嚥下

桃色の爪が先っぽについた少しふくよかな指で、彼女は無色透明なヴァセリンを桜色の唇に塗った。軽くひらかれた唇は瑞々しい果実のように輝きを帯び、私の口内を幻夢の果汁で潤した。嚥下をする。

本当に欲しいものは唾液ではない。


桃色の爪と共鳴するように小さな飾り石がついた指輪が私を睨んでいた。雨雲のように絡まりあう、栗色の枝木が嵐に吹かれ、春、息吹く、彼女の髪はほぐされていく。黄金のオイルが垂らされ、一筋の太陽の道が流れる。香料に誘われ、小さな蜂が、彼女の神々しい姿の前で唸る。否、怠惰な自分。彼女は網タイツで両足を覆い隠し、私は六角形に身を潜める。口から溢れ出そうになる彼女への想いに蓋をする。彼女の放つ甘く気怠げな煙に目が眩み、箱底に。


桃色の爪のついた指が伸びた手は銀色のフォークを握っていた。片手にはヘーゼルナッツのペーストの入ったプラスチック容器。脳裏には彼女の薄く、いとおしい唇に塗りたくられたヴァセリンが浮かび、開かれ、銀色の雷が鳴った。苺のような舌を覗かせ、彼女はヌテラを口にした。目を細め、容器にくっついた栗色の巻毛を桃色の爪で摘み、脇へ退けた。私はまた、嚥下した。もし私が彼女の食すヌテラであったら。もし私が彼女の握るフォークであったら。もし、もし、そうであったら、私は彼女の冷たく甘美な瞳に見つめられ、私から自身の身すら守れない小さな針を奪い、昂る心の臓を指揮者の如く軽やかさで何度も突き刺すだろう。深く、深く、深く。撒き散らされた血液でかたく閉じていた蓋が弛み、弧を描く唇に噛みつく。すると足の甲にレッドカーペットが逆さに張り巡らされたヒールで煙草のように捻られ、啄むような口付けに変化する。ツバメのような腰に手を回し、純白の羽が背中に生える。先の尖った桃色の花びらに天へと誘われ、私はまた、嚥下する。

喉を唾液が流れる。

それは、自分のではない。

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