5-4 : 来客




 ◆ ◇ ◆




「――ふぃー。ごっそさん」



〝モグラコロッケ〟二人前を平らげて、クマ社長が満足げに言った。



「うふふー。ありがとうございますー」



 メナリィが、ニコニコといた皿を受け取る。


 今宵こよいは早閉めした〈ぽかぽかオケラ亭〉。カウンター席でそんな二人が向き合っている。



「一人んで強がっちょるばっかりだったサイハにも、ようやっと仲間ができたやんなぁ」



「はいー。お陰様で、おじ様に建てていただいた〈ぽかぽかオケラ亭〉にも商機到来ですよー♪」



「わっはは、そりゃ景気がええのんなぁ!」



 クマ社長が髭面ひげづらに大口を開けて笑った。


 十年前の大崩落事故後、サイハとメナリィの後見人を名乗り出たのは他でもないクマ社長だった。数年前まで三人で同居していた仲である。


 サイハが一人〈汽笛台〉へ移り住んだことに触発されたメナリィが、食堂をやりたいと言いだして。空き家を引き取りクマ社長自ら改装したのが〈ぽかぽかオケラ亭〉というわけである。



「お店の開店にかかったお金も、この調子ならもうすぐお返しできそうですー」



「わっはは。ほんなら増築するんときも、〈クマヒミズ組〉を贔屓ひいきにしてもらわんにゃなぁ」



 クマ社長が、熊のような巨体でカウンターに寄りかかり、わっははと続ける。



「お前さんがもちっと大きくなって、酒も出してくれよったんら、わしは毎日通うでんよぉ」



「うふふふー、それもいいですねー」



「従業員ももっと増やしてんよぉ。支店なんかも出してみたりんよぉ」



「うふふー、素敵ですー」



 小さな母性を振りまいて、メナリィが和やかに笑う。



「そんでこの街の全員にんなぁ、おまえさんのコロッケ食わしてやりやんよぉ。そったらみんな、ニコニコだぁなぁ!」

 クマ社長の大きな手が、カウンターに立つ少女の頭をぽんとで。

「だからんなぁ、メナリィよぉ」



「何ですかー? おじ様ー」



「だからんよぉ――…………お前さん、そんな無理してずっと笑っとらんでもええんぞ」



「…………」

「…………」



「…………」

「…………」



 ………………それは、降りしきる雨音がいやに大きく聞こえる沈黙だった。


 メナリィの頭をでていたクマ社長の手が、ゆっくりと離れる。



「……。……無理なんてしてませんけどー?」

 ふわりと笑って、メナリィが否定した。

「メナリィ・ルイニィはいつもニコニコー! スマイルが私の取り柄ですよー♪」



 拭いた食器を背後の棚へ戻しながら、メナリィがそう、笑顔のまま話していると――


 ――ゴンッ!


 カウンター席から、何かを打ちつけたような、鈍く大きな音がした。



「? おじ様ー?」



 小首をかしげて、メナリィが振り返る。


 そこには、深々と下げた頭をカウンターに押しつけている、クマ社長の姿があった。



「……メナリィ……。……わしを、恨んでくれんやぁ……!」



 クマ社長の丸くて大きな身体が、震えていた。

 声も震えて、息が胸に詰まっていて。



「お前さんの親父おやじを、家に帰らしてやれんやった……! 金なんて返してくれやんでええ……わしなんかでいいなんら、いくらでもタダ働きしやんよぉ……! 石を投げてくれぇ! 『人殺し』ちゅうて、怒鳴り散らしてくれぇ!」



「おじ様……」



「許さんでくれ……わしを、許さんでくれぇ!」



「…………」



「メナリィ……サイハぁ……! うっ……うわっ、うわぁ゛っ……!」



 それはクマ社長自身にも突然の、感情の噴出だった。

 あの慰霊公園で、エーミールに事故の子細を話したことが引き金になったのかもしれない。


 十年の間め込んできた無念と後悔とを一気に吐露して、クマ社長はうぉんうぉんと号泣する。


 部下であったメナリィの父、サイハの育ての親。

〈クチナワ鉱業〉の起こした事故に巻き込まれて命を落とした、〈クマヒミズ組〉ただ一人の犠牲者。



「わしが……わしが殺したも同然なやんなぁ……!」



 嗚咽おえつするクマ社長の下へ、メナリィがカウンターを回り込んでくる。



「おじ様、泣かないで……」



 ふんわりとした母性は消えて、メナリィは少女本来の口調に戻っていた。



「そんなこと、言わないで……私、おじ様のこと好きよ。本当に、大好き」



 メナリィがクマ社長の背中をそっと抱き締めて、頬を寄せる。



「このレスローの街が、だーい好き。だからみんなに笑顔でいてほしくって……だから私、〈ぽかぽかオケラ亭〉を始めたんだよ? サイハが夢を見つけたのと同じ。これが私の夢なんだよ?」



 父親同然に育ててくれたクマ社長に、家族同然であったからこそ言えずにいたおもいを独白しながら、メナリィは続ける。



「だから、泣かないで、おじ様。私とおじ様が、ニコニコしてなくっちゃ、サイハが心配して戻ってきちゃう。そしたらサイハ、きっと自分の夢を諦めちゃうから……」



「メナリィ……! おまえさん、本当に強くてええ子に育ってくれたんなぁ……っ」



 しゃくり上げるクマ社長の声は、少しだけ救われたようでいた。



「ふふっ、そうでしょ? レスローの女は、男の人よりずっと強いんだから!」




 ◆




 ……メナリィに促されてようやく顔を上げたクマ社長が、ハンカチではなをかんでいるときだった。


 ――パチパチパチパチ……。


 店の中から、その音は聞こえた。


 ……小さな、拍手の音だった。



「……え?」



 とっくに店は閉め終わり、エーミールもヨシューもリゼットも、皆店を後にした店内。


 メナリィとクマ社長以外の誰もいるはずのない〈ぽかぽかオケラ亭〉。


 そのはずなのに。



「……ふむ……これは、思いがけず感動的なお話でした」



 しかしその人物は、店内で一番目立つ位置のテーブル席に腰掛けて、今まさにてのひらたたいていた。


 クマ社長がお店にやってきて。

 雨が降りだして。

 だから窓も扉もすべて閉めきって。

 それから一度も開けられたはずのない店内に。


 そんな密室の空間に――三人目の人物が、忽然こつぜんと存在していた。



「……誰やんね。あんさん」



 クマ社長の視線が鋭いものに変わる。メナリィをその太い二の腕の後ろに下がらせた。



「いえ、とんでもない。名乗るほどの者では」



 きびきびと整った口調は、個人的な会話を受けつけようとはしないビジネスライク。



「いつから……そこに……?」



 メナリィが驚嘆の声でく。全くもって突然現れたその人物は、まるで幽霊だった。



最初からおりましたとも、、、、、、、、、、、、ええ、勿論もちろん。クマ社長に御用がございまして」



「……わしに……?」



「ええ、ええ。左様です、貴方あなたに。ああ、少々お待ちを。じきに参られますので」



 …………コンコン。


 コンコン。


 その人物の言葉に合わせるようにして……外から扉がたたかれた。


 不気味なほどのタイミングのよさに、メナリィもクマ社長も凍りつく。



「…………あー、お構いなく。自分で開ける。ごめんください」



 扉の向こうから、声がしたと同時。


 ドゴォッ!


 店の玄関が、蹴破られた。

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