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スキャンダルは一向に収まる気配はなく、私や瑞穂といった事務方の疲労は相当なものになっていた。当事者である外場悠は、警察の事情聴取などがあって、詳しい事情がマネージャーを通して聞かされるばかりで、対応にも困っていた。


「呼び出すしかないな」


警察に出向こうにも関係各社の対応に追われ、それもままならなかった一ノ瀬さんは、当事者の外場悠を事務所に呼び出すことにした。


「ご迷惑をおかけして、本当に申し訳ありません……」


本人が事務所に姿を見せると、弱弱しい声で事務所スタッフに謝罪をした。

頬はこけて目もくぼみ、隈もあった。食事も喉を通らないと報告を受けていたが、その通りで、かなり痩せてもいた。


「痛々しいけど、同情する気になれない」


瑞穂は起こった顔で言った。事務所にとって大切なタレントだけど、同情する気にはなれない。


「かわいそうだけど、私も同じ気持ち」


温和な一ノ瀬さんの厳しい顔は、仕事でみせる厳しさとは違って、怒りを込めた厳しい顔で、そんな表情を初めてみた私は、少し怖かった。


「桜庭」

「は、はい」

「悪い、会議室で話をするからお茶をお願いできるか?」

「わかりました」


私の横を通り過ぎるとき、ぽんと肩に手を置いた一ノ瀬さんの手が、さっきまでの怖さをなくしてくれた。

会議室にお茶を運び事務所に戻ってくると、瑞穂が待っていたように様子を聞いてきた。


「どうだった?」

「しくしく泣いてた」

「まったく……泣いて済むものじゃないでしょうよ」

「でも、男の人がそこまで泣くなんて」

「違約金も相当な額よ。本人が払うのかな?」

「どうだろうね」


違約金は頭の痛い問題だけど、まだ新人だからギャラも安くて卒倒しそうな額にはならないだろうと、一ノ瀬さんは言っていた。

平穏無事にいままでも来たわけじゃないから、多少の金額は読めたとしても、事務所の売り上げが減るということは痛手になる。


「後で報告会をするって」

「わかった」


処分は重役会議で決まっていた「謹慎処分」となっているのだが、今の話し合いによっては変わるかもしれない。

本人のあの様子じゃ、引退も考えられるけど、未来ある才能あふれた俳優をダメにしたくない。一ノ瀬さんはそう言っていた。


「ねえ、ランチはどうする?」

「定食」

「好きね」

「だって、バランスがいいじゃない?」

「そうだけど」

「あ、でも今日はバラのほうがいいわね。先に行って」

「そうか、話し合いが終わってないもね。じゃあ、先に済ませてくるわ」

「いってらっしゃい」


人手不足の上、トラブルの対処で事務所は火の車。二人同時に離席したら、対応者がいなくなってしまう。

瑞穂が食事に行ったのと入れ替えに、一ノ瀬さんが事務所に入ってきた。


「お疲れ様です」

「お疲れ……悪いが、片づけを頼めるか?」

「わかりました」


事務所横にあるミニキッチンから、ダスターとお盆を持つ。


「コーヒーは残ってるか?」

「一ノ瀬さん、新しく淹れましょうか?」

「ん? いや、残ってないならいい、自分でやるから」

「いいですよ、私も飲みたいですし」

「悪いな」

「遠慮をしないで言ってくださいね」

「ありがとう」


女子がお茶くみをする時代は終わったけど、決まりごとになっているわけじゃないのだから、遠慮をしなくてもいいのに、いつも一ノ瀬さんは遠慮をする。


「結果は? どうするんですか?」

「謹慎処分で変わらない」

「違約金は?」

「全額本人負担だ。会社が肩代わりすると言ったんだが、本人がどうしても自分で払うというからな。まあ、新人だから大した額じゃないと思うが、あいつにとっては大金だろう」

「そうですよね」


事務所でギャラや製作費とかを見ているせいか、お金に麻痺してしまっているところがある。お金の使い方も派手だから、気を付けないといけない世界だ。

マスコミ向けには、謹慎の期限は設けないとしたが、警察からの処分が決定次第、活動を再開させるとなった。


「あとは、本当に別れてくれるかだ。別れろと言っておいたんだが、どうだろうか」

「気持ちは直ぐに切り替えられないですから。でも、本当に好きだったんですか?」


私が今の年齢で、坂田真帆と同じ8歳年下と付き合うとすると、弟より年下になってしまう。まったく相手にならないし、考えられない。


「悠は真剣だったようだ」

「ピュアですね」

「それが仇にならなければいいけどな」


一ノ瀬さんは、別れて欲しいと思っている。それは私も同じだけど、人の気持ちはどうにもならない。それは私が一番よく知っている。


「これから先も、このことが付いて回りますね。悠は耐えられるでしょうか」


芸能界にいる以上、ずっと付いて回るスキャンダル。これからいい恋愛をしても、結婚をしてもずっとこのことが付いて回る。


「それを吹き飛ばせるような役者になるしかないし、その覚悟がないとこの世界では生きていけない」

「確かにそうですね」

「ところで、制作発表の件だが、あとで打ち合わせをしたい。川奈にも言っておいてほしい」

「分かりました、コーヒーどうぞ」


新しく淹れたコーヒーを一ノ瀬さんに渡す。

一口飲んで「さて、やるか」と、事務所に戻って行った。

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