一話 おにぎり

 ……ついついプロローグを読み飛ばした人も多いだろうから、まずはここまでのおさらいをしよう。勇者ルイスは千年の時を越え、召喚した精霊姫プリマリアと共に旅を始めた。そして通りがかった商人ウルマーの馬車に乗せてもらい街へ向かう。

 その道中ルイス達はウルマーにおにぎりをごちそうしてもらう事になったのだが……差し出されたのはどう見ても真っ黒な土くれにしか見えない物だった。


***


「なんだこれは」

「なんだこれは」


 土くれのような何かを見た瞬間、ルイスとプリマリアはそう言い放った。

 しかしウルマーはなおも自慢げな表情で土くれっぽい何かを差し出してくる。


「なにって、妻の作った特製おにぎりですよ! ささ、お一つと言わずいくらでもどうぞ!」

「あ、あのウルマーさん……。このおにぎり、何か味とか、具がついてるんですか? どう見ても、土っぽい何かが付着してる……と言うかむしろ土そのものなんですが……」


 プリマリアは恐る恐る、ウルマーに尋ねる。


「いえいえ、我が家のおにぎりは百パーセント国内産の米のみを使用した、素材の味にこだわったおにぎりです! 味付けなど一切しておりませんよ!」

「味付けしてない米に何をすればこんな真っ黒に仕上がるってんだ」


 ウルマーの発言に、プリマリアは思わず江戸っ子口調でツッコんでしまった。


「とにかく、食べてみればおいしいですから。妻の最高傑作です、どうぞ召し上がってくださいませ!」

「プリマリア。一応食べてみよう。ウルマーさんの好意を無駄にしてはいけない」

「う、うーん……。そうですね、食べてみたらおいしいかもしれませんし」


 ルイスとプリマリアは恐る恐るおにぎり……と呼ばれた真っ黒な得体のしれない物を掴む。おにぎりを動かすとぽろぽろと黒い埃のようなものが零れ落ち、指にも真っ黒な何かがこびりつく。プリマリアは思わず顔をしかめた。


「いただきます」

「い、いただきまーす……」


 そして二人はおにぎりを口に運び、一口……。



「……まっず!!!!!!????」


 真っ先に大声で反応したのはプリマリアだった。ねばりつく苦み、ひりひりする痛み、すっぱいというかむしろトゲみたいな刺激を感じる酸味、そしてとことん押し寄せるまずみ、まずみ、まずみ。プリマリアの全身は今までに味わったことのない拷問のような味に、激しく拒絶反応を起こした。汗と涙が吹き荒れ、手足は痙攣し、全身の体の色は明らかに健康的ではない変な色になる。そしてプリマリアはしばしの間その場をのたうち回った。


「あああああああ!? まずいまずいまずいまずいまずいまずいまずい!! まずいまずいまずいまずいまずいまず

「いかがですか? 妻の作った特製おにぎり、おいしいでしょう?」


 のたうち回るプリマリアを見ながら、ウルマーはにっこりとほほ笑んでそう言った。心の底からの笑顔だったのだろうが、プリマリアから見れば悪魔のほほえみにしか見えなかった。


「どこがだー!? なんだこのまずいのレベルを越した危険物はっ! 思わず天国が見えるところだったよ!」


 温厚なプリマリアだったが、さすがのまずさに思わずぶちぎれた。お目目は真っ赤、青筋が至る所に浮かび上がっている等、興奮のほどがうかがえる。


「なにって、スタンダードなおにぎりですよ。妻の特製ですから、愛情はひとしおですけどね」

「この劇物が愛情であってたまるか! あなた、命狙われてるんじゃないですか!?」

「何を言ってます! 出来立ての時はシューシュー音を立てた活きのいいおにぎりだったんですよ!? これ以上の愛情は他にありませんよ! ささ、もっと食べてください」

「おにぎりはシューシューなんて音は立てないっ! そんな訳分からない物これ以上食べるわけないでしょう!」

「そんなもったいない。二か月前に妻が頑張って作ったのに……」

「……期間もアウトじゃないの!? そんなに経ってたら、普通のおにぎりは腐っちゃうって!」

「腐らないよう妻が頑張っていましたからね。凄いでしょう?」

「むしろ防腐のために何を入れたんだ奥さんは……!?」


 プリマリアは必死におにぎりとは思えない「それ」にツッコミを入れるが、ウルマーはただただ妻の自慢を語って聞き入れようとしない。

 そしてあろうことか、ウルマーは残ったおにぎりっぽい危険物の一つを掴み、それをもしゃもしゃと食べ始めた。


「まったく。こんなにおいしいのに食べないだなんてもったいない。うーん……」


 ウルマーは笑顔で食べ続ける。彼の顔は笑顔のまま、目は真っ赤、鼻水は垂れ、涙がぽろぽろとこぼれ、呼吸はどんどんハァハァと音が激しく、全身から汗が吹き出し、手足は痙攣し、全身の体の色は明らかに健康的ではない変な色になった。


「いや、明らかにあんたも拒絶反応起こしてんじゃねーか!? もう食べるのやめろや!」


 プリマリアが慌てて叫んだ。必死すぎてもう口調から姫らしさすらない。


「だいじょーぶれふ。おいひいれふ」

「呂律も回ってない! 絶対アウトだこれ!?」

「何を言います。妻のおにぎりがまずいわけがない……おえっぷ……じゃないですか。まずいわけがないまずいわけがないまずいわけがないまずいわけがない」

「完全に吐きそうだし、思考もバグっている! 危険物以外の何物でもないよこれ!」


 プリマリアは慌ててウルマーを介抱しようとするが、ウルマーは必死に土くれおにぎりを飲み込もうとしてやめない。馬車内はちょっとしたパニック状態となった。


「……なんだこの粗雑なおにぎりは。もぐもぐ」


 すると、ずっと黙っていたルイスが土くれおにぎりを食べながらぽつりとそう言った。プリマリアはルイスのほうに顔を向ける。


「る、ルイス様。大丈夫ですか!? そのおにぎり擬態危険物を食べて、お体に障りませんか!?」

「大丈夫だ。それよりもこのおにぎりを見てくれ。お前でも作りが荒っぽいのが分かるだろう?」

「あ、荒っぽいというか……殺意すら感じますね」

「おにぎりの構成を解析する魔法を使ってみたが、驚いたよ。素人でもここまでひどいおにぎりが作れるのかってくらい、構成が破綻していた」

「破綻しているのは納得ですが……おにぎりの構成を解析する魔法って。やけにピンポイントな魔法ですね」

「なによりひどかったのは、おにぎり術式の構文がきちんと書かれていない上長ったらしい事だった。これではいちいちおにぎり詠唱しなければ作れないじゃないか」

「おにぎり術式ってなんですか。おにぎり詠唱ってなんですか」

「それに込められたおにぎり力も均一ではなかった。きっと体内のおにぎりポイントを無駄に消費してしまったのが原因だな」

「おにぎり力ってなんですか。おにぎりポイントってなんですか」

「評価できる点は、空気中のおにぎり素を取り込みやすいから誰でも作れるところか。だがこれくらいなら、俺がもっと改善しておにぎりパーセカンドの安定したおにぎりを作ることができるだろう。ひどいもんだ」

「すみませんルイス様! よくわからない専門用語言うのやめていただけませんか!?」


 ルイスはプリマリアに対して、このおにぎりがいかにひどいものだったかを熱く語った。しかしよくわからない初出の専門用語らしき単語まみれだったため、プリマリアにはちんぷんかんぷんだった。


「ウルマーさん。炊き立ての米はあるか」


 ルイスは突如その場から立ち上がり、ウルマーに米があるか尋ねた。

 

「は? いちおうありますが……。何をするおつもりで?」

「俺がおにぎりの手本を作る」


***


 ……馬車の奥から炊き立ての米が取り出され、ルイスの目の前に置かれた。ルイスはじっと米を見つめる。


「あの。なんで馬車の奥に炊き立ての米があるんですか。普通、炊き立ての状態で運べないですよね?」


 とプリマリアがツッコむも。


「静かに。今集中している所だ」


 とルイスは一蹴した。プリマリアは不服そうに黙る。


 そして数秒の沈黙が馬車内に訪れ……ルイスは動いた。


「……<<第五おにぎり術式>>」

「第五おにぎり術式って何」


 ルイスが一言呟くと、彼はおにぎりを握り始める。目から独特の輝きが放たれ、手からはぎゅむ、ぎゅむと音が鳴る。プリマリアのツッコミも入ったが、そのまま無視された。

 そして米の横に用意された皿の上に、にぎった米を乗せると……。


「……おぉ」


 そこにはやや丸みを帯びた正三角形のおにぎりが出来上がっていた。そのおにぎりは白く、そしてとても艶やかであった。その出来栄えに、ウルマーはおもわず息を飲む。


「……普通のおにぎりですね」


 プリマリアが思わず率直な感想を述べると、ルイスは自慢げに返事をする。


「あぁ。普通に<<第五おにぎり術式>>を使って作った」

「いや、普通に握っただけですよね。第五おにぎり術式ってなんだったんですか」

「第五おにぎり術式とはおにぎり術式の基礎となる大事な術式だ。旧式のおにぎり術式はおにぎりエンチャントが多重にかけやすいから強力だが、おにぎり暴走(ストーム)が起こってしまう可能性があり初心者がケガをしてしまう恐れがある。それにおにぎりポイントも大きく消費されおにぎりロストが起きる可能性も高かった。その分、第五おにぎり術式は安定している。旧式のおにぎり術式よりおにぎりポイントの消費が低くそしてなにより空気中のおにぎり素も安定して取り込むことができるんだ。いちおうおにぎりエンチャントがかけづらいからおにぎりテイストが少なくなりがちという弱点もあるんだが、俺が編み出したおにぎり理論を使用した多重おにぎり構文を使えばその弱点をフォローすることもでき

「もういいです! もういいです! よくわからない専門用語もういいですからっ!」


 ルイスは再びよくわからない説明をつらつらと語ったが、プリマリアは必死に制止した。とにかくなんかすごいことをしたのだろうが、プリマリアには結局わからない。わかりたくもない。


「ルイスさん、このおにぎりを食べていいですか? 私、こんなおいしそうなおにぎりを見るのは……いえ、こんなおいしそうな昼食を見るのは初めてです!」


 ウルマーはわくわくした様子でおにぎりを指さす。プリマリアが思わず「どんな食生活してたんだろうこの人……」と呟く横で、ルイスはにかっと笑う。


「あぁ。あんたに食べてもらうために作ったんだ。是非食べてくれ」

「で、では早速……」


 ウルマーがルイスの作ったおにぎりを掴む。


「おぉ。掴んでも指が黒くならないおにぎりなんて初めてだ……いままでのおにぎりは掴んだら指が真っ黒になったと言うのに……」

「いままでのおにぎりがひどすぎる」

「それに米の香りがする。いままでのおにぎりは刺激臭しかしなかったのに……」

「いままでのおにぎりがひどすぎる」

「それに、破裂する気配もない……こんなおにぎり、本当に初めてだ……」

「いままでのおにぎりが本当にひどすぎる」


 ウルマーはおにぎりを掴んだだけで喜びの感情をあらわにし、今までのおにぎりと比較し始めた。あまりにトンチンカンな比較だったのでプリマリアのツッコミも当然飛ぶ。

 そしてウルマーはおにぎりを口に運び、一口……。



「うまい……。おにぎり神の奇跡だ……」



 ウルマーの表情は、これまで以上の最高の笑顔に包まれた。ちなみにプリマリアは「おにぎり神ってなんだよ」と呟き渋い表情をしている。

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