08:プレゼントを君に

 左腕の肘から手の甲までを覆う白いギプス。

 右頬に貼られた白いガーゼ。

 両手足にあちこち痣を作り、特に左足の向こう脛は酷く変色し、目撃者全員に顔をしかめられた――それが沙良の現状である。


「……大惨事だな」


 翌日の月曜日、朝。

 まだ登校していない沙良の前の男子の椅子を借り、身を反転させて座る秀司は沙良のギプスを見つめて眉をひそめた。


「あはは……」

「いや笑い事じゃないから」

 ぴしゃりと言われて、口をつぐむ。


「手はいつ治るんだ?」

「お医者様の見立てでは全治三週間とのことです。文化祭までには治りますのでご安心ください」

 これ以上彼の機嫌を損ねないよう、沙良ははきはきとした丁寧口調で答えた。


「そう。まあ、階段から落ちてその程度で済んで良かった……と言うべきなんだろうな。落ちないのが一番良かったんだけどな」

 秀司は片手で額を覆っている。


「ご迷惑をお掛けして申し訳ございません」

 猛省を示すために、沙良は畏まって一礼した。


 瑠夏やその他のクラスメイトたちは遠巻きに沙良たちのやり取りを見守っている。

 教室の隅で談笑している歩美たちも会話の合間にこちらを見てきた。

 やはり、わかりやすく負傷している沙良のことは気になるらしい。


「別に迷惑はかけられてないけどさ……」

「いえ、当日、しかも直前のドタキャンは迷惑以外の何物でもありません。せっかくのデートの予定を台無しにしてしまい、誠に申し訳ございませんでした」

「……もういいから顔を上げて」

 伏せていた顔を上げると、秀司はしかめっ面で自分の頭を掻いた。


「ああもう、何なんだよ。遅れるって連絡があったと思ったら、直後に妹さんが電話してきて『姉は階段から落ちていまから病院に行くことになりました』って。なんでまたそんなことになったんだ? 遅刻しそうになって慌てたにしても、慌てすぎだろ。俺ってそんなに怖い? 多少の遅刻くらいで激怒するとでも思ったの? 遅刻するなんてありえない、別れようと言うとでも?」

 本当に付き合っているわけではないのだが、クラスメイトたちの耳目を気にしてか、秀司は『別れる』という表現をした。


「……正直言うと、少し」

 おっかなびっくり頷くと、秀司はため息をついた。


「あのさあ。何か勘違いしてるみたいだけど。俺は沙良以外の女に彼女になってほしいなんて思ってないから」

「え。でも。姫宮さんがいいとか――」

「あれは沙良が素直に引き受けてくれなかったから、発破を掛けただけだって。わかれよそんくらい」

 秀司は苛立ったように言って沙良の口を閉じさせた。


「この際だからハッキリ言っとくけどな、誰が何と言おうと俺はんだよ。彼女役をして欲しいのは沙良だけだ。沙良以外要らない」


「……!!」

 沙良は壊れた黒縁眼鏡の代わりに急遽用意したフレームのない眼鏡の奥にある目を大きくした。


(私以外要らないって――)

 殺し文句に一瞬で顔が熱くなり、心臓が騒ぎ出す。


「沙良は著しく自己評価が低いみたいだけど、俺はありのままの沙良が好きなんだ。もし何か言ってくる奴がいたら『うるせえ黙れ』って言ってやれ。俺はそう言う。それで終わり。それでいいんだって」


 真っ赤になっている沙良を見て自分まで恥ずかしくなったのか、秀司は微かに頬を赤くしてそっぽ向いた。


「……ここまで言えばいい加減理解しただろ」

「……はい」

 頷く。


「周りの目なんてどうでもいいからさ。もっと信じろよ。俺を」

「……はい。すぐには難しいかもしれませんが、努力、します」

 ここまで言われてまだウダウダ言うほど沙良も愚かではない。


 秀司が言いたいことはちゃんと伝わった。――痛いほどに。


(私はもっと自信を持っていいんだ。ううん、持つべきなんだ)


「ああ」

 それで良い、と言わんばかりの笑みを秀司は浮かべた。


 自然に沙良も微笑み返す。


「昨日は行けなくて本当にごめんね。私も楽しみにしてたんだけど――」

「あ、それなんだけど」

 ふと思い出したような調子でそう言って、秀司は立ち上がり、自分の席へと戻っていった。


 机に引っ掛けていた鞄から茶色い袋を取り出し、運んできて沙良の前に置く。 

 それは開封口にリボンが結ばれ、丁寧にラッピングされた袋だった。


「昨日渡そうと思ってたプレゼント。開けてみて……って言いたいけど、片手じゃ大変か。俺が開けるわ」

 秀司は袋のリボンを解いた。


 彼が机の上に広げた中身は金色の縁がついた赤いシュシュだった。

 水色とミント色のシュシュの他に、白やピンクのリボンもある。


「これ……」

 思わぬプレゼントに、沙良は目を瞬いた。


「沙良は髪を結ぶにしてもいつも黒とか紺のゴムで地味だからさ。たまにはこういう髪飾りをつけたとこを見てみたいなと思って」

 照れをごまかすように鼻の頭を掻いて、秀司は言った。


「いまは無理だろうけど。手が治ったらつけてみてよ」

「うん。――うん。ありがとう。大事にするね」

 シュシュを右手に持ち、胸に抱くようにしながら、何度も頷く。


 自分には似合わないと思って地味な格好ばかりしてきたが、これからは周囲の評価など気にせず冒険してみよう。強くそう思った。


「あのー。良かったらお手伝いしますけど?」

 歩美たち三人組が寄ってきた。

 用意周到なことに、その手には鏡や櫛が握られている。


「それとも、不破くんが彼女の髪を弄りたいっていうならお譲りしますが?」

 歩美が櫛を差し出すと、秀司は渋面になって手を振った。


「いや、石田さんたちがやってあげて」

「はーい、承りましたー。それではどうしましょう? 彼氏様のお好みはポニーテイル? サイドテール? ワンサイドアップ? ツーサイドアップ? ルーズサイドテール? リクエストがあればどうぞ!」

「えーと……なんか呪文みたいでよくわからないから、とりあえず全部やって見せて」

「とりあえずで全部っておかしくない?」

 沙良はツッコんだが、歩美は乗り気らしく「はーい」と返事し、沙良の背後に回って髪を梳き始めた。


「最初は定番のポニーテイルから行きますか」

「次はリボンでツインテールとかどう?」

「あー、『あざと可愛い』やつね。いいんじゃない、面白そう。にいんちょっていっつも無難な髪型しかしてないからさ、ここらでいっちょイメージ革命しようぜ!」

「誰キャラ!? いやいや、リボンでツインテールとか! 小学生じゃないんだから!」

「いいじゃん、記念記念」

「なんの!?」

「不破くんもにいんちょのあざとい姿、見たいよね?」

「見たい」

「ついでに写真も?」

「撮る」

「ええ!?」

「あはは、正直だねえ! いいよ、ツーショットでばっちり撮ってあげる。ほら、彼氏の希望なんだから観念しなさい。隠したリボン出して」

「えええ……本気で?」


 和気藹々と弄繰り回され、最終的に沙良の髪型は顔の両横の髪を残し、サイドで一本にまとめたサイドテールに決まった。


「……なんというか、私じゃないみたい。髪型一つで印象はがらりと変わるものなのね」

 歩美から渡された手鏡で自分の姿を確認し、沙良は呟いた。

 右側頭部に添えられた赤いシュシュは大輪の花のように華やかだ。

 軽く首を振ると、右側頭部のサイドテールもゆらゆら揺れた。


「似合ってるよ、にいんちょ。良かったら手が治るまで、あたしが朝、髪をまとめてあげようか?」

「いいの? ありがとう」

「いえいえ、どういたしまして。せっかく彼氏にもらったんだから毎日つけたいでしょ? いやー、ほんとに良かったねー、色々と」

 歩美の言い方には含みがあった。

 カップルになれて良かったね、と言いたいらしいが、残念ながら自分は偽彼女なのだ。


(……残念ながら?)

 胸中に浮かんだ言葉に戸惑いつつも、沙良は空気を読んで笑い、髪を弄ってくれた他の皆にもお礼を言った。


「不破、お客さん」

 皆が解散し、予鈴まで思い思いに過ごしていたとき、自分の席に戻っていた秀司がクラスメイトに呼ばれた。


 教室の前方の扉の陰に隠れるようにして立っているのは二組の横溝亜弥だ。

 秀司が偽彼女役の候補としても挙げていた、Fカップの美少女である。

 確か彼女はダンス部で、生徒会の副会長でもあったはずだ。


(秀司に何の用事なんだろ)

 まさかまた告白かと心に波が立ったが、その波はすぐに消えた。


(大丈夫よ。秀司はどんな美少女の告白であろうと受け入れる気がない。私が偽彼女なんだから)


 気にせず堂々としていればいいのだと自分に言い聞かせ、沙良は一時限目の予習を始めた。

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