)


 観客席の壁を見つめて、曲の開始を待つ。

 一曲目の『Eternal Flower』 のイントロが流れ始め、沙良と瑠夏は指を動かし、腕を振った。


 その動きに追随するように、それぞれ違う方向を向いて立つ秀司と大和も動き出す。


 数秒ほど腕だけを動かしていた瑠夏と沙良は曲に合わせて立ち上がった。


 大きく腕を回すように袖を振り、四人で一列になるようにフォーメーションを変え、全身を使って本格的に踊り出す。


 跳ねるようにステップを踏み、腕を振り、手首を回す。


 頭を跳ね上げて蝶の髪飾りがついたサイドテールを揺らし、足を動かしながらその場で回転する。


 ――指先まで意識して。背筋を伸ばすときは堂々と。

 ――ここは手首を使って、しなやかに。蝶が舞うように、優雅に。

 ――次は力強く床を踏んで、ぴたりと動きを止めて、四人全員で天井に向かって指をまっすぐに伸ばす――。


 瑠夏の教えは沙良の身体に深く沁みついていた。

 耳元で彼女の声が聞こえるほどだ。


 講堂に流れるこの『Eternal Flower』 も、もう何度聞いたことだろう。

 繰り返し聞いたおかげで、沙良はボーカルの息継ぎの瞬間まですっかり覚えている。


 昼も夜もなくひたすら踊り続けたこの一週間、沙良は夢ですら踊っていることがあった。


 リズムに乗って踊る沙良たちを観客が見ている。

 子どもは目を輝かせ、大人は呆けたような顔で――みんなが沙良たちの踊りを見ている。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る