「鴉からの頼まれ事」

九々理錬途

第1話

不眠、乖離、離人、幻覚、幻聴、抑うつ、パニック。

精神がフルコンボ状態の僕の今も忘れられない出来事を聞きたく無いかもしれないが、聞いて貰おうと思う。


まず最初に言いたいのだが、僕には霊感というものは無い。

世の中でお化けやら幽霊と言われているものに出会ったことが皆無である。


金縛りにあったこともなければ、目を覚ますと老婆が腹部に跨っていたなんてことは体験したことは無い。亡くなったジイサンと廊下ですれ違ったことも無ければ、部屋の本棚の本が飛び出して宙を舞うなんて状況に直面したこともない。


そんな僕の体験は唯一話した人からは頭のイカれた妄言ですね、で片付けられてしまった。


ただ、どうにも忘れることが出来ない一件で、僕にしてみると随分大切な話であることは間違いがないのだ。


◇◇◇


僕には猫のトモダチがいる。

トモダチと相手が思ってるかは不明だが、大事な猫のトモダチがいるのだ。


僕はその当時に嫌な顔をされつつその話の舞台となる家に居候として住んでいて、その家の一室で仕事を探しながら猫と寝食を共にしていた。窓からは墓地が見えており、鬱蒼と杉林に覆われた墓石は、夜になると木々の隙間から射す月明かりに照らされて鈍く照るのが見えるのだ。


墓地だからなのか杉林だったからなのか、鴉の鳴き声は常にしていて、鳴き声と言うより話し声と表現した方が適切な程度で声がしていた。


何かの本で読んだのだが、鴉には墓守の役目を持ったものが居て、墓に入った故人を天へ導き、又、墓地という場所を守護する役目を担うと書かれていた。


それが事実かどうかは鴉に聞かなければ解らないが、僕は何となく、墓地の付近に居る何羽もの鴉は墓守なのかなと思っていたのだ。


鴉というと害鳥だとか、ゴミを荒らす無法者のイメージが大きいが、一度、大嫌いな兄の不手際で猫が家の外へ出てしまったことがあった。腹が減れば帰って来ると適当に言われたが、病気を患っている為、小さな怪我でも致命傷になってしまう状況なのだ。薬も飲ませなければならない。


多分、日常的に共に居ない人間には重大なこととして受け止める事柄では無いのだろう。猫は外で自由にさせておくものだと考えている人間からすれば、慌てふためいている僕は滑稽に見えただろう。


僕は日暮れどきに半泣きになりながら杉林周辺と墓地付近、農道とも呼べない獣道を必死に探し回った。その時に鴉が頭上から大きな声で鳴いた。姿は見えない。僕は藁にも縋る思いで、その鴉に「猫が居なくなった。黒い猫なんだ。見つけたら教えて欲しい。お願いだ。病気なんだ。怪我をしたら死んでしまうんだ、お願いだ」と、他人が聞いたら笑われる様な所業なのだろうが、涙でべとべとの顔を拭いながら叫んだのだ。


その後のことだ。

鴉が鳴くのだ。

目視は出来ないが、頭上から何度も何度も。

一羽が鳴いて、次は別の場所から一羽が鳴く。

数羽の鴉が順番に声を出しているのだ。

連なるように鳴く声に、僕は頭上を見上げて「探してくれてるの?声のする方へ行けば良いの?」と、これまた大声で見えない頭上の鴉に声を掛けた。


もちろん言葉での返答は無い。

ただ伝達の様な鳴き方が何度も続く。

僕はその鳴き声を頼りに杉の林に入った。




◇続

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