10:やってやる!

「長谷部さんと踊ってどうするんだよ。沙良とじゃなきゃ意味がないんだって」

「甘い言葉を言ったって絆されないからね!? 私はただの素人だよ!? 素人が大勢の前で踊るなんて、自ら恥を晒すようなものじゃない! とてもそんな度胸は――」


「委員長。ここは不破の話に乗るべきだと思うぜ?」

 突然、山岸が話に割って入ってきた。


 そちらを見ると、自分の椅子に横向きに座る彼は右手の手のひらを天井に向け、肩を竦めた。


「周囲に『私たち付き合ってます』っていちいち言って回るより、文化祭のステージで視覚と聴覚に同時に訴えたほうがインパクトは大きい。さすがカップル、素晴らしいダンスだったと観客を唸らせることができれば、不破に言い寄る女もぐんと減るだろうよ。つまり委員長の悩みの種が減るってことだ」

 ぱちん、と綺麗にウィンクする山岸。


「……それはそうかもしれないけど……」


(いや、問題はそこじゃない。そもそも私は偽りの彼女なんだって! 文化祭が終わったらすぐ別れるっていうのに、大々的にカップルをアピールしてどうするの!? 一体何考えてるの!?)

 横目で秀司を見るが、秀司はただ笑っているだけ。


「そうだな。良いことだ」


(なんで山岸くんに同意してるの!? なにが良いことなの!?)


「そんなに心配しなくても大丈夫だって」

 沙良が狼狽している理由を勘違いしたらしく、山岸は苦笑した。


「ダンスの審査を受けるわけじゃないんだから。少々残念なダンスだったとしてもそこは文化祭のノリってやつ。よっぽどのことがない限りみんな拍手を送ってくれるよ」

「いや、私が言いたいのはそういうことじゃなくて、……ええと……」

 困り果てて口ごもり、自身のサイドテールを指で弄りながら秀司を見る。

 彼は沙良と視線を合わせず、微笑んだまま何も言おうとしない。


(私は偽彼女だって暴露してもいいの?)

 でも、それを言ってしまったら終わりのような気がする。


(私はどういう反応をすればいいの?……)


「踊る曲は決めてんの?」

「いや、これから沙良と相談して決めるつもり」

「ならいま流行りのアイドルグループの曲はどう? 『打ち上げ花火』とか『夢とプライド』とか。そうだ、あれがいい! 『Eternal Flower』!」

「『Eternal Flower』?」

「ああ。今年の夏に発売されたゲームの主題歌なんだけどさ、めちゃくちゃ良い曲だから聞いてみてよ――」


「待てよ二人とも」


 と。

 自分を差し置いて盛り上がり始めた二人を制するべきなのか迷っている間に、大和が言った。

 秀司たちが話を中断し、揃って大和を見る。


「花守さんに彼女としての自信をつけてやりたいって気持ちはわかる。でも、花守さんは人前で踊ることに抵抗があるみたいだし、何より怪我してるだろ?」 

 大和の視線はギプスに覆われた沙良の左腕に注がれている。


「文化祭は一か月後だぞ? 完治まではどれくらいかかるんだ?」

「三週間くらいって言われたわ。もちろん、もっと早く治る可能性もあるけど、長引けば三週間くらい、って」


「なら、最悪、一週間足らずで振付を覚えて身体に叩き込むことになる。たった一週間じゃ一曲覚えるのも厳しいだろ。花守さんの負担が大きすぎるよ」

 大和は顔をしかめた。


「秀司なら三日もあればダンスの振りつけも完璧に覚えて仕上げるんだろうけど、花守さんはそうじゃない。なんでもそつなくこなす天才肌のお前と違って、花守さんは多少頭が良いだけの凡人だよ?」


「………っ!!」

 情け容赦のない大和からの評価は、沙良に並々ならぬダメージを与えた。


(確かに私は凡人……容姿は冴えないし、体育は平均値だし、唯一の取柄だったはずの学力ではこれまで一度も秀司に勝ったことがない。戸田くんにそう認識されるのも仕方ないことよ。それなのに、どうしてかしら。いざはっきりそう言われると傷つくわ……)

 秀司に挑んでは負けた屈辱の日々がまざまざと蘇り、目から血涙が出そうだった。


「一緒にステージに立って、お前と比較される花守さんの身にもなってみろよ。これまで何度も似たようなことがあっただろ。急遽代打で弾いたピアノだって演劇だって部活の試合だって、お前は本人より上手にこなして周りから絶賛されてたけど、本人は本当に可哀想だったよ。お前は自分の能力値が一般に比べて異常に高いってことを自覚したほうがいい。花守さんみたいな凡人がお前のレベルについていけると思うなよ」

「うう……」

 さらなる追撃に、口からうめき声が漏れる。


(また凡人って言われた……私じゃ秀司には敵わない、彼と同じレベルまで引き上げるのは無理だって決めつけられた……そりゃあ、人前で踊るなんて恥ずかしいし、踊りたくなんてなかったはずなんだけど。でも、このままだと『怪我を言い訳にして秀司と比較されることから逃げた』ってことにならない?)

 右手を強く握りしめる。


 どんなに努力しても秀司に敵わない。

 そんなの、やってみなければわからないではないか。


(もはやなんで秀司が私と踊りたいかなんてどうでも良い。ここまで言われたからには完璧に踊って、無自覚に私を『秀司に劣るダメ人間』扱いしてる戸田くんをぎゃふんと言わせてやりたい。凡人だってやればできるんだってことを思い知らせてやりたい)

 このとき、踊ることをためらっていた沙良の胸中に闘志の火が生まれた。


「秀司。大事な彼女に恥をかかせたくはないだろ? 悪いことは言わないから諦めな」


「……そうだな。大和の言う通りだ。沙良はしょせん凡人だもんな……」

 秀司は神妙な顔になり、可哀想なものを見るような目で沙良に見つめた。


(『しょせん』凡人……?)

 ぴくりと頬が引き攣る。

 大和はただ思ったままを口にしているだけで、そこに悪意など全くなかったが、秀司は違う。


 一年半も付き合っているからわかる。

 秀司の言動はわざとだ。

 間違いなく秀司は沙良を怒らせるつもりで言っている。


「俺もダンスはほとんど素人だけど、三日もあればプロ級に仕上げる自信はあるよ。でも、沙良にそれを望むのは酷だよな。うん、俺が間違ってた。できないものはできないよな。テストでも俺に勝ったことないのに、ダンスでも俺と比較されて笑われるなんて嫌だよな。無茶なこと言って悪かった。心から謝るよ」


 秀司は長い睫毛を伏せ、いかにも申し訳なさそうな顔を作ってみせた。


(なんって白々しい……!!)

 沙良の中に生じた闘志の火は、いまや激昂の炎と化して燃え盛り、荒れ狂っている。


 あと少しの燃料を投下されれば爆発する、そのタイミングで秀司は言った。


「ほら、俺って天才だから。凡人の気持ちをいまいち理解できなかったみたいで――」


「――やってやるわよ!!」


 沙良は秀司の机をバシンと片手で叩いて叫んだ。


 大声にクラスメイトの注目がこちらに集まる中、大和は「え」と目を丸くし、山岸は「煽るのうまいなー」と大笑いしている。


「え、まさか踊る気なの? 怪我してるのに?」

「人を焚きつけといてわざとらしく驚いたふりするんじゃないわよ! 怪我が何よ! そもそも秀司が私の怪我を考慮しないわけがないわ! 練習時間がたった一週間しかなかったとしても、秀司はダンスに誘ったんでしょう!?」

「当然」

 秀司は唇の端を上げた。


 大和には端から無理だと決め付けられたが、秀司は沙良なら出来ると信じてくれた。


 それが無性に嬉しくて、知らずに沙良も笑っていた。


「たとえ何曲だろうと秀司は三日でマスターするんでしょう? だったら私だって三日でマスターしてみせるわよ。見てなさいよ。私のダンスが秀司と比べて見劣りするなんて言わせない。文句のつけようもないくらい、きっちりばっちり完璧に踊ってやるんだから!」

 宣言して机に置いた右手に体重を乗せ、軽く身を乗り出す。


「さあ、そうと決まれば打ち合わせをしましょう。放課後は空いてる? カフェにでも行かない? べ、別にカフェじゃなくてもどこでもいいんだけど……そのまま教室に居残ってもいいし……」

 もごもごと口の中で呟く。


(放課後に二人きり、なんて、デートみたいじゃない?)

 思い付きに沙良の心は弾んだ。が。


「ごめん。今日からしばらく放課後は用事があるんだ」

「……そう」

 勇気を出しての誘いはあっさり断られ、沙良はしゅんと項垂れた。

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