17:ツンデレは禁止です

「……何それ。どうしてそうなるの。違うわよ。そんなはず……だって、私は……」

 眉間に苦悩の皺を寄せて拳を握り、磨き抜かれた床に視線を落とす。


 二人は秀司と沙良が文化祭で踊る動機を『カップルアピール』だと思っていて、その成功のために尽力してくれている。


 それなのに、蓋を開けてみれば秀司と沙良はカップルでも何でもなく『二人で踊って拍手喝采を浴びるか、ブーイングを浴びるか賭けてみたい』などという秀司の謎の思い付きに振り回されていただけなのだと知ったら激怒するだろう。


(私は偽物の彼女だなんて、とても言えない……)


 ちょうどBGMとして流れていた曲も終わり、静まり返った部屋の中。


「『だって私は偽物の彼女だもの』?」


「!!?」

 台詞の続きを瑠夏に言い当てられた沙良は極限まで目を剥き、弾かれたように顔を上げた。


「どうしてそれを……秀司が話したの?」

「ええ。協力を仰いでおいて騙すのは不誠実だと思ったんでしょうね。講師役兼ダンスメンバーになってほしいと頼まれたその日のうちに、不破くんは隠すことなく全てを打ち明けてくれたわ」

 大和に顔を向けると、彼は少々申し訳なさそうな顔で頷いた。


「じゃあ……二人とも知ってたんだ……最初から」

「ええ。もし知らされていなかったとしても、二日前、あんたは『いまは』私が不破くんの彼女だって言ったでしょう。わざわざ『いま』をつけるってことは、 期間限定なんだろうなって察しはついたと思うわよ」

 瑠夏は肩を竦めてみせた。


「……待って。全てを打ち明けたって、じゃあ――瑠夏はそもそもどうして秀司が文化祭で踊ろうと言い出したのか、その動機も知らされたの?」

 緊張しながら尋ねる。


「もちろんよ。彼は熱を込めて色々語ってくれたけど、要約するとこうね。『どうしても沙良を落としたいから協力してくれ』」

「…………!?」

 凄まじい衝撃が頭のてっぺんから足のつま先までを走り抜けていった。


「落とすって……それって、つまり……」

 声が震える。

 まさか、と思うのに、期待で鼓動が早くなった。


「だから。沙良に本物の彼女になって欲しかったのよ、不破くんは」

 明答を口にした瑠夏は良かったわね、とでも言うように笑った。


(どうしよう、嬉しい……)

 その感情を自覚してしまったら、もう気づかない振りはできなくなってしまった。


(……私は、秀司のことが好きなんだ)

 鼻の奥がつんとして、泣きそうになるのを沙良は必死で堪えた。


「でもあんたは色々と拗らせた女だから、たとえもし不破くんに『付き合ってくれ』って言われたって素直に頷いたりしないでしょう? 不破くんは『いけすかない男』なんでしょう? 『ライバルで、宿敵で、好きになるとかありえない』んでしょう? 二日前も言ってたわよね、『全然ちっとも惚れてない』って」

「う……」

 昔の台詞まで良く覚えているな、と沙良は渋面になった。

 いや、もちろん、そんなことを言った沙良が悪いのだが。


「いや、あの、ちょっと待って? 話を戻すけど、秀司は私に彼女になって欲しくて文化祭で踊ろうなんて言い出したの? 本当に?」

「嘘をついてどうするのよ。不破くんは――」

「はい。秀司の事情は俺から説明していい? 多分、長谷部さんより俺のほうが詳しい」

 大和が片手をあげたため、瑠夏は話を中断してそちらを向いた。


「どうぞ」

 発言権を譲った瑠夏はスポーツドリンクを片手に持ち、壁に背を預けて座った。

 後は任せたという態度でのんびりとスポーツドリンクを飲み始める。

 彼女に倣って沙良も新品のスポーツドリンクを取り上げ、その場に座った。


 駅からここまで走って来たため、実はかなり喉が渇いている。


「ちょっと待ってね」

 沙良は急いで水分補給し、ペットボトルの蓋を閉めて身体の横に置き、改めて大和を見た。


「どうぞ。お願いします」

 一言一句聞き逃すまいと、きちんと正座して傾聴の姿勢を取る。


「いや、正座とかしなくていいんだけど……そんな大した話でもないし……」

 片膝を立て、リラックスした姿勢をしている大和は困り顔。

 指摘された沙良は即座に膝を崩し、これでいいよね、さあ早く! という目で大和を見た。


 大和はぽりぽりと頬を掻いてから口を開いた。


「この前、秀司に彼女がいる疑惑が持ち上がっただろ」

「……ええ」

 クラスメイトの前で醜態を晒してしまった沙良は赤面して頷いた。


 いまでも思い出しては恥ずかしさの余りベッドでのたうち回っているのは秘密である。


「魂が抜けちゃった花守さんを見て、秀司はやっと『これは脈ありっぽい』と判断することができたんだよ。秀司は物凄いイケメンで、何でもできるパーフェクトヒューマンだけど、根っこは普通の男だからさ。普段のじゃれ合いから花守さんに嫌われてないのは確信してても、花守さんが自分に向ける好意の種類がわからなかったんだ。『クラスメイトや友人に向けるものと同じ、ただの親愛』か、それとも『異性に抱く特別な恋愛感情』か。照れ隠しなんだろうけど、長谷部さんの言う通り、花守さんはちっとも好きじゃないとか、ただのライバルとか、秀司に割と酷いこと言うからさ」

「要は全部あんたが悪い。」

「はい……」

 瑠夏にズバリ指摘された沙良は背中を丸めて身体を縮めた。


「まあまあ」

 大和は苦笑しながら両手を振り、ジト目で沙良を睨んでいる瑠夏を宥めた。


「それで、えーと。どこまで話したかな。そうそう、魂が抜けちゃった花守さんを見て、脈ありっぽいと判断した秀司はようやく一歩を踏み出すことにした。いきなり彼女になってって言っても多分、花守さんはあれこれ理由をつけて頷いてくれないだろうから、とりあえず期間限定ってことして、どうにか仮の彼女になってもらったんだよ」

「沙良は素直じゃないからねえ」

 小声で瑠夏がボソッと言う。


「彼女になってって言われて、そこで感動に涙ぐんで『はい』って言える子なら不破くんも余計な苦労せずに済んだのにねえ。本当に、こんなクッッソ面倒くさい子のどこがいいんだか……不破くんならどんな女も選び放題、選り取り見取りなのにねえ……ふ。蓼食う虫も好き好き、か……」

「もおおお!! 遠い目をしてぶつくさ言わないでよお!! 私が悪かったわよおお!!」

 沙良は半泣きで瑠夏の腕を掴み、激しく揺さぶった。


「で」

 そのたった一言で大和は自分に注意を戻させた。

 そろそろ付き合うのが面倒くさくなったらしい。


「仮の彼女からステップアップして本物の彼女になってもらうには、花守さんに自信をつけてもらうしかない。文化祭という一大イベントで一緒に踊って、皆から祝福してもらうことで、秀司は花守さんが自分の彼女に相応しい女性であることを証明しようとした。ダンスの練習と並行して花守さんの店でバイトすることにしたのは、花守さんの妹さんに『バイトが急に辞めた上に姉まで怪我で働けなくなって店が回らず困ってる』って聞いたから。もちろん、バイトついでに花守さんの家族と仲良くなって外堀を埋める魂胆もあったと思うよ」


(……どうして花守食堂で働くことにしたのかと聞いたとき、秀司は社会勉強と小遣い稼ぎのためだと答えたのに)


 沙良は目を伏せた。


 秀司の家は金持ちだ。

 高校生の身分でレンタルスタジオを何の迷いもなく借りられるくらいの額を小遣いとして貰っているのだから、働く必要なんてない。


 社会勉強がしたいなら片道一時間もかけて花守食堂に通わず、近くの店で働けばいいのだ。


 そもそも秀司なら肉体労働などせずとも、割の良いバイトはいくらでもあるだろう。


(秀司は本当に、私のことを、私のことだけを想って行動してくれてたんだ……)


 知らなかった。

 自分がこんなにも深く愛されていたなんて。


 いや、知ろうともしなかった。

 自分はダメな人間だからと言い訳して。


 秀司に相応しくない女だと端から決め付けて、本気で愛されている可能性から目を背けた。


「……本当に、全部私のためだったのね」

 涙声で言う。

 瑠夏たちは沙良を見つめるばかりで何も言わなかった。


 それが答えだった。


「……あのね」

 沙良は目尻に溜まった涙を拭い、意を決して口を開いた。


「その。私ね。秀司のこと何とも思ってない、とか、口では可愛くないことばっかり言ってるけど。本当は……秀司のことが好き、なの」

 顔から火が出そうだ。


(ああああああ言っちゃったーーー!!)

 沙良は頬を押さえて身悶えするくらい恥ずかしかったのだが――


「「知ってる。」」

 二人の声は見事にハモった。


「…………え?」

 予期せぬ反応を返された沙良は手を下ろして凍り付いた。


「え、じゃないわよ。バレバレよ。クラス全員どころかもはや全校生徒が知ってるわよ」

「えええ!?」

 沙良は激しく狼狽した。


 しかし、思い返してみれば、秀司に彼女がいるという噂が広がった日は学年問わず、色んな生徒から同情の眼差しを向けられたような気がする。


「あ、俺、この前電車で秀司のこと噂してる他校の女子を見かけたよ。『でもあの人格好良いけど彼女いるっぽいからなー』とか言ってた」

「まあ、他校の女子にまで広くカップル認定されてるのね。さすがだわ」

「なんでっ!?」

 沙良は悲鳴を上げた。


「なんでって。聞くの? テストが終わるたびに掲示板前で堂々とイチャイチャしといて?」

「い、イチャイチャなんてしてないじゃない!!」

「じゃあやけに気合いの入った不破くんのためのケーキ作りは?」

「あ、あれは、テストが終わったら負けたほうがケーキを渡すって言う約束をしてて、だから仕方なく――」

 赤面して言うが、瑠夏の追及は止まらない。


「ほお。仕方なく作ってる割にはあたしに何個も試作品を食べさせたわよねえ? こっちのケーキがいいかしら、それともあっちのケーキがいいかしら、どれが不破くんの好みかしら。何回も聞かされるものだから、耳にタコができたわよ」

「う……」


「あはは。実は秀司もケーキのお返しをどうするか俺に相談してきたりするよ。とりあえずこれとこれとこれに絞ったんだけど、どれが良いと思う? って真顔で聞かれても。選択肢が十個もあるのに絞ったとは言わねーよ!! って全力でツッコんでやったわ」


「戸田くんもあたしと似たような苦労をしてるのね……あ、そうそう。飴のお礼にカップケーキを持ってきたんだけど食べない?」

「え、いいの? 食べる。俺甘いもの好きなんだ。ありがとう」

 可愛らしい包装紙に包まれたカップケーキを渡された大和は背景に花を咲かせた。


「おお、美味しい」

「でしょう? このカップケーキ、最近のお気に入りで――」

「ちょっと!? 何和気藹々とお菓子談義してるのよ!? 人が最大の秘密を暴露したって言うのに反応薄くない!? 私の告白をカップケーキ一つで流さないで!?」


「いや、花守さんが秀司にベタ惚れだっていうのはみんな知ってるから。『今日の天気は雨です』ってくらい当たり前のことを言われても。そんなの見ればわかるし、ツッコミどころに困るんだよな」

「ツッコまなくていいんだけど!?」

「不破くん心配してたし、腕が治ったことを早く教えてあげなさいね。あと、文化祭終了までに不破くんと付き合わなかったら絶交ね」

「なんでっ!?」

「なんでって。ツンデレ拗らせたあんたにこれ以上付き合うのはご免なのよ。あたしだけじゃなくきっと全校生徒が思ってるわよ」

「そうだな。一体何人の生徒が無自覚にイチャついてる花守さんたちを見て『お前らさっさと付き合えよ!!』って台詞を飲み下してきたと思う? 俺は秀司の親友だから、色んな奴に『あいつら早くなんとかしてくれ』って苦情を言われて大変だったんだよ?」

「裏でそんなことが……」

「とにかく。もう結果はわかってるんだから偽彼女とか面倒くさいこと言ってないでとっとと告白して付き合いなさい。これ以降ツンデレが発動するたびに渾身の力を込めて顔面チョップするからね」

「渾身の力を込めてっ!?」

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