第7話
夏は終わり、それでも残暑はまだ厳しく日差しは肌を焼く、老田から貰った麦わら帽子を被り藤吾は畑に出ていた。相田は自分のもつ田んぼで忙しそうにしている。藤吾も手伝いに行く予定だ。
「藤吾ちゃんこんにちは」
「あ、な、中田さんこんにちは」
散歩に出ていた中田が藤吾に声をかけてきた。
「藤吾ちゃん畑仕事が様になったねえ」
中田がしみじみと言う、散歩中に何度も挨拶を交わしてきた。中田は藤吾を子供や孫のように思っていた。
「ちょっと時間とれるかい?」
特に用事もないので、藤吾は頷いた。
「よかったら婆のお茶に付き合ってくれないかしら」
「え、ええ僕でよければ」
それから藤吾は中田の散歩道に付き合って歩き、そのまま中田宅へ向かった。
中田の家は老田家と同じかそれよりも古い、それでも隅々まで掃除が行き届いていて整理整頓がなされている。中田の綺麗好きできっちりとした性格が表れていると藤吾は思った。
「こんな婆に付き合って貰っちゃって悪いわね。ちょっと誰かとお話したい気分だったのよ」
中田はお茶と、山盛りにお茶菓子の個包装を載せた大皿をキッチンから運んできた。
「遠慮せずにどんどん食べてね!」
ここまで出されて手を付けないのは失礼だと思い、藤吾は取り敢えず4個取って目の前に置いた。中田はお茶を一口飲んでから話し始めた。
「私はこの村にずーっと住んでてね、昔はもっと家もあったのに今じゃすっかり寂しくなったのよ」
藤吾は興味深く耳を傾けていた。
「結婚して3人子供ができて、毎日が目まぐるしかった。その子達も皆それぞれの場所に巣立っていった。しばらくは旦那と二人暮らしをしていたけど病気で一足先に逝ってしまったわ」
中田が話す事は今まで聞いたことのないことばかりだった。
「な、中田さんは今寂しくないですか?」
藤吾は思いきって聞いた。この家で一人で過ごすには少し寂しいと思ったからだ。しかし中田は顔のシワを寄せて笑った。
「心配してくれてありがとう藤吾ちゃん、でも私はそれを寂しく思ったことは一度もないのよ」
中田の笑顔も言葉も本心からのものだった。
「ごめんなさいね、突然こんな身の上話聞かせてしまって。時々無性に誰かに話したくなる事があるの」
「い、いえ、とても興味深いです」
藤吾もまた本心からそう思っていた。中田はますます柔和な笑顔になった。
「貴方みたいな子がこの村に来てくれてよかった。例えそれがどんな理由でも私は嬉しいわ」
藤吾は「えっ」と驚いた。
「誰かから聞いたとかじゃないわ私の推測。藤吾ちゃん突然現れたでしょ、そしていつの間にか志郎のところにいて、真っ暗な顔でぼんやりと遠くを眺めてた。最初はちょっと怖くて声がかけられなかったわ」
来たばかりの自分はそんなだったのかと藤吾は思った。
「でも今こうして一緒にお茶を飲んでお話ししてる。声も少しずつ出るようになってるわ。藤吾ちゃんが生きるために頑張っているからね」
「そ、そんなこと、な、ないです。こ、琥珀さんや老田さん、か、かっちゃんがいてくれたから」
「それでも、協力を受け入れる事はどんなことよりも難しい事もあるのよ」
藤吾ははっと気がついた。自分が打ちのめされた後、周りの人達が手を差しのべようとしてくれていた事。そして自分がその手を握り返すことができなかった事を。藤吾には死を望み破滅する事しか頭になかった。
「藤吾ちゃん最近私思うの、そろそろお別れの日がくるわ。病気してるとかじゃないの、ただの予感」
「そ、そんな、せ、せ、せっかく仲良くなれたのに」
藤吾の悲しそうな顔をみて、逆に中田は嬉しそうに笑った。
「ありがとう、ありがとうね藤吾ちゃん。でもいつかは訪れる事、悲しむことはないわ。藤吾ちゃんと出会えたのも私には幸せな思い出になるわ」
中田は藤吾の両手を握った。
「藤吾ちゃん、幸せも大切なものもいくらでも見つけられる。過去や引け目を生きる足枷にしては駄目」
藤吾は何も言えなかった。ただ中田の暖かい手のひらを一生忘れることはないと思った。
それから二人は談笑を楽しんだ。帰り際「またお話しましょうね」と中田が言って、藤吾は「はい」と力強く答え千切れるほど手を振って別れた。
「中田さんそんな事言ったんだ」
夜、琥珀との時間に藤吾は今日の出来事を話した。琥珀が寂しそうな顔で俯いたので藤吾は慌てて言い添えた。
「で、でもまだまだな、何十年だって生きるってい、言ってました」
中田がやっていたように藤吾もガッツポーズをすると、琥珀は安心して顔をほころばせた。
「そうだね!あんなに元気だし、悲しんじゃ駄目って自分が言うんだもんね」
藤吾は笑顔で頷いた。
「お、思い出交換始めますか?」
「ん、そうしようか」
二人は夜空を見上げた。雲はかかっているが明るい空だった。
老田に拾われた琥珀は1日目を覚まさなかった。目が覚めたとき心配そうに覗きこむ老田の顔が見えた。幼い琥珀は迫力のある老田の顔をみて驚いて泣いてしまった。老田はそんな琥珀をなだめるために頭や背中を撫でてぎゅっと抱き寄せた。琥珀が泣き止むまで老田は根気よくそうしていた。長い時間が経ち琥珀が泣き止むと老田は心底安心した顔で琥珀の頭を撫でた。
事情を聴かれた琥珀は、子供の頭で伝えられるだけの情報を、精一杯の表現で話した。話を聞き進める度に険しい顔をする、老田は様々な関係各所に連絡し、大人たちが琥珀のもとへやってきた。
代わる代わる訪ねてくる大人に対応して、幼い琥珀の心はすっかり疲れきってしまった。虚ろな目で無気力状態になってしまった琥珀を、老田は親身になって支えた。
当時の幼い琥珀には伝えられなかったが、両親共に行方不明で、それ以外の身寄りもないことが分かった。琥珀は児童養護施設へ入所する事に決まりかけた。しかし琥珀はそれを激しく拒絶した。これ以上大切な人から離れることは琥珀の心が耐えられなかった。
琥珀は言葉も行動も荒れ果てた。自傷行為やヒステリーも起こして、その度に老田がなだめる。老田は覚悟を決めた。琥珀を引き取って育てること、家族に迎えいれることを決意した。
「おいちゃんは私を引き取るときすごく苦労したんだって。子供をただ引き取るって簡単な事じゃないみたい」
「そ、それは、そうですよね、きっと」
藤吾も詳しくは知らないが、養子などに高いハードルがあると紹介しているテレビのドキュメンタリーを目にした事がある。
「だ、だけど今琥珀さんはここに居ます」
藤吾の言葉に琥珀は耳を傾ける。
「ぼ、僕は、今、琥珀さんが笑顔で過ごしている。こ、この家で幸せそうにわ、笑っている事実が大切なんだと思います」
藤吾の言葉が嬉しくて、琥珀は泣きそうになる。ぐっとこらえて笑顔を作る。
「ありがとう。私も同じ気持ち、おいちゃんに救われてよかった。私の本当に本当の気持ち」
琥珀は夜空を眺めた。雲で隠れた星が一つだけこぼれて光輝いていた。
藤吾の家にはとにかくお金が無かった。あっても父が無駄に溶かすばかりで貯まることは無い、しかし博打は数打つと当たることもある。そんな時父は気分よく泥酔して、勝った金額にも頓着しない、藤吾はそんな時を見計らって少しずつお金を貯めて、必要な支払いに備えていた。
それでも極貧は避けられない、働くことのできない子供の時には、大人にくっついて手伝えることを探し、お駄賃としてもらえる少ないお金を貯めてやりくりをしていた。
学校で揃える物や必要になる集金にお金は消えていく、藤吾はそれでも住む場所だけは守りたくて奔走した。機嫌が良いとき父は優しいこともあった。殴られて怪我をしても、貰ってきたお駄賃を渡した時は誉めて頭を撫でてくれた。家を守ることは藤吾にとって父と過ごす日々を守ることだった。それがどれだけ藤吾の心を犠牲にしようとも、それがすべてだった。
「ぼ、僕はじ、自分でも不思議ですが、父を、あまり恨んだ事がありませんでした」
それを聞いて琥珀は驚いた。
「何で!?藤吾さんの事殴ったり、苦労して貯めたお金を無駄遣いしたり、酷いよ!」
憤る琥珀とは裏腹に藤吾の顔は穏やかだ。
「あ、ありがとう琥珀さん、僕のためにお、怒ってくれて。そ、それだけで救われる気がします」
それでも琥珀はまだ納得がいかなかった。藤吾の表情は諦念が入り交じったように見えた。
「藤吾さんはもっと怒って欲しいよ、いつか心が本当に限界で壊れちゃう」
「そ、それは、そう、そうですね」
琥珀の指摘は藤吾がまさに懸念している事だった。
「そ、それでも今は生きることを楽しいと思っています。そ、それに中田さんからも教えてもらいました。し、幸せも大切なものも見つけられるって」
藤吾は自分の言葉にずきりと胸が痛む、本心からの言葉ではあるが本意ではない、ましてや琥珀には伝えたくない言葉でもあった。
「そっか、そうだね。私もそう思う、藤吾さんにとっての大切を見つけようね」
琥珀は突然「あっ」と声を上げて立ち上がった。藤吾に待っててくれと伝えて部屋へ戻り、手に一枚の紙を持ってきた。
「藤吾さん、私の学校文化祭があるの。私演劇の舞台に出るの、主役とかじゃないけど、見に来てくれる?」
「ぼ、僕がい、行っても大丈夫なんですか?」
琥珀は「勿論」と返事した。それならば藤吾に断る理由はない、楽しみにしてますと言うと琥珀は諸手を挙げて喜んだ。
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