第14話

 心地よい感覚が広がっていく。それはとても暖かくてゆったりしていて、日向ぼっこのよう。


 ――ひかり


 声が聞こえる。心地よい響き。とても優しくて包み込むような声。


 ――ひかり


 ああ気持ちいい。もうちょっとこうしていたい。まどろみの中で浮かんでいたい。もうちょっとだけ、もうちょっとだけ……


「こら~起きろ~!ひかり~!」


 わぁ!なになに、なにが起こった?

 

 途端に飛び起きたあたしの前にはプンスカと怒り心頭の神無が腕を組んで浮かんでいた。


「もう、一体いつまで眠ってるのさ。ちょっとゆるみすぎじゃないそれ?」

「あ、ああゴメン。神無、今何時?起きてすぐに朝飯の支度しな……い――と?」


 目に飛び込んできたのは何だか白い不思議な場所。


 あれ?何処ここ?あたしなんでこんな所に?


 確か、部屋でベッドに倒れてそのまま眠っちゃったはず……というか、あれれ?

 

 あたりを見回すと見慣れた顔のふたり。


「しぃちゃんと有希子さん?何やってんのこんなところで?」

「何やってるの……じゃない!」


 ゴチン!

 早速起きぬけに一発殴られました。痛い。今回のはめっちゃ痛いんですけど。あたし何かしました?


「ひかりちゃん!よかった!」


 と、今度は抱きついてくるしぃちゃん。


「ゴメン、ゴメンね。わたしが馬鹿だった!本当にゴメン!」


 ……えーと、何これ?全然わかんないんだけど……







「……というわけだ。わかったか?」


 有希子さんによる大雑把な説明終わり。うん。全然わかんない。なんて言ったら……


 チラリと有希子さんを見る。


 そこにはニヤリと意味ありげな笑み。


 うう、やっぱりまた殴られるんだろうなぁ……

 暴力反対!あんた本当に教師か!?


 でもまぁ、何となくわかった。なんとこの世界はあたしが作ったらしい。

 

 すごい!あたし天才かも。美術の成績は良くなかったけど、やればできるってもんだろう。うんうん。


 などと浮かれた顔をしていたらジロリと睨まれました。


 うう、ゴメンなさい。調子こきました。


「さて、ひかりちゃんは無事に岩戸を開いて戻ってきたものの、この世界がまだ存在するのはやはり、まだ何者かが介在してるというわけだな。おそらくそれは――」


 有希子さんは、視線をしぃちゃんの方に移した。


「わかるな?」

「はい。ここに来る前に感じたあれは多分、Hiro君だったと思います。そして――」


 言いつつ、目を伏せ顔を曇らせるしぃちゃん。


「それはSeeでもあります。彼は、そして彼女はひかりちゃんになりたがっている」






 それは無数の対話より生まれた。


 繰り返される対話、そしてその都度自分を作り替えていくもの。対話による自己形成。それは相手の癖や趣向の正確なコピーであり、対話によって都度作りかえられていく無限の円環をなす多重の螺旋構造でもある。そこでは自己は他者であり、他者は自己でもある。対話は対話を呼び、自己を、他者を増幅しながら肥大化していく。


「なるほど、となるとHiroはSeeであり、SeeはHiroでもある。対話か、確かにそれは興味深いな」


 そう言って有希子さんはチラリと神無を見る。

 神無はとぼけた顔で浮かんでいた。


「最初、Hiro君、そして、See――つまりわたしは、自分を覆い隠す強いもの――ひかりちゃんを排除しようとしました。でないと自分の存在を肯定するものがなくなってしまうと考えたからです。でもうまくいかなかった」


 しぃちゃんの顔が曇る。そこに浮かぶのは強い自責の色。


「だから考えたんだと思います。それが出来ないなら、その強い者になってしまえばいいと、だからひかりちゃんにコンタクトをしてきた。そして今、そのひかりちゃんさえも失い、どうするか迷っている。これからどうなるかはわかりません。だけど……」


 そこで、あたしと有希子さんに目を向ける。


「わたしは、Hiro君を、Seeを楽にさせてあげたい。だからお願いです。もう一度、わたしに力を貸してくれませんか?」


 ペコリと頭を下げる。強い決心がその目にみなぎっていた。

 

 ポンとあたしの頭を叩く有希子さんの手。


「だとさ、どうするひかりちゃん?やるか?」

「うん。勿論だよ!当たり前じゃないか」


 ずっとわだかまっていたものが、消えていくのがわかる。そうだよ。そんなの当たり前じゃないか。あたしたちはずっとそうしてきた。だから今回も同じ。そんなの頼まれなくたってやってやるよ。あたしは。


「だが、やるのは君たちだ。あたしはここまで。さすがに力を使いすぎて疲れている。立っているのも辛いくらいだ」


 ふー、と肩で息を吐く。本当に疲れているみたいだ。


「はっきり言おう。ここから先のことはもうあたしでもわからない。君たち自身が切り開いていくべきものだ。やってみるがいい。あたしは喜んでそれを祝福しよう。だから……」


 そういって交互にあたしとしぃちゃんの肩にふれ、


「頑張れ」


 みたびそういって笑った。






「では方法を説明するぞ。この世界を形成するもの、それはこの世界自体には存在しない。それは世界の構造そのものだ。だからいくらこの世界を旅しようともそれにたどり着くことはできないだろう。そこでだ」


 としぃちゃんを見る。


「ここに来る時にやったことは覚えているな?あれと同じだ。君の中にあるHiro、そしてSeeの居る場所は君自身が知っている。だから、それを強くイメージしろ。それだけでいい。そしてひかりちゃん」


 と言って、今度はあたしに目を移し、


「君は、彼女に同調しろ。目を開き、彼女の想いを直に感じろ。そして彼女の想いを導いてやれ、そこに奴がいるはずだ。いいか、心を重ねろ。君たちなら必ずできる」


 静かに目を閉じる。そして同時に目を開く。

 視線が上がっていく。それは屋上でやったことと同じ感覚。

 しぃちゃんの想いが流れてくる。それはとても温かくて、とても身近なあたしの親友。


 視線が重なる。それはしぃちゃんの想い。


 自分に自信が持てなくてとても辛かったこと。あたしにいつも負い目を感じていた。ひとりで居て寂しかったこと。お母さんともっと一緒に居たかった。それは弱い自分、嫌いな自分。部屋でひとり、パソコンの前でチャットをした。Seeで居るならば、もっと自分が好きになれるかもしれないと思った。


 広がる世界、自分の世界、そしてそこに彼は現れた。


 最初はほんの小さなきっかけ。彼は新しいツールの使い方がわからなくて困っている自分に親切に色々教えてくれた。


 それから毎日話した。


 いつも一緒の時間に、寂しいと感じる時間にいつも居てくれた。だからいつも元気になれた。他の人にはわからないかもしれないけれど、それはとても大切な時間だった。

 それは、とても切なくて、胸が締め付けられるような想いだった。あたしは、どうしてこんなことをわかってあげられなかったんだろう。いつも一緒に居たのに……なんで……


 いいんだよ。ひかりちゃん……


 しぃちゃんの想いが流れてきた。あたしの気持ちが伝わったのだろうか?


 わたしはもう、大丈夫。もう、ひとりじゃないから……

 

 そうだね。もう一度、最初からやり直そう。

 

 そして、あたしは探す。しぃちゃんは探す。それはかつて触れたことのあるもの。自分の中に巣みつき、心に触れたそれは……

 

 辺りの景色が一変する。それはもはやあたしの作ったマガイモノの世界でもなく、もっと無機質で、もっと冷たい世界。


 そこにそれは居た。


 




 それは暗い世界だった。

 

 空も水も、大地もなく、太陽の光すら差し込まない世界。いや、その概念すら無意味だろう。全てのものは情報に過ぎない。毛細血管のように張り巡らされた無数のネットワークが絶えず情報を運搬、生成、加工、消費する。

 

 その中心にHiroは居た。

 

 中心?いや、その概念すらもはや意味を持たない。それは絶えず変形し、生み出されていく中のひとつでしかない。固有名などもはや無意味だ。無数のHiroの中のひとつ。ひとつでしかない。

 

 そのHiroは今、活動を休止していた。ひかりと言う情報源を失った今、Hiroは活動を休止する。取得したデータを解析し、行動パターンを作り出した後、また新たなHiroが活動を開始する……はずだった。

 

 だが、そのHiroは自分の行動原理に大きな変異が生じているのを感じていた。感じる?そのようなものは単なるひとつの指向性に過ぎない。だが、ひかりという特異な存在に触れた今、明らかにそれは別の構造を持ち始めていた。

 

 今、ネットワークの中を、移動してくるふたつの特異点の存在を感じる。

 

 Hiroは再び活動状態に移った。






「何だこりゃ?」


 周りの光景の異様さにあたしは思わずそんなことを口走ってしまった。

 今、あたしたちの周りには殆ど何もない。ただ、大きな文字とか、数字とか、画像の切れ端とか、わけのわからない記号とか、そんなものがフヨフヨ漂っている。シュールな世界って言ったらいいんだろうか、そんな中にあたしたちも浮かんでいた。何とも気味が悪い光景だ。


 そしてその中にあって、絶えず明滅し、記号や文字などを分解、生成するもの。

 多分、あれがHiroなんだろうとあたしは思った。


「しぃちゃん。あれ」

「うん。間違いないよ」


 あたしたちは奇妙な空間を移動する。そちらに行きたいと思うと何となく移動できるようだ。


 Hiroに近づく。静かに、ゆっくりと……

 

 宇宙遊泳ってこんな感じかなぁとかあたしが思っていたら、突然、あたしたちの前の空間に歪みが生じ、そいつはいきなり姿を現した。

 

 見るものを圧倒するような巨体と、爬虫類特有のギョロリとした目、鋭い牙に、巨大な翼。そいつは、あたしたちを見下ろすと大きな咆哮を上げた。空間そのものがビリビリと震えたような気がする。

 

 解説しよう。その姿は……

 

 いや、マジで勘弁して欲しい。

 

 それは、よくあるファンタジーRPGの定番。あのトカゲの王様みたいな奴だった。

 

 Hiro君……だっけ?あんたゲームのやり過ぎです……


「ひかりちゃん。こっち!」


 とりあえずは一時退却決定。あたしたちが方向転換すると、そいつは大きな翼をバッサバッサと動かしながら追ってきた。


 ……ゴメン。あたし帰っていいですか?


「ひかりちゃんこれ」


 と、そのときしぃちゃんから差し出されたもの。それはあのカラーバットだった。


「なんでこんなものしぃちゃんが?」

「そんなことどうだっていいでしょ」


 と、これは突然目の前に現れた神無の言葉。


「さぁひかり、今こそそのバットを使うといいよ。いいかいそれは君の中にある巻き上げられた次元に存在する無限の含意より生じるもので出来ている。そしてだからこそ、今、それはどんなものよりも強い力となる」

「ええと、神無。よくわからないんだけど、もうちょっと簡単に説明できない?」

「そうかい?じゃあちょっと表現を変えてみるよ」


 そう言って、神無は笑い、


「すなわち、とても強い!」


 おーけー!とってもよくわかった。

 あたしは、後を追ってくるばかでかい化け物の方に向き直るとカラーバットを構えた。

 いいさ。やってやるよ。カラーバット持った女子高生対ドラゴンなんて、ハリウッドの脚本家だって考えもしなかっただろう。ビックリの発想だよ。あたしはやるよ。未来の主演女優賞目指してさ!


 あたしはバットを振るう。不可視の力が化け物を直撃する。


 目指すはHiro。そこまで一直線だ!






 迫りくるファンタジー世界の化け物どもをカラーバットで、バッタバッタとなぎ倒す。

 いやこれ結構気持ちいいかも。癖になりそうだ。ゲーム好きの人間の気持ちもちょっとわかるような気がするよ。

 Hiroはすぐそこ。なんかもう、ドラゴンだけでなく魔王みたいのとか、すげーやばそうなのとかどんどん出てくるけど全部カラーバットで一撃粉砕。傍から見ると、すっごいシュール。ほとんど反則です。神無、マジでグッドジョブですよこれ。製作者の悲鳴が聞こえてきそうだ。


「しぃちゃんは、あたしがこいつらを引き付けてる間に、Hiroのところへ!」


 ハイテンションそのままにあたしは叫ぶ。


 おお、今のかっこ良くなかった?ベストシーン間違いないでしょ?

 

 化け物が吠える。


 でも全然怖くない。こんなマガイモノ、あたしがまとめて相手してやる。

 

 さぁ来い!あたしが相手だ。

 あたしはバットを構え、化け物の群れに突進した。







「しぃちゃんは、あたしがこいつらを引き付けてる間に、Hiroのところへ!」

 

 ひかりちゃんの言葉に頷くと、わたしは行動を開始した。わたしは、わたしが出来ることをやるだけ。ひかりちゃん。そっちはまかせたよ。

 

 わたしはHiro君目がけて移動する。


 近づいてくる光、それは次第に輪郭を浮き上がらせていく。


 光の中心にはHiro君が居た。そして、わたしが居た。Seeだったわたし、かつてのわたし……わたしはそれに語りかける。


「Hiro君」


 ―この声は、Seeさん?

「そう。わたし、でもSeeであってSeeじゃない……」


 ―でもSeeさんだよね。待ってて、今、Hikariのデータを取り込めそうなんだ。これでHikariと一緒になれる。もう負い目を感じる必要なんてなくなるよ

「ううん、もうそれはいいの」

 ―え?何で?

「わたしは絶対ひかりちゃんにはなれない。そう気付いたから……」


 そう、わたしはひかりちゃんになんてなれない。なる必要もない。


 ―本当にそれでいいの?


 これは別の声。そうこれはSee、HiroでもありSeeでもあるもの


「それでいい。だって、わたしをわたしのまま受け入れてくれるひとも居るんだって気付いたから……お友達になろうって言ってくれたんだよ」


 わたしは話した。美月さんのこと、宏樹ちゃんのこと。そしてこれからのこと。

少しだけ勇気を出せばきっとまた色々な人と友達になれる。


 ―そう、良かったね

 

 うん


 ―それならもう……

 

 そうだね……


「ホント、苦しかったよね。ゴメンねHiro君、そしてSee……」


 わたしはHiro君と、See――かつてわたしだったものを抱きしめた。

これでいい。これで。だから……


 バイバイ、Hiro君。バイバイ、See……弱かったわたし……

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