第6話

 文化祭まで残すはあと一週間となった。

 その後も文化祭の準備と夜の特訓を行いながら、谷口について色々と調べてみたが、殆ど何も得るものはなかった。谷口について知っている人間があまりに少なすぎたのが原因だ。

 一度だけ谷口の家を訪ねてみたが、出てきたのはお手伝いさんらしきおばさんだけだった。両親は葬式の後、すぐに海外に飛んだとのことだ。

 幸いなことにあの後、しぃちゃんの身にも何も起こっていない。例のノートパソコンはあの後、本格的に壊れて動かなくなっていた。修理に出すより買い換えた方が安上がりだとのことなのでどうするかは暫く保留。当分パソコンを触ることもなさそうだ。

 しぃちゃんも思いのほか元気に文化祭の準備に参加している。有希子さんも気を付けてくれているようだし、それほど心配することもなさそうだ。


「こら、ひ―坊。じっとしてろ。動かないの!」


 と、あたしは今日もちひろと一緒に衣装の製作。どうも入学当初着てきていたあの服は全部こいつの手作りらしい。趣味に対する情熱もここまで行くとある意味尊敬ものだ。


「……というかさ、あんたそんなに好きなら、自分で着ればいいじゃん。あたしなんかで遊ぶよりも、ずっと楽しいと思うけど」

「ああ、それ当然やった。そんなの当たり前じゃん」


 サラリと即答。そう言われると、二の句がつげませんが……


「ひー坊にはわかんないかなぁ、この気持ち。私は世の中には二種類の人間が居ると思うんだよ。何だかわかる?」

「は?えーと、男と女?」

「ノンノン。だめだめ、そんなステレオタイプな答えじゃ何も感じないよ。第一、性別が二つしかないなんて誰が決めたのさ。私にはそんなの無意味だね。愛は性別を超える!」

 

 ……今、一瞬、ゾクリときました。あたし逃げた方がいいでしょうか?


「じ、じゃあ何?他にどんな分類が…」

「勿論『可愛い服が似合う人』と『可愛い服が似合わない人』!」


 真顔で言い張る。


 ――ゴメン、やっぱりあたしついていけない。狂ってますこの人。


「そりゃ私も色々と試したよ。だけどどうしても似合わないコたちが沢山ある。やっぱり、致命的なのはタッパ。身長が高いとどうしてもダメ。その点ひ―坊は、ちっこいし、可愛いからもう完璧!初めて会ったときからビビッと来ましたとも。ホント、最高の素材ですよ!」

 

 ちひろ、あんたの言う最高の素材は、今、無性にあんたを殴りたいと思ってるわけですが、やっちゃっていいですか?


「だからね、文化祭は最高の舞台。ホント我がクラスの権力者ふたりに裏で手をまわした甲斐がありましたよ。代わりに一年間は我慢して制服を着ることになっちゃったけどね。まぁ、これも芸術の為です」

 

 ――ほう。


 今、カシーンと全てのパーツが組み合わさるのが見えました。衝撃の事実というやつです。


 ということは何だ?要するに、あいつらあたしを売りやがったな。

 

 視線を移すと、そこに見えるは悪の権化。我がクラスの権力者二人。

 二人は何事かを相談しながら的確にクラスメイトに指示を与えている。


 1Aは全体としてかなりまとまっていると思う。どの子が何を得意としているのか、誰が何をやりたがっているのか、所属するクラブの催しにどのくらい力を入れているかなど美月が大体把握しているらしく、適材適所、揉め事も殆ど起きない。そして宏樹がテキパキと指示を出し、問題を捌いている。この辺りの手際の良さはさすがだと思う。


「ホント、絵になるよね。あのふたり」


 ちひろの言うように、ふたりで居ると嘘みたいに絵になる。阿吽の呼吸という奴だろうか、聞くところによると、中学では宏樹が生徒会長、美月が副会長を務めていたらしい。クラスメイトの信頼も厚く、教師からも生徒からも一目置かれているのがこのふたりであり、ちひろの言うとおり、まさにクラスの権力者。


 理想の関係ってのはこういうことを言うのかもしれない。我ながら凄いやつを友人に持ったものだと思う。

 

 宏樹、あんた本当にいい彼女見つけたよね。





「あんた本当に変わったよね。宏樹」

 

 その後、暫く休憩をとることになったあたしは、やはり同じように窓際で休憩している宏樹に話しかけた。


「そうかな、俺としてはそれほど――で、も」


 言いかけて、ククと笑いを押し殺す仕草。くそ、今笑いやがったよ。コイツ。


「いや、その……なんだ。あまりにも似合いすぎているのが逆にすごいな」

「誰のせいだと思ってる。誰の!?」


 あたしの頭の上にヒョッコリと生えているのは、他ならぬネコミミという奴だ。ちひろの会心の作らしい。くそー、何でこんなの付けてなきゃならんのだ。


「何だ、あいつはもうバラしてしまったのか。困ったものだな」

「ああ、あんたらの悪行は洗いざらい聞かせてもらった。知らなかったよ。このクラスの委員長と副委員長殿がよもやあのバカと通じていたなんて。善良な、いちクラスメイトであるあたしとしてはすぐにでも職員室さいばんしょに訴えてやりたい気分だね」

「いや、スマンスマン。美月があまりにも乗り気でな。ついつい反論を挟む機会を逸してしまった。悪いと思っている」


 嘘ばっかりだ。元からそんなつもりが全くなかったことはこいつの態度からすぐわかる。くそ~やっぱり変わってないぞこいつ。あたしの勘違いだった。


「ホント、あんたと美月は仲いいよね」

「そう見えるか?」

「当たり前じゃん。いつも一緒にいて話してるし、誰から見ても理想のふたりだよ」


 全く、お熱いことで。そう言いかけてあたしは言葉を飲み込んだ。

 深くため息をつく宏樹。その顔に滲むのは暗い憂いの色。


「ひかり、ひとつだけ言っておくが」


 やや躊躇ったあと、宏樹はこう告げた。


「俺と美月は一度たりとも付き合っていたことはない」

「え?」

「周りがそう見ているだけだ。その証拠に俺はあいつと一度もデートをしたこともないし、家に行ったこともない。全て学校の中だけの関係だ。中学からずっとそうだった」

「だ、だってあんたたちいつもあんなに楽しそうだし、美月だっていつも嬉しそうに笑っているじゃないか」

「じゃあ、聞くがな。ひかり。美月は誰と話すとき笑っていないんだ?」

「え?」


 いつも笑っている誰にでも優しい美月。


「美月は俺のことを何と呼ぶ?ひかりは?ちひろは?椎子は?」


 宏樹さん。ひかりさん。ちひろさん。椎子さん。

 あたしは気づいた。美月は誰も呼び捨てにはしない。そして、すべて「さん」づけで呼んでいる。


 ―さん。―さん。―さん。―さん。永遠に続く代替可能な固有名詞の群れ。


「で、でもさ。宏樹は好きなんだろ?美月のこと」


 息がつまりそうな空気の中、あたしはかろうじてそれだけを口にする。


「ああ、そうだよ」


 苦渋に満ちた宏樹の声。

 ――あれ?今少しだけ胸がチクリと……


「最初から好きだった。初めて会ったときから目を奪われた。こんなに綺麗で完璧なやつがこの世に居るのかと思った。だから少しでも近付きたいと思った。そしてその通りになった。だがな……」

 

 再びため息をつく宏樹。もういいよ。もう聞きたくない。


「3年以上それを続けられるとさすがに自信がなくなってくる。俺は本当にあいつにとって必要な人間なのか?他の奴と何も変わらない単なるクラスメイトに過ぎないんじゃないかってな。もう限界なんだ。何もかも……」


 暫くの沈黙の後、宏樹は顔をあげて無理に笑って見せた。


「悪かったな。妙な事を口走ってしまった。さぁ、もう休憩は終わりだ。今はやるべきことをやろう」

「う、うん。あたしこそ無神経なこと言ってゴメン……」

「気にするな。なに、それほど深刻なことじゃない。俺こそスマン。少し甘えてしまったようだ」

 

 そう言ってあたしの前を去っていく宏樹。

 ふと、以前風呂場で聞いた美月の言葉が頭に浮かんだ。


 ――人を偽ることは罪なのでしょうか?自分を偽ることは罪なのでしょうか?いえ違いますね。多分罪なのでしょう。だからこそ私はこんなにも臆病になっている――


 多分、宏樹は誤解している。美月はそんな奴じゃない。ちゃんと宏樹を見ている。わかるんだ。あたしには。これは絶対だ。だけどうまい言葉が見つからなかった。何故か、宏樹の後姿を見送るしかなかった。

 

 あたしはどうしてしまったんだろう。





 窓際でふたりが話をしている。一体何を話しているのだろうか。


「美月さん。飾り付けの部品の作成終わりました。部活に行ってもいいですか?」

「え?」


 少しボーっとしていた。慌てて微笑みを作る。

 いつものように反復運動。


「ええ、有難うございます。後は私達でやっておきますから遠慮なさらずに部活に参加なさってください」

「有難うございます。では……」


 去っていくクラスメイト。再び視線を移す。喜多沢ひかりと話す時の彼の表情は、普段絶対に見せないものだ。どんな表情も決定的に違う。いつも見ている顔は能面にすら見える。


 本当におかしい。何故ここまで心を乱されるのか。


 ――いや、とっくに答えは出ている。何度自問しても同じだ。

 

 いつまでわからないふりを繰り返すのだろうか……


「美月さん。マーカーのインクが切れちゃったんですけど替えはありますか?」


 再び話しかけてくるクラスメイト。長谷川椎子がそこに立っていた。喜多沢ひかりの親友。とても大人しくて自己主張のない子。


「何色ですか?確かまだいくつか余っていたはずですが……」


 マーカーの箱を見せると、赤い色のものをひとつ手にとり、軽く頭を下げた。


「有難うございます」

「あ、椎子さん」

「はい?」


 思わず呼び止めてしまった。今、何を言おうとしたのか。

 ――違う。倉橋美月はそんなことはしない。そういう人間ではなかったはずだ。


「いえ、あれから何も起きてはいないようですね。元気そうで何よりです」

「はい。その件ではお騒がせしました。もう大丈夫です」

「私ではなく、ひかりさんにお礼を言ってあげてください。あんなに想ってくれる友達はあまり居ませんよ。本当におふたりは仲が良いのですね」


 再びにっこりと笑う。そう。これが倉橋美月。優しい優等生。永久に続く反復運動。


「……そうでもないです」

「え?」


 ボソッと漏らした言葉。今、何か少し違和感が……


「あ、ううん。何でもないです。当然、ひかりちゃんには感謝してますよ。勿論、宏樹ちゃんにもちひろちゃんにも感謝感謝です」


 その時、長谷川椎子の携帯電話の音が鳴った。慌ててポケットから携帯電話を取り出すと、長谷川椎子はペコリと頭を下げて教室から出て行った。


 その後姿を見つめる。


 妙な違和感……何故かその違和感の正体を知っているような気がした。


「スマン。美月。少し休憩をとりすぎたようだ。大丈夫だったか?」


 その時彼が戻ってきた。喜多沢ひかりとの会話は終わったらしい。


「ええ、大丈夫です。ですからもう少し休憩をとってもらってもよかったのですよ。ひかりさんとの会話もとても弾んでいらしたようですし……」

「そ、そういうわけにもいかないだろう」

 

 困ったような顔で彼が言う。何故だろう。その顔を見ていると、無性に……


 蹴飛ばしてやりたくなった。






 誰もいない女子トイレ。ここは今、わたしだけの空間。

 携帯電話の画面を見る。

 メールの着信履歴が2つ。

 ひとつはひかりちゃん。

 そして、もうひとつは――

 

 ――やぁ、今日も元気だったかい?文化祭の準備も大変だと思うけど頑張ってね。

 

 うん。頑張る。だからまたお話ししようね。

 

 Hiroクン……

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