第2話

『兄貴、今日はしぃちゃんのところに泊まるから、夕飯と朝食は勝手に食べてくれ以上。はぁと』


 携帯メールに送信完了。最後の「はぁと」は愛情の表れ、そう「ツンデレ」って奴だ。


 一端、家に帰った後、外泊の準備を整えてあたしは家を出た。


「それ、何の冗談?」

「ん?これ?」


 神無が言っているのは、リュックサックからはみ出たプラスチックバットのことだろう。侮ることなかれ、こいつは数々の戦績を築き上げてきた由緒正しい新聞勧誘撃退用のバットだ。

 

 で、今回の用途はと言うと、


「悪霊退散…?」

「正気?」

「うるさいな。他に何もなかったんだから仕方ないじゃないか」

「君の言う悪霊は随分とヤワなんだね」


 クスクスと嫌味っぽく笑う神無。

 無視無視。いちいち気にしてられない。さっさと歩く。向かうのは駅前。そこが合流地点。倉橋美月が待っているはずだ。


「私も椎子さんのお家にお泊りしてもよろしいでしょうか?」


 そう美月が言い出した時、あたしははっきり言って驚いたね。まさか超優等生の美月の口からこんな言葉が漏れるなんて思ってもみなかった。

 だけど、あたしより驚いていたのは宏樹で、何とか説得を試みようとしていたが、美月が頑として言うこと聞かないのを知ると腹を決めた。


「わかった。俺も行く」


 美月はあたしに目くばせすると、「よかったですね」と微笑んで見せた。どうもあたしは、倉橋美月という人間を少し誤解していたらしい。あんた本当にいい彼女持ったよ宏樹。


 いや、ホント言うとね。怖かったのも事実ですよ。誰もいない家に女ふたり。そして暗闇で行う幽霊チャット。ええ、一瞬考えましたとも。いや、マジ怖いです。怖すぎです。だから考えなしに宏樹を誘っちゃったわけだけど、まさかあんな展開になるとは思わなかった。


 美月様ホント感謝してます。


「ねぇひかり、それで本当に幽霊とか出たらどうするの?」

「うーん。そうだ。あんた何か出来ないの?巨大化して戦うとか、ビビっと光線出してやっつけるとか?」

「何それ?君、そんな風に僕を見てたの。ひどいなぁ」


 いや、ゴメン。忘れてたよ。あんたが本当の役立たずだと言うことを。


 確かにあたしに何かできるかと言われると困るんだが、あんなに怯えたしぃちゃんを放っておくわけにはいかない。何もしないで後悔するより、やってから考える。これがあたしの信条。そして、このプラスチックバットはあたしの覚悟。頼りないけど、ずっとあたしを守ってきた信念の形だ。


「でもね。ひかり、覚悟だけじゃどうにもならないこともあるんだよ」

「え?」


 あたしの頭上を神無がクルクルまわる。捉えどころのない漆黒の瞳。その瞳が虚空を見つめ、何かを考えている。珍しい挙動だ。


「僕も少し覚悟を決めようかな」


 最後にそう一言発した後、珍しく神無は沈黙し、夕暮れの街を静かに漂い始めた。






 駅前に着いた。周りを見回す。目標発見。


「何だあんたも来てたのか宏樹」

「来ちゃ悪いかよ」


 憮然として言い放つ宏樹の隣で可憐に笑う花一輪。秋物のワンピースに身を包んだ美月は、学校で見るよりずっと綺麗だった。いやマジでこりゃ男なら誰でもイチコロですよ。


「別に悪かないけど、あんたの家、あたしの家より、しぃちゃんちに近いじゃん。美月はあたしに任せて先に行ってりゃいいのにわざわざご苦労なことで」


 いやいや我ながら意地悪だとは思う。だがこの位のことは言わせろ。この果報者。


「でだ……」


 あたしは視線を移し、隣を見る。そこに見えるは一匹の妖怪。名をロクデナシと言います。


「やぁひー坊。お出迎えご苦労」

「何であんたがここにいる?」

「いやー、なんつーか、皆さんがなんか面白いことをやろうとしていることを聞くに及びまして、それであっしもちょいとご相伴にあずかろうかと……」

「帰れ」

「えー、いいじゃん。私も混ぜてよ~」


 要するにこいつ、立ち聞きしてやがったな。全く油断も隙もない。


「ふふ、まぁよろしいではありませんか?こういうことは人数が多い方が楽しいと言いますし」

「おっと、さすが美月姉さん。話せるぅ」


 結局、美月の鶴の一声でひとり追加決定。


 そうこうしている間に、日も暮れてきた。


 薄明りの中を4人で歩く。駅前から旧商店街を抜けると、古い家の建ち並ぶ静かな一角に至る。その中で比較的新しい家が長谷川家――しぃちゃんの家だった。長谷川家はしぃちゃんが生まれるとすぐにここに引っ越して来たらしい。その頃はまだ親父さんも健在だったらしいが、丁度あたしと出会う少し前、つまり10年くらい前に亡くなったと聞いている。

 母親の居ないあたしと、父親の居ないしぃちゃん。あたし達は出会うべくして出会ったのかも知れない。以来、ふたりでずっと仲良くやってきた。

 

 長谷川家に到着し、呼び鈴を鳴らすと、しぃちゃんはすぐに玄関から出てきた。予め携帯電話で連絡をしておいたから人数が増えたって特に驚いた様子はなかったが、やはり宏樹を見るとちょっとだけ顔を曇らせ目を伏せる。実はしぃちゃんは少し宏樹の事を苦手にしている。理由は推してしるべしって感じだ。最近少しずつ話せるようになってたから問題ないかと思ったけど、こりゃ根は深いぞ宏樹。


「宏樹さんのお家もここから近いのですか?」

「ありゃ、知らなかった?ホラあそこ」


 広い道を挟んで田んぼの向こうに見える古い家。近いなんてもんじゃない。本当に目と鼻の先だ。ちなみにあたしの家は、もうちょっと駅に近いところにある。


「美月姉さん。中学ずっと一緒だったのに、委員長の家知らなかったの?」

「ええ」

「フムフムなんだかアヤシイですねぇ。本当に二人は付き合って――あいた!」


 余計なことは言うもんじゃない。

 

 まぁ何はともあれ、目的地に到着。あたしは、買い込んできた鍋の材料をテーブルの上に広げて台所に直行した。まずは腹ごしらえだ。


「なに?ひー坊食事作ってくれるの?」

「んなわけないじゃん。鍋だよ鍋」


 ご飯はレトルトで我慢してくれ。

 

 ここの家では昔、よくおばさんに料理を教わったからどこに何があるのかわかってる。ここのおばさんがあたしの料理の師匠だ。おばさんが居なかったらうちは外食続きで破産していたかもしれない。いわば喜多沢家の恩人だ。


 ――と、ありゃ?こりゃまた随分とレトルト食品買い込んでるなぁ

 

 軽い違和感を覚えたがとりあえず鍋と、カセットコンロを調達することに成功したあたしは、手早く材料を捌くと居間に舞い戻った。

 居間には早速好奇心剥き出しで美月に言い寄っているロクデナシと、ポツンと離れて座る宏樹としぃちゃん。


 ああもうはいはい。せっかく賑やかになったんだから、楽しくいきましょう。





 ふと――

 夕食時の楽しい時間が去り、食事の後片付けをしている時、気づいたことがある。

 それは台所のゴミ箱にあるレトルト食品のゴミの山だったり、あまり使われているように見えない食器洗い機だったり、殆ど何も入っていない冷蔵庫だったり、そして破られてクシャクシャに丸められた広告の紙だったり、紙には「しぃちゃんへ。ごめんなさい。今日も遅くなります。」とだけ書かれていたり……おばさんは最近かなり忙しいみたいだ。

 そういえばここのところおばさんには会ってないような気がする。しばらく見ない間に随分とこの家も様変わりしてしまったようだ。何だろう。昔あった「温かみ」みたいのが決定的に欠落して見える。

 

 ひょっとして……いや間違いない。

 

 今日のような日は特別で、この時間、殆どしぃちゃんはひとりだったのではないだろうか。

 そんな事を考えていると、美月が声をかけてきた。


「ひかりさん。もしよろしかったら一緒にお風呂に入りませんか?」

「へ?あたしと?」

「ええ、もしよろしかったらですが」


 控え目な言い方とは裏腹に言外に漂わせる雰囲気は随分と強い。

 

 えーと、さてどうしようね。

 あたしは我関せずという顔で頭上に浮かぶ小悪魔を見る。


「いいけど恨まないでね?」

「は?」


 いや、こっちの話。


 後片付けを終えたあたしは、


「やぁだぁ!私がひー坊と入るぅ!」


 と駄々をこねるロクデナシを宏樹に任せると、美月と共に風呂場に向かった。


 さて、これは確信していたと言ってもいいが、あたしは美月があたしと二人っきりで話をしたがっているのではないかと思っていたわけだ。だから風呂場で、


「ひかりさんにお聞きしたいことがあります」


 と美月が話しかけてきたときは、「きたな!」と思ったね。そりゃ気付きますよアレには


「しぃちゃんと宏樹のことだよね?」

「ええ、出来れば詳しく話して頂けると助かります」

「それは副委員長として?」

「それもありますが、純粋に聞きたいと思っています。いけませんか?」


 いや、全然。あんたにはその資格があるとあたしは思う。スマン宏樹、あたしには隠し通すの無理だよ。

 

 さてどこからどうやって話したらいいものか。


 あたしと、しぃちゃん、宏樹は丁度10年ほど前に出会った。あたしは越して来たばかりで友達もなく、そしてしぃちゃんは親父さんを亡くしたばかり、そして宏樹は近所の悪ガキどものリーダーだった。

 

 ある時、あたしはしぃちゃんが「親なし」と苛められているのを目撃した。


 許せなかったね。何故ならあたしにも母親が居ない。だからどうしたって言うんだ。あたしは、苛めの主犯格と取っ組み合いをして、そして追っ払った。ボロボロになったけど、何とか追っ払った。こうしてあたしとしぃちゃんは友達になった。


「そして、その『苛めの主犯格』が宏樹さんだった……というわけですね?」

「う、うん。まぁ言ってしまえばそういうことなんだけど……」

「その後もずっと?」

「……うん」


 はぁ、もうこれ仕方ないよね?事実は事実だし、因果応報ってやつだ。

 

 美月の言うとおり、宏樹のしぃちゃんへの苛めはそれで終わらず、ずっと続けられた。あたしたちはその度に喧嘩し、対立した。だから高校で再会したとき、緊張が走ったのは確かだ。しぃちゃん、モロにあたしの後ろに隠れてたし……


 だけどあいつは、初日に謝ってきた。「済まなかった」と、だからあたしもしぃちゃんも今は何とも思っていない。しぃちゃんのアレはまぁ条件反射みたいなもんだろう。

 と、これで全て。あとは美月の知っている通り。


「わかりました。有難うございます」

「なぁ美月。宏樹のこと、嫌わないでやって欲しいんだ。あいつ昔はあんなだったけど、今はずっとマシな奴になってるし、美月のこと凄く大切にしてると思う」

「ええ、それは大丈夫です。ですが、もう一つだけ質問させて頂いてよろしいでしょうか?」

「うん。何?」

「宏樹さんは何故、椎子さんを苛めたのだと思いますか?」

「へ?何それ?そりゃ、しぃちゃんの親父さんが亡くなっていたからで……」


 クスリと、美月が笑った。


「よくわかりました。報われなかったのですね。宏樹さんも」

「は?」

「さぁ、もう出ましょう。次の方たちが待っていらっしゃいます」


 はぐらかす様に言い、脱衣所に向かう美月。何それ、わけわかんないんだけど……


「ひかりさん」


 脱衣所で着替えている時、再び美月に話しかけられた。


「なに?」

「人を偽ることは罪なのでしょうか?自分を偽ることは罪なのでしょうか?いえ違いますね」


 自嘲気味に笑い、軽く首を振る。


「多分罪なのでしょう。だからこそ私は――こんなにも臆病になっている」


 言っている意味はわからなかったけど、その微笑みは今までみた美月の表情の中で、最も儚げで弱弱しく――

 そして最も美しい色をしていたようにあたしには見えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る