リハビリ・ダイバシティ

macbookair

第1話 シリンダーポオル

ある日僕は、街を造った。


それには何の理由もない。人が音楽を聴くように、恋をするように、踊りをおどるように、ただ僕は、純粋に街を造ったんだ。




第1話 シリンダーポオル


 午前五時、僕は屋上までの無限に続くかと思われる長い長い階段を、いつもの馴れた調子で足早に駆け上がっていく。石造りの狛狗が三匹、冷え切った鉄のまな板の上で踊り狂っているような冷たい音が、一定のリズムで僕の頭に響く。


たん、たたたん、たん、たたたん。

たん、たたたん、たん、たたたん。

狛犬のダンス。


「はあ、はあ、今日も長いな、、、この階段、登るたびにどんどん長くなっているんじゃないか?」

 愚痴をこぼしながら、しかし狛犬たちのリズムを崩さないように、無限に続く思われる鉄製の螺旋階段を、屋上目指して駆けていく。毎度のこととはいえ、この長すぎる階段だけはどうしても慣れない。特に徹夜明けの身体にはこたえる。

 どのくらい登っただろうか。巨大な螺旋階段の先に、わずかに光の筋が差し込むのが見えた。光に引き込まれるように残りの階段を登り切ると、荒い息遣いに揺れる肩の前には、ビルの屋上に続く巨大な鉄製の扉がそびえたっていた。  

僕はわずかに残った力を振り絞り、両腕でそれを思い切り押しあけた。

ぎい、ごおおおお、お、お。。


 内と外の気圧差のせいで、強い風がびゅうっと舞い込んだ。思わず僕は目を伏せる。風が収まりゆっくり顔をあげると、そこは銀幕の世界、いや、真っ白なアスファルト。


 ビルの屋上には古ぼけた屋外用のバレーボールのコートが二面、もう何十年も誰も使用していないように見える。ネットをかける為に備え付けられた真鍮のポールは長い間雨にさらされたせいでところどころ錆びついていて、そこには本来備えられているはずのバレーボールネットの代わりに、細い木の枝を何重にも網こんだ、手製のハンモックが二つ、つながれていた。

 僕はハンモックにゆっくりと近づいていき、たゆんだ曲線に手をすべらせる。ハンモックの腰掛ける部分には、何度も着まわされた様子のくたびれたシャツや、見るからに硬そうなタオルが何枚も無造作に垂れかけてあり、そこからは隠しようのない生活感が漂ってきた。

 きゅっきゅっきゅ。僕が歩くたびに、スニーカーがアスファルトに擦れる冷たい音が響き渡る。

 屋上のフェンスはもうずいぶん前に取り壊されていたが、その場所は“荒廃”というよりはむしろ、開放的なニュアンスを含んでいた。彼はそこで、まるで死んだように眠っていた。足を屋上の外に放り投げ、両腕を頭の後ろで組んでいる。僕が昨日の夕方に、ここから出る時に見たのとまったく同じ体勢のまま寝ころんでいるところを見ると、かれこれ15時間は眠っていることになる。

「UJ・・・」

 小さく声をかけてみたが、全く反応はなかった。

 本当に死んでるんじゃないだろうな。少し心配になり、上から覗き込むようにしてUJの顔を見た。

 UJは弱冠十五歳の少年にしては、ずいぶん大人びて見える。真っ黒に日焼けした身体、細いけれど指の先までしっかり鍛えられていて、身長は僕より頭2個分も高い。

 彼の身体はピクリともせず、細くて長い黒髪だけが、気持ち良さそうに風に揺れていた。

 僕はUJを起こさないよう、靴と靴下を脱いで裸足になると、静かに横になった。明け方までの労働に加え、長い階段を登ったせいで硬くこわばってしまった両足を空に放り投げ、そこに広がる景色を眺めた。


 目を閉じて神経を研ぎ澄ませると、風の気配がぐっと強まってくるのが分かる。ゆるやかに空中を行き交う風は、僕の居るところが高くなればなる程より精度を増して緻密になり、心地よく吹きつける。このビルがどのくらい高いかは分からない。ただひとつ分かるのは、ここがこの街で一番高い場所だということだけだ。

 僕は閉じていた目をそうっと開けた。睫毛がふわりと優しく動いて、僕の目蓋分のまるい空気が、紙風船のようにぽおんと空中に舞い上がる。

 ここは街の全てが見渡せるとっておきの場所だ。白くて四角い箱のような閑静な家々が、幾何学的な模様のようにぺったりと街に張り付き、ところどころ思い出したように緑が吹き出している。ふと視線を感じて前方の空に目をやると、明け方のおぼろげな空気の中、シリンダーポオルが高くそびえ立っているのが見えた。たとえば大きい灯台みたいな、もしくは何かのタワーのような、少しさびれた外観の白色ポオル。彼はいつでも、どこでも、僕等を見て街の中心でくる、くる、くる。と回る。シリンダーポオルは生きている。と僕は思う。大切なのは、此処に在るか、無いかなんだ。

 変わらない街。変わらない風景。それは、この不安定な街にずっと生きなければいけない僕を、少なからず、安心させてくれる。



ピリピリピリ、と僕の左腕が鳴った。いつの間に眠ってしまったのだろう、慌てて上半身を起こし、腕時計を見る。午前5時48分。

おや、6時にセットしてあるはずだったんだけど、どうしてこんな中途半端な時間に鳴ったんだ?


 突然、横でぐううっという重くて鈍い音がした。それはまるでよく飼いならされて人にも懐いているはずの狼が、ぐっすり眠り込んでいるその無意識のうちに一瞬垣間見せた、野生の声のようで、僕を怯えさせた。

「UJ?」

 僕は腕時計から目を離すと、隣で眠っているUJの顔を上から覗き込んだ。

UJの黒くて大きな眼は、いつの間にか金魚の口のようにポカンと見開かれ、空に浮かんだ一点を見つめていた。

「…さやか?」

乾いた声で、UJがぼそっと呟いた。

僕はぼんやりとした頭の片隅で、その音をひろった。

さ や か?

「UJ、今、さやかって言った?」

「え?あ、あー…なんか昔の夢見てたわ」

いつものぶっきらぼうな口調でUJが答える。目はやはり空を見つめたままだ。

「…ねえUJ。今頃さやかはどこで何してるんだろうねえ?」

 UJは寝っ転がったまま頭を心持ちこちら側に傾けた。

「なあ、俺は今何をしていると思う?」

「分からないよ」

「横にいる俺のことさえお前はわからない。ここからどこか遠い遠い所にいるさやかのことなんて、俺に分かるわけがないじゃないか」

そう言ってUJは、悲しみに満ちた大きなため息をついた。

 彼はそれきり一言も口を聞かず、アスファルトに寝転がりながら、右から左へと流れてゆく濃度の薄い朝の雲を、ひたすら見送り続けていた。僕も一緒に空を見つめてみたものの、抗えないほどの眠気が徹夜明けの僕の体を襲った。

 三角座りをしながら、腕の中に顔を埋めた。僕は何度かゆっくりとした重いまばたきをした。あと何回か瞬きをしたら、夢の中に落ちる。そんな感覚だった。   

「眠い、僕、一晩中街のパトロールしていたんだ。ひとりでね。昨日、シリンダーポオルが変な信号を送ってきたものだから」

 僕はさっきのUJの冷たい態度への仕返しとばかりに、嫌味をこめて言った。しかしUJは全く意に介す様子もなく、大きな伸びをひとつして言った。

「ふーん変な信号、ねえ。で、パトロールの結果、どうだった?何か街に異常はあったかい?」

「なんにも、なあんにも」

自分で言いながら、その言葉のせいで疲労が余計に増してきたのが分かった。ポオルのやつ、一晩もかけて街を回ったってのに、街にはなんの異変もなかったじゃないか・・・。この街が出来てから、日がなくるくる回り続けて、ついにガタがきたんじゃないか?僕はひとり悪態をつきながら、三角座りからそのまま仰向けにばったりと倒れた。

「あいつ、くるくる回りすぎて、ちょっとおかしくなってるんだよ」

僕の気持に気づいたのか、UJはそう言って左指をこめかみ当て、くるくると回す仕草をした。ポオルはそんな僕らには無関心に、やはり回り続けていた。

「UJだって、ポオルの信号に気づいていたくせに。寝たふりなんかしちゃって」

 僕が不服そうに言い返すと、UJはにやりと笑って言った。右の口角が意地悪くキュッと持ちあがる。

「なんたってここは、お前の街だよ」

 それだけ言うと、UJは寝転んだまま、くんっと鼻で大きく息を吸い込んだ。長時間眠りすぎてこわばっていた彼の体が、新鮮な空気のスパークでパチパチッとはじけたのが分かった。

 UJはそのまま腹筋を使って勢いよく起き上がり、開けたままになっている鉄扉の方に歩いて行った。扉の前までくると再びこちらにくるりと向き直り、ゆっくりとしゃがみこんで、「位置について」の姿勢をとった。その一連の作業は、とても寝起きとは思えないほど、スムーズで美しかった。

「UJ、街に出るの?」

 UJは僕の質問には答えず、その代わりとでもいうように人さし指の第二関節の骨で、軽く地面をコツコツと叩いてみせた。彼は最初の一歩を出すためのふさわしい距離感をさぐりあてると、ぐっと足の右筋肉を伸縮させ、深い密林のジャングルで獲物を見つけた狼のように、今は亡きフェンス目がけて突進していった。

 そのスピードはどんどん加速していき、僕を横切ると同時に、タン、と地面を蹴り飛ばすと、そのままビルの屋上から美しくジャンプした。

朝の閃光がUJの体を照らし、一瞬、時が止まった。


ビルからはるか下の地上から、豆粒くらいの大きさになったUJは僕に大きく手を振ると、そのまま街へと出かけていった。

僕は、今度は上を見上げた。青い空が広がって、いつの間にか街は完全な朝を迎えていた。


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