八膳目

第23話 交渉には卵サンドヰッチと青豆のスープ・上

 今日は、急がないといけない。客が来る前に、支度したくを終えておかなければならないからだ。幸い、尋常小学校は休み。何時ものように朝飯を済ませると「待ってよぅ」とぼやくしのの手を引っ張り、店が開く時間になると走る様に買い物に向かった。食パン、朝取りの新鮮な卵、牛乳、バタ、新しい菜種油。これが、今日絶対に必要だった。この時代、アンパンが出来たのとビール酵母でパンを作る製法が出来て、食パンとアンパンがパンを表す代表的な言葉になっていた。でも今回は、食パンを使う。

「何を作るの?」

 不思議そうなしのに、俺は風呂敷に包んだ買い物を落とさないように気を付けながら笑い返した。

「卵のサンドヰッチと、青豆のスープだよ」

 しのは、少しきょとんとした顔をしていた――そうか、もしかしたらサンドヰッチを知らないのかもしれない。

「食パンに、食材を挟んで食べるんだ。余ったら食わせてやるから、楽しみにしてな?」

「うん!」


 まだ、おっかさんが寝ている時間だ。俺達はなるべく静かに準備を始める。時間がかかるから、仕方ない。何故時間がかかるかと言うと――マヨネーズを作る為だ。

 この時代、まだマヨネーズは普及していない。俺も正確に覚えていないが、大正になってからだったと思う。

 洋食の本でこの時代の卵サンドヰッチの作り方を見たが、茹でた卵を荒く切り辛子を混ぜて、バタを塗った食パンに挟んだだけの簡単なものだ。

 マヨネーズを作るなんて、この時代の日本の時代に合わないものだと分かっていたが――あの人は洋食が好きそうだし、何とか誤魔化ごまかそう。俺は、今回の交渉に俺達長屋の人間の未来がかかっていると、頑張る事にしたのだ。マヨネーズにこの交渉はかかっている、と言ってもおかしくないのだ。


 しのに干した青豆を水で戻して貰っている間に、俺はまずマヨネーズを作る準備をしていた。本来なら乳鉢で作るのだがこの時代で簡単には見つからず、すり鉢で作る事にした――うまくいくだろうか。若干の不安はあった。

 マヨネーズは、仏蘭西ふらんすが発祥とされている。洋食の基礎は、大概仏蘭西か伊太利亜いたりあだ。実践的な料理と共に、軽くその料理の歴史も叔父さんに教えて貰っていた。サンドヰッチと言えば、英吉利えいぎりすのサンドヰッチ伯爵を思い浮かべる人が多いと思うが、歴史的には古代ローマあたりまでさかのぼる位古い。

 勿論、調理法はその時代により違う。調味料や食材が、その時代にあるものに限られるからだ。しかしそれよりも、俺はこの時代に来て初めて使ったすり鉢の有能さに驚いた。一人でするには不便だが、俺の傍にはしのがいる。だから、これは俺達の絆で使える品物だ。

「さて、しの。マヨネーズを作るぞ、手伝ってくれ」

「まよねぇず……?」

 不思議そうな顔のしのが、首を僅かに横に傾けた。


 生卵には、サルモネラ菌という食中毒になる菌が付着している事も多い。俺は朝取りの卵をわざわざ買いに行き、用心しながら割った。殻が中に入らないように、中身は殻を触った手で触れないように気を付けて。二個卵黄をすり鉢に割入れて十分に手を洗うと、塩と菜種油、酢を用意する。

「混ぜるから、しのはすり鉢押さえててくれ」

「分かった」

 手作りマヨネーズは、叔父さんの店でも作っていた。レモン汁を使う時もあったが、酢でも大丈夫。卵黄の入ったすり鉢に、塩を二つまみ位、酢はさじに一杯と少し入れて、ゴリゴリと混ぜる。分離していたそれらがもったり合わさってきたら、菜種油を入れていく。

 乳化、という作業だ。元々水と油は混ざらない。酢と油は混ざらないので、しっかりゆっくり混ぜていると乳化という現象が起きて混ざる筈ない水分と油が一時的に混ざるのだ。科学的にはもっときちんとした説明があるのだろうけど、俺はそんな風にしか覚えていない。

 湯飲み一杯ぐらいの油を、ゆっくり少しずつ入れながら俺は根気よく混ぜていく。ボトルがあればそれを振れば出来る。ホイッパーがあればそれで混ぜる方が早いだろう。しかし、この時代の庶民の家にはそんなものは無い。俺はしのと協力して、マヨネーズを作る。


「よし、こんなもんかな?」

 オリーブオイルを使わず菜種油を使ったので、少し黄色みが強い。俺は擦り棒についたマヨネーズを指ですくって舐めてみた。

 ――うん、俺が知っているマヨネーズと変わらない。ほとんど計量せずに適当に作ったが、案外ちゃんと出来るもんだな。

「ねえ、ねえ!」

 俺がしみじみと感心していると、しのが俺の着物のお袖を引っ張った。

「あたしも! あたしも舐めたい!」

 食いしん坊らしい言葉に、俺は小さく吹きだした。それから、同じようにマヨネーズをすくって、しのの顔の前に指を差し出した。

「――んー!」

 それをすかさず舐めたしのは、驚いた顔から嬉しそうな顔へと表情を変えた。

「お酢が入ってるのに、あんまり酸っぱくないね! 卵の甘さとか少し塩気も感じて美味しい! これは、洋食のそーすと同じもの?」

「ああ、そうだよ、これに、具を混ぜてサンドヰッチを作るんだ」

 俺の話を聞いていたしのは、嬉しそうにニコニコと笑っている。

「やっぱり、兄ちゃんの料理はすごい! 今日、絶対成功するよ!」

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