23:実は狐に弱いんです

 講堂での開会式を終えた二十分後。

 接客用の衣装に着替えた沙良は教室棟の四階廊下で待機させられていた。


 目の前には固く閉じられた二年一組の教室の扉があり、扉の両脇にはさきほど沙良を更衣室まで連行した衣装係の女子と山岸がいる。


 女子と山岸は王城を守る門番のように直立し、背後で手を組んでいた。

 その表情は至って大真面目だ。 


「あの人たち何してるんだろう」

「さあ。一組って学年で一番頭がいいクラスのはずなんだけど、ちょっとアレな人が多いよね」

「馬鹿と天才は紙一重ってやつだね」

 通りすがりの別クラスの生徒が囁き合っているが気にしてなどいられない。

 何しろこの扉の向こうにはコスプレ姿の秀司がいるのだから。


 コンコン、と教室の扉が内側からノックされた。

 中にいるクラスメイトからの準備完了の合図だ。


「委員長。心の準備はできましたか」

 厳かな空気の中――もっとも、隣の二組からは馬鹿笑いが聞こえてきていたりする――山岸が静かに尋ねてきた。


「はい」

 それなりに重い頭の装飾を揺らして頷くと、山岸も真顔で頷き返した。


「では参りましょう。いざ夢の世界へ、オープン・ザ・ドア!」

 山岸と女子が大げさな動作で扉を開け放ち、沙良は期待に胸を膨らませて教室の中へと足を踏み入れた。


「お、来た来た」

「失神するんじゃね? 大丈夫か?」

 教室の中には瑠夏を含めたコスプレ姿の人間が何人かいたが、沙良の目を奪ったのは教室の中央に立っている――恐らく立たされている――秀司ただ一人だった。


 その長身を包むのは上品な白い着物。

 襟には伊達襟風に赤の差し色が入っており、帯の黒が全体を引き締めている。


 彼の頭からは大きな白い狐の耳が生えていて、左耳に添えられた花の形の飾りと鈴がアクセント。

 狐耳がカチューシャだということがバレないように、頭との接触部分はうまく髪で隠されていた。


 本人は非常に恥ずかしいらしく、頬を朱に染めて仏頂面だ。


 だが、珍しい照れ顔だからこそ良い。

 珍しい着物姿と相まって素晴らしい。


(ひゃああああああ!!!)

 堪らず沙良は両手で顔を覆って悶絶した。

 いまばかりは西園寺という不吉の代名詞も宇宙の彼方へ吹っ飛んだ。


「どうよ? うちら超頑張ったんだから!」

 衣装係の女子二人が寄ってきて、ドヤ顔で親指を立てた。


「ああ、あなたたち……」

 沙良は幽鬼のような足取りでふらふらと歩み寄り、二人まとめて腕の中に閉じ込めた。


「素晴らしい仕事をしてくれてありがとう……私、もう思い残すことはないわ……!!」

 感極まって咽び泣く。


「待って待って。生きて委員長」

「やばいこの人泣いてるわ。ガチ泣きだわ。どうしよ」

「あー、委員長? お礼はもういいから、ほれ。泣いてないで、存分に愛しの彼のコスプレ姿を堪能してきなさい」

「ええ……行ってきます」

 背中を押された沙良は手の甲で涙を拭い、秀司の元へ歩き出した。


「もし、そこのお狐様」

 沙良は秀司の前で足を止め、おずおずと声をかけた。

 何言ってんだこいつ、という目で秀司が沙良を見る。


「お尋ねしたいのですが。もしや貴方こそが稲を象徴する農耕神、稲荷大明神ではありませんか?」

「誰がだ」

 秀司は顔をしかめたが、恋に狂った沙良の目は彼が放つ神々しいオーラをはっきりと映し出していた。


 天使の輪が浮かんだ艶やかな髪も、切れ長の瞳も、通った鼻筋も、への字に曲がった唇も、腰に当てられた長い指先も――目に映る全てが完璧に整っていて、ただただ美しい。


 その身に纏う白い着物さえ神聖な衣に見えてしまう。


「いいえ、どんなに隠そうともその輝きはごまかせません。私には貴方様の眩いオーラが見えます。なんと尊いお方……!!」

 胸の前で両手を組み、神に会えた感動に瞳を潤ませる。


「正気に戻れ。」

 べしっ。


「はうっ!?」

 額に手刀を入れられた沙良は額を押さえて目をぱちくりさせた。


「あら? 私はいま何を」

「現世への帰還おめでとう。ったく、誰が神様だ、こそばゆい。沙良だって同じ格好してるくせに」

 言われて沙良は自分の格好を見下ろした。


 沙良も秀司と同じ白い着物を着ているが、細部は違う。

 帯は赤だし、狐の右耳に添えられた飾りも秀司のそれと色違いだ。


「いや確かに同じ格好してるけど、しょせん私はコスプレよ。それに比べて秀司は神様だわ」

 真顔で言う。


「……まだ正気に戻れてないようだな……」

 秀司は頬を引き攣らせ、乱暴な手つきで狐の耳のカチューシャを外した。


「ああああ!! なんで外すの!! 秀司のアイデンティティがなくなっちゃうじゃない!!」

「俺のアイデンティティは狐耳なのか!?」

「何言ってるのよ、立派な三角の耳こそ狐神の象徴でしょうが!!」

 沙良は秀司の手から狐耳のカチューシャをひったくるようにして奪った。


 狐耳についた小さな鈴がリン、と鳴る。

 その音を聞きながら、沙良はカチューシャ片手に詰め寄った。


「尻尾だけだったら何の動物かわからないでしょう!? その狐耳は秀司が狐神であることを示す最重要アイテムなのよ!? 狐耳がなくなったら誰も信仰してくれなくなるわよ!? 信仰を失った神は力も失うんだからね!」

 がしっと秀司の腕を掴む。


「だから俺は狐神じゃないって! 何なんだよその異常なまでの狐耳への執着は!? 目が血走ってて怖いんだけど!? なあ大和、やっぱお前が狐役やって!」


「無理。というか面倒なことになりそうだから嫌」

 狼のコスプレをしている大和は逃亡した。

 着物の帯から下がった茶色い尻尾が動きに合わせて揺れている。


「あっ、逃げた!」

「待ちなさい! 便乗して逃げようとしないの!!」

 沙良は秀司の腕を引っ張り、強引に留まらせた。


「ほら、座って!」

 テーブルセットした近くの机から適当な椅子を掴んで秀司を座らせ、その頭に狐耳を装着する。


 秀司は始めこそ抵抗するそぶりを見せたものの、沙良の手が頭に触れた時点でおとなしくなった。


「格好良い秀司に可愛い狐耳をつけたらもう無敵よ? 現に私を魅了したじゃない。こうなったら老若男女問わず、教室に来たお客さん全員虜にしましょう」

 言いながらカチューシャの位置を整え、彼の髪を弄る。


「魅了は沙良限定の特殊効果だ。客全員がそんな状態異常に陥って堪るか」

 愚痴るように秀司が言うが、装着作業に夢中の沙良の耳には入っていない。


「はいできた。あー可愛い……ほんと可愛い……えへへへへ……秀司の髪ってふわふわ……狐耳もふわふわ~……」

 沙良はだらしなく頬を緩ませ、陶酔の表情で秀司の頭を撫でた。


「…………」

 意外とまんざらでもないのか、秀司はされるがままにしている。

 なんなら沙良が撫でやすいように少し頭を傾けている始末だった。


「あっそうだ写真!! 写真撮らなきゃ、こうしちゃいられないわっ!!」


「あの子、狐好きなのよね」

 自分のロッカーへと突進していく沙良を見て、赤の矢絣の着物に紺の袴を合わせた瑠夏が呟いた。

 瑠夏は黒猫の耳と尻尾をつけている。


「ああ、なるほど。大好きな秀司と大好きな狐が花守さんの中で奇跡的な調和融合を果たし、見事ドツボにハマったわけだな」


 壁際にいる瑠夏の隣で大和が納得したように頷く。


「今度は立って! 教卓の前でポーズして! 目線こっち向けて! 次はちょっとアンニュイな感じで!」

「アンニュイって何だよ!?」


「はーいみんなー、文化祭実行委員の指示に従って開店準備しましょー。バカップルに付き合ってたらお客さんが来ちゃいまーす」


 パンパン、と山岸が手を叩き、生温かい視線で二人を見守っていたクラスメイトたちの行動を促す。


「はーい」

「使い物にならなくなったクラス委員長の分まで頑張るかー」

「普段は本当にしっかりしてるのにねえ……」

「諦めろ。いまの委員長のIQは2だ」

「まあ、サボテンと一緒なんですね」

 クラスメイトたちは慣れた様子で沙良たちを放置し、各々開店準備に取り掛かった。


「ツーショット撮ってあげようか?」

 一方、撮影に満足したタイミングを見計らって歩美が沙良に近づいた。


「いいえ、私の写真なんて要らないわ。秀司の尊い姿だけ後世に伝えられればそれでいいの」

「後世まで伝えるつもりなの……?」

「くだらないこと言ってないで、隣に立って。ツーショット撮ってもらおう」

「いやいや、本当に私なんて撮らなくていいわよ。データ容量の無駄遣いよ」

「自分の要求は通すのに俺の要求は却下するのか……別れようかな」

「!? わかった、わかったわよごめん!!」

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