02

 目覚ましの音が耳元で鳴り響いている。うるさい。太陽の日がカーテンの隙間から漏れ出ているのか、瞼の中が眩しいことから、朝が来たことを理解していく。そして、ゆっくりと目を開けると、自分の部屋にいることを否応なく思い知る。目覚ましは俺がおきることを望んでいるかのようにその音の勢いを増していく。半分目をつむりながらもう、数分と、思っていじるが、すぐにまた、音が鳴る。目をつむっていても、寝ることはできない。寝たとしても、すぐに向こう側に行く。こんな生活が始まって、一体何か月たったのだろうか。それすらわからない。

 俺は、布団を無造作に蹴り飛ばして、乾燥した空気の中、すぐに自分の体の違和感に気が付く。左腕が動かない。服が少しばかり血に染まっている。切り傷が増えた。ため息がこぼれてしまう。動かない左腕を無視して、右手だけでなんとか服を脱ぐ。体中に包帯を巻いている。その包帯も血に汚れてしまっている。

「はあ、また変えないと……」

 別に俺は軍人ではない。いや、ある意味では軍人ではあるのだが、現実、まあ、どちらが現実かは知らないが、少なくとも、俺が現実と呼んでいる現実では軍人ではない。学生だ。なんなら、大学生だ。学問を行うべき人間だ。向こうの現実では人を殺すことを本業としている、というか〈アリゲイル〉の適応者は俺たちのような外の人間しかない。

 包帯の束が机の隣に無造作に置かれている。何度か捨てているが、それでも、毎日のように変えていると、包帯代はシャレにならないし、なんなら、包帯代は誰も支給さらないから、毎月の出費が痛い。

 片腕が動かないことなんてよくあることだ。向こうでの傷はこっちに反映されるから、最初のころなんて足が動かないだの、両腕が動かないだの、まあ、いろいろと大変だった。

 最初のころ、なんて思うと、まあ、回想に入りそうだが、実際入るのだけれど、もう少しだけ、今の話をしようと思う。

 大学生のありがたいところは、基本的に自身での決定が重視されるから、講義に出るか出ないかもすべて自分で決定できる。正直、毎日戦闘と日常生活を交互に繰り返していると、休む暇もない。今でこそ、向こうの世界は充実しているから、行きたくないわけでもない。まあ、一度眠れば、向こうで目覚めるから拒みようはないんだけど……。

 スマホを右手にとって、自分の好きな曲を流し始める。朝からどうにかしてテンションを上げないと頑張れる気がしない。

「さあ、準備しないと」

 今の自分が一人暮らしだからこそ、こうやって、包帯とかも隠すことができる。大学に入って、この状況になってから、毎日毎日切り傷と麻痺が募っていく。だから直感してしまう。多分、頭か、体が、何かを吹き飛ばされたら、俺は死ぬんだ、と。

 片腕で服を着替えて、片腕で朝食を食べて、片腕ですべてをこなす。慣れてしまった。慣れてはいけないな、とそのたびに思う。この慣れがいつか、取り返しのつかないところにたどり着くんだと思う。と、思いながら、結局、戦場に〈アリゲイル〉で出ると、ただ、戦うことだけが頭の中を占領してしまう。

殺し、殺される。俺は、昨夜、五台の戦車を破壊した。それだけで二十人殺している。

作戦開始と共に、塹壕に向かって榴弾を無造作に撃ち込んだ。爆発と共に、何人も殺した。

この二つの殺しに俺は差を設けてしまう。自らの殺意と殺意なき殺しと。その報いなのだろう。今、左腕が動かないのは。

「バスで行くか……」

 ご飯を食べて一服すれば腕の感覚も戻ると思ったが、甘かった。この状態で大学に自転車で行ったら、多分止まれないだろう。予定よりも早いが、家を出ることにした。片手でカバンを背負って、電気の消し忘れなんかすべて確認してから部屋を後にした。

 晴れ渡っていた。太陽が腹立たしくも思える。あの後、戦闘の後に見た太陽はきれいだった。戦場という狂った中にある唯一の純情。美しいはどこにでも引っ付く。それなのに、今、俺に当たってくる太陽は敵意すら感じる。何かを明けさしてくれるようなそんな、希望に満ちた太陽じゃない。カフカだったか。希望に満ちた朝と絶望に満ちた夕方。

 どうやら、嘘のようだ。朝から絶望しかない。急にそんな気分が襲ってくる。こんな気分は実のところ毎日襲ってくる。戦場で殺し合いをして、そのまま、平和な世界に戻ってくる。誰も、俺がどこで何を、何人殺しているか、何に巻き込まれているか、それすら知らない。たとえ教えたとしても理解してもらえない。すべては夢の中で起こっていることなのだから。そう思うと、自分がいつか、誰にも気が付かれないうちに消えてしまうのではないか。そう考えてしまう。そのことが一番怖い。死ぬことは怖いがそれでも、死を与えているうちに、死について考えることは少なくなった。でも、俺がそこにいた証が消える気がして、怖い。この恐怖を塗りつぶすために何かに没頭するが、ふとした瞬間に湧いて出る。それを大音量の音でもう一度かき消す。

 部屋を出るとともに市販のイヤホンを耳の中に射し込んで音が漏れない程度の大音量で聞き始める。軽快な音と共に階段を駆け下りる。リズミカルな音を聞くと踊りだしたくなるが、恥ずかしいのでやらない。ピエロに扮することができたならやるかもしれないが、あいにく、ここは現実だ。リアリティを持った世界だ。

 バス停の前で待っていると、後ろからどんと押されて、少しイラつきながら振り返る。

「よ、今日は珍しくバス?」

 音がかすかに漏れ出るイヤホンを取り外して、押した人を見る。何となく予想はついてる。

「はあ、こっちは疲れてるんだけど……」

「なに? とちったの?」

 腰に手を当てながらいかにも何かいけている感じを出している唯奈は威張るようにこっちを見上げる。

「五台相手にしたんだ。一人で。それで、左腕だけで済んでいるなら御の字だ」

「まあ、あの作戦自体、君のおかげでなんとかなったもんだけどね。さて、大佐は怒ってなかった?」

 大佐というのは彼女を指している。シュタイナー大佐。基本みんなはそう呼んでいる。唯奈もまた俺と同じ。同じように毎日寝るたびに、向こうの世界に行って、〈アリゲイル〉に乗って、戦争をする。だから、言い忘れていた。一つだけ、救いがあるとすれば、理解はされないが、それでも、一人じゃないということ。

「それで、唯奈は大丈夫なのか?」

「はは、私は君みたいにやわじゃない」

「操縦技術で負ける気はしないし、狙撃に関してもそうだな、最近のスコアでも負ける気がしないな」

「はいはい。ハンブルク隊の隊長は手厳しいですね」

 俺は、少し怪訝な顔をする。正直なところ、唯奈と話している気力が出てこない。そのあたり、自分が今かなり参っていることがわかってしまう。

「あれ? 今日は何? 相当堪えてる?」

 俺は、動かない左腕をこれ見逃しに持ち上げて見せる。

「ああ、なるほどね。それは堪えるね。私は後方で狙撃任務だったからまだよかったよ」

「そうだろうな。〈アリゲイル〉は単独では向かないんだよ。だから、もう一人欲しかったのに……」

「まあ、そのあたりは旅団長か師団長のどっちかが上に掛け合ってくれるんじゃない?」

「ああ、どうだろ、アリアは多分、最初から言ってそうだけど」

「ああ、大佐なら言ってそう。なんなら、君のためなら必死に」

 そういって唯奈はにやにやしながら俺を見る。

 唯奈とは向こうに行ってから、つい最近までバディを組んでいた。参謀本部の意向で、〈アリゲイル〉搭乗員それぞれに歩兵部隊を割り当て、〈アリゲイル〉の機動力を殺して戦線の全体の押し上げを図るために〈アリゲイル〉の搭乗員をそれぞれの戦線にバラバラに配置している。

 この点に関しては、彼女もそれに師団長や〈アリゲイル〉を用いた機動戦ドクトリンの提唱者たちもこぞって反対した。なぜなら、〈アリゲイル〉の強みは、その機動性にこそあり、歩兵と隊列を組んで、ともに前線に出ていくよりかは、敵要所への突破、とう、戦線に穴を開けるのが主な役目になる。実際、少し前に参加した作戦では、包囲を完成させるために両翼から〈アリゲイル〉4個部隊で無理やり突破した。しかし、参謀本部は、士気向上を図りたいのか、はたまた、何か別の意図があるのか、部隊をバラバラにして半ば試験的に歩兵との混成部隊を編成した。それがうまくいってるかは、よくわからない。戦線自体は進んではいるが、それでも小競り合いの方が多い。おそらく、敵側も新たな防衛ライン構築のために遅滞戦に移行しているのだろう。

 そんな、昨日の話をしていると、目の前に何か空気が抜けるような音が聞こえたので、振り返るとバスが来ていた。

「さあ、行こう!」

 唯奈は俺の右腕をとって、バスへと連れていく。はたから見るとバカップルにも思える。ああ、このことを彼女が知ったらすごく怒りそう。

「一応、俺、彼女もちなんだけど」

 唯奈はくすくすと笑いだす。

「知ってるよ。隊のみんなも、あんなもん見せられて腹立つ! って言ってたよ。ほんと、仲がいいよね。それを毎日見せられるのは可哀そうだよ」

 俺は恥ずかしくて顔を伏せたくなる。

「そんなに見せつけてるつもりはないんだけど……」

「はあ、輸送機の中で、肩にもたれかかっていてなにを……」

 次は唯奈があきれる。なんで知ってるんだよ。いなかっただろあそこに……。今日向こうに行った時に、口を滑らしたやつをとっちめよう。

「ああ、それより、上からの通達です」

「え、ここで……。まあ、はい、お願いします」

 普通に驚く。まるで当たり前のように伝えようとする。いや、当たり前なんだが、それでも、まさかあんな雑談の合間に来るとは思ってなかった……。

 唯奈はバスの座席に背中をピンと伸ばして、低い声で報告を始める。

「今日、向こうに行ったら兵器局へ出頭してください。大尉が要求していた新装備の受領をお願いします」

 新装備とは従来の75㎜自動超電磁砲では、事実、T106を正面から抜けない。なら、より大口径、長砲身の砲を要求していた。100㎜自動超電磁砲。初速が3000mを超える。ただ、欠点としては、連射力が落ち、装弾数も少なくなったが、何とか正面装甲を抜くだけの貫徹力を確保できた。さらに、装弾筒付翼安定徹甲弾を提案した。炸薬弾で中身をずたずたにするのもかまわなかったが、貫通力だけを優先してもらった。そのためにライフリング機構から滑空砲へ。ライフリング機構でもかなりの貫通力は持っていた。それでも、それ以上の貫通力が得られるなら願ったりかなったりだ。おそらく、不評だろうが。

「了解した」

 そのあと、特に何も起こらなかった。他愛もない話。〈アリゲイル〉の愚痴とか、俺たちの扱いの雑さへの愚痴とか、隊の指揮についてとか、まあ、いろいろ話した。そうこうしてるとすぐに大学について、それぞれの講義室へと向かった。

 とはいえ、そのあとの話をするのはまたの機会にしようと思う。俺がこれからのことを語るよりかはこれまでのことを先に語る必要がある。すべての説明はそこからでしかできない。だから語る。どれだけかかるかはわからない。語ろうと思い始めたのはつい最近だ。なにか、語る必要がある気がした。それが俺のいた証になる。だから語る。俺は俺の生きた証を俺で残す。

 語るという行為は面白いものだ。本来なら、俺のことは誰かに語ってもらわなければ物語として成り立たない。語る、というのは、結末ありきだからだ。あいにく、俺は、これまでに起こったことを語ることはできても、これから起きることについては、その状況がひと段落するまで語ることができない。それでも、語る価値はあると思う。

 だから、俺はこう始めようと思う。

 これは俺と彼女の物語。世界の最果てで、すべてを知る物語。これだけでいい。これですべて。だから、俺は口癖で物語の始まりを告げようと思う。まあ、不謹慎極まりないが……。

 さあ、死のうか。

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