第9話

「かんぱーい!」

 文化祭が終わり、老田家では打ち上げが開かれた。打ち上げと言ってもいつもの三人に相田を加えた四人で行われている。

「かっちゃん来てくれてありがとう!私が出てたところ見た?」

 藤吾は知らなかったが、相田も招待されていた。直前まで都合がつくか分からなかったので、藤吾にも話していなかった。

「見てたぜ、琥珀ちゃん別嬪だったな!どんなお姫様にも負けないぜありゃあ!」

 ガッハッハといつもの調子で笑う相田。

「か、かっちゃんは、ど、どこで見てたんですか?」

 相田はそれは目立つ見た目をしている。しかし藤吾は会場では見かけなかった。

「いやあ結局行くのがぎりぎりになってよ、大分後ろの席に居たのよ」

 それから相田は劇だけ観賞して帰ったので、藤吾達と顔を合わすタイミングがなかったと言った。

「それにしてもいい劇だったぜ、俺には話の良し悪しは分からんが、熱の入ったいい出来だった」

「ありがとかっちゃん、さ、飲んで飲んで」

 琥珀は機嫌よく相田にお酌する。相田はそれ以上にご機嫌でガッハッハと笑った。

「お、老田さんも」

 藤吾は老田にお酌しようとしたが、老田はそれを手で制した。

「俺はもういい、それより藤吾はどうだ?」

 逆に老田に促される。藤吾はあまり酒を飲まないので一杯だけもらって飲んだ。

「おいちゃんも藤吾さんも今日は来てくれてありがとう!」

「ああ、俺も楽しませてもらったよ」

 藤吾の目から見ても老田は楽しんでいた。あまり表情にでない人だから珍しいくらいだと藤吾は思っていた。

「ぼ、僕も楽しかったです。す、すごく見事でした」

 琥珀は嬉しそうに笑って、劇の一幕を演じ始めた。それに相田が乗っかり王子役をやる。その大根役者ぶりを老田に指摘され、皆可笑しくて笑い転げた。

 そんな大騒ぎを終えて、打ち上げはお開きとなった。老田は酒を飲みすぎて千鳥足の相田を家まで送り届けてくると肩に手をまわして送っていった。残された藤吾と琥珀で後片付けを始める。

「藤吾さんこれもお願い」

 台所で皿洗いをしている藤吾に、琥珀がお皿をまとめて運んでくる。

「あ、ありがとうございます。そ、そこに置いてください」

 藤吾の姿を琥珀がじっと見つめる。視線に耐え切れなくて「何ですか」と藤吾から声をかけた。

「ああ、ごめんごめん。藤吾さんどの家事が手慣れてるから、一人で全部やってたのかなって思ったの」

 琥珀はもう藤吾の事情を知っている。藤吾の父親が家事をするような人ではないと思ったのだ。

「そ、そうですね。あ、あまり手際よくありませんけど。で、できることはやらなくちゃって覚えました」

 藤吾はそれをどうとも思ったことがない、父は仕事にでる以外は酒を飲んでいるか博打に勤しんでいた。その姿しか見たことがない藤吾は疑問にも思わない。

「藤吾さん、今日はもう疲れちゃったから。明日また思い出交換をしない?」

 琥珀の提案に藤吾は勿論と返した。藤吾には早く確認したい事があった。


 次の日の夜、先に待っていたのは藤吾だった。手にはあまり使わなくなった筆談用のノートを持っていた。

「それ、なんだか懐かしいね」

 藤吾の後ろから琥珀が声をかけてくる。

「す、少し懐かしくなって持ってきました」

 琥珀が座るのを待って藤吾が言う、見せてと頼まれてノートを手渡す。

「こうしてみると沢山話したね」

 ノートに書かれていることは、確かに残る会話の証、藤吾も琥珀と一緒になって覗き込んで見る。

「さ、最初の方は老田さんとの会話でよく、つ、使ってますね」

「ホントだ。何か理由あるの?」

 藤吾は少し申し訳なさそうに言った。

「じ、実は顔がこ、怖くて緊張してしまって」

 二人は顔を見合わせて笑う、この夜が続けばいいと二人は同じことを思っていた。


 老田と暮らし始めたころ、琥珀は外の世界に馴染めなかった。周りの人間は琥珀の事を気にかけて手を焼こうとする。しかし琥珀は老田にしか心が開けなかった。

 来る日も来る日も家に閉じこもり、精神的に不安定になると老田にくっついて離れることが出来なかった。そんな琥珀を老田は根気よくなだめてあやし、泣き止むまでずっと付き添った。

 そんなある日、老田は琥珀を連れて外へ出かけた。嫌がる琥珀を無理やりにでも手を引いた。琥珀は最初は恐ろしくて泣いて嫌がったが、老田が真剣な顔をして「どうしても」と言うので、その大きな手のひらをぎゅっと握り返した。

 そうしてたどり着いたのは、琥珀が置き去られたあの場所であった。


「そ、そんな」

 話の途中でも藤吾は言わずにはいられなかった。幼い琥珀にその仕打ちはあまりにも酷いのではないか、老田はいったい何を考えているのか、藤吾は憤りを隠せなかった。

「こ、琥珀さんは、とても傷ついたのに!そ、そんな」

 藤吾は手を引かれていることに気が付いて琥珀を見た。いつの間にか立ち上がっていたらしい、座っている琥珀を見下ろしていた。慌ててまた隣に座る。

「ありがとう藤吾さん怒ってくれて、あの日の私に教えてあげたい。あなたのためにこんなに親身になってくれる人がいるよって」

 琥珀は優しく藤吾を見つめた。その顔を見て藤吾も落ち着きを取り戻す。

「大丈夫、おいちゃんも理由があってそうしたの。続き聞いてくれる?」

 互いに一息ついて、琥珀はまた語り始めた。


 琥珀は泣き叫んでその場から逃げ出そうとした。悲しくてそうしたのではなく、ただその場所が恐ろしく感じた。しかし琥珀は動けなかった。足が震えて進めなかった。

 老田はしゃがんで琥珀の目線に自分を合わせる。そして両手を包み込むようにしっかりと握りしめて言った。

「この場所は俺と琥珀が出会った場所だ。母親と別れた場所じゃない、俺が琥珀と出会えた場所なんだ。お前の小さな手を握った時、お前の震える体を抱きしめた時、俺は琥珀のためにできることなら何でもしたいと思った。ここを悲しい記憶の場所にするんじゃない、心を救う場所に変えるんだ。俺はここで今約束する。俺は生涯琥珀の味方だ。俺は琥珀の本当の親にはなれない、だけどいつまでも味方のおじさんだ。琥珀、俺の事をおいちゃんと呼べ、おじさんって意味の名前だ。一生琥珀の味方のおじさんで、俺はおいちゃんだ。呼ぶたびにそれを思い出すんだ」

 琥珀はその話を聞きながら泣いていた。話しながら老田も泣いていた。二人はその場所で家族になった。


「ちょっと、藤吾さんが泣いてどうするの」

 琥珀にそう言われても、藤吾の目から涙が止まらなかった。そんな様子の藤吾を琥珀は背中を撫でてなだめた。

「こ、琥珀さんが、あ、あの場所を大切に思っていたのは、そ、そんな理由があったんですね」

「そうだよ、私の秘密の場所。誰にも私から話したことはないの。勿論事情を知っている人はいるよ。だけどあの場所での思い出は私の大切な秘密」

 琥珀は自分が捨て子であることを誰にも言わなかった。秘密とは、別れと出会いと家族についての秘密だった。

「さあ藤吾さん、次はあなたの番だよ」

 藤吾は大きく息を吸い込む、そうして空を見上げたら今日の月が満月だとようやく気が付いた。吸った息を吐き出すように藤吾もまた思い出を語り始めた。

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