4-5 : ねぐらにて




 ◆ ◇ ◆




「――……ひっでぇ朝だ。ああ、最低の夜明けだ。まるでこの世の終わりだ……」



 翌日。


 弱り果てた顔で朝陽あさひを拝んだサイハが、幽鬼のように生気のない声でうめいていた。

 目元にはくまと、それとは別にあざが浮かび上がっている。


 顔を真っ赤に激怒したリゼットに夜の街を追い回され、とうとう〈汽笛台ねぐら〉への突入まで許し、殴る蹴るの大立ち回りをされたとあれば、そんな顔にもなるというものだった。



「フアーァ……よッく寝た」



 サイハの背後で、ベッドから起き上がったリゼットが猫のように伸びをした。


 サイハをボコボコにして床へと追いやり、更にいびきと歯ぎしりで睡眠妨害までしておきながら、リゼットのほうはすっきりとした目覚めである。



「ぐっすり眠れたか、そいつは良かったなミス・バイオレンス。オレのベッドがそんなに寝心地良かったんなら、そのまま永眠してくれてもよかったんだぜ?」



「アン? ……アア、ッたねェニワトリが鳴いてンのかと思ッたら、サイハか」



 リゼットがサディスティックに笑う。胡座あぐらをかく素足は、汚れたシーツよりずっと白い。


 ガチャリ。



「――ふむ、ようやく起きたね、君たち」

「ケロロ、夜更かしは感心しませんな御二方おふたかた。早寝早起きが強い心身を育むのですぞ?」



 倉庫の扉が開けられて、外から顔をのぞかせたのはエーミールとヤーギルだった。

 一人と一匹はシャワーを浴びてさっぱりとしている。早朝ランニングでもしてきたらしい。



リゼットこいつはともかく……あんたも大概図太いな……」



 昨夜リゼットとともに押しかけてきて、そのまま〈汽笛台〉に居座った〈解体屋〉コンビである。

 リゼットの魔の手から助けを求めるサイハの声も無視して秒で眠りこけてくれたエーミールのことを、サイハは恨めしい目で見やった。



「仕事柄、野宿には慣れていてね。それに、鉄と油の匂いは嫌いじゃない」



 サイハが自室でやらかす連日の爆発で倉庫は散らかり放題なのだが、エーミールはけろりとしている。

 汚部屋にモデルのような美女という組み合わせはひどく不釣り合いだった。


 胆力がありすぎる――……悪い意味で。



「……もしかしなくてもなんだが……友達いないだろ、あんた」



 そう言ったサイハの目は、可愛かわいそうなものを見る目をしていた。



「んなっ……!? し、失礼な! 私にだって親友ぐらいいるぞ!? ほらここに!」



 サイハの発言に急にむきになったエーミールが差し出してみせたのは、カエルのヤーギルだった。


 食い気味の反論で真っ先に出てきた親友枠が、人間ではなく相棒の〈蒸気妖精ノーブル〉……



「あっ。……うん、オーケーこの話はもうやめよう。すまん聞いたオレが悪かった」



「なぜ視線をらすのだ?! ま、まぁいいだろう……。それにしても、ジャンク屋か……ここにあるのは君の手製ハンドメイドかい?」



 鉄屑てつくずとは分けて棚に並べられた機械の数々を眺めながら、エーミールが興味深そうに言った。

 サイハの発明品の一つ、金属グローブをひょいと手に取る。



「ああ、そいつは〈かっ飛びナックル〉ってんだ。蒸気の力でかっ飛んでくからそう呼んでる」



「ほう、〈霊石〉を推進剤にして射出するのか。ユニークだね。こっちは昨日の目眩めくらましかい?」



 切れ込みの入った金属球体を摘まみながら、エーミールが問う。



「それは〈煙玉〉。蒸気煙幕だ。わざと破裂するように容器の強度を調整すんのが大変なんだ、それ」



 問われた方のサイハが、まんざらでもなさそうに解説を入れる。無意識に饒舌じょうぜつな語りになっていた。



「ふむ、見かけによらず繊細な仕上がりをしているということか……これは?」



 次に話題に上がったのは、フックの付いた下駄げたのような金属板。

 先般、露天鉱床PDマテリアルの底からサイハとヨシューが脱出する際に使用した装置である。



「ああそれはブーツの裏にくっつけて使うんだ。名前はえーっと……――〈ブーツの裏にくっつけるヤツ〉だ」



 そういえば名前を考えていなかったと思い当たり、そのままの名前をつけるサイハ。



「なるほど……興味深い……」



 ふざけた名前の装置に向かって真顔で感心しているエーミールの図は、珍妙の一言。

 普段の彼女が、一人で黙々とバイクだの銃だのを整備しているさまが容易に想像できた。


 そしてエーミールが、倉庫の奥へ歩を運ぶ。


 その先にあったのは、一際巨大な機械構造体だった。



「それと、これは? 昨夜から気になっていたのだが――」



「そいつには触んな」



 機械構造体に伸びかけたエーミールの手が、サイハの鋭い一声でぴたりと止まった。



「ここに居座るってんなら勝手にしろ。ガラクタも好きにしていい。でもな、〝そいつ〟には指一本触れんな。もし触りやがったら力尽くで追い出す」



 首にぶら下げた改造ゴーグルを握り締めながらそう言い放つ、サイハの声は真剣で。



「あ、ああ…………わかった」



 たった一声。それだけを返事として、エーミールはもうそれ以上、何も聞こうとはしなかった。

 それ以上、聞くことなんてできなかった。



「ンだよ、全部ガラクタじゃねぇか、ハハッ」



 そう言って、重くなりかけた空気を笑い飛ばしたのはリゼットである。



「〈蒸気妖精アタシら〉の方がよっぽど高尚ってもンだ。こんな鉄クズいじって喜ンでンなら、アタシに対しては平伏してクツでもめてなきゃウソだぜ」



 口汚い言葉を並べながら、リゼットがベッドの枕元にあった発明品を手に取った。

 それは中心から平面上に四本の管が均等に伸びた、〝まんじ〟形状をしたてのひらサイズの謎物体。



「おっと、〈クルクル〉に乱暴すんなよリゼット。ガラクタだぁ? いいぜ見せてやるよ、こいつの魅力をなぁ」



 リゼットの手から、〈クルクル〉と呼んだまんじ円盤をぺっと取り上げて。真剣な顔つきから破顔したサイハが、〈霊石〉の小片を組み込んだそれをそっと作業台に置いた。


 シュシュシューと〈霊石〉から生じた蒸気が、〈クルクル〉の管を伝って噴き出せば。


 それを動力に、まんじ円盤がクルクルと回りだす。



「む、これは……」

「ケロケロ……」

「オ? オ??」



 エーミール、ヤーギル、そしてリゼットが、〈クルクル〉をじっと見下ろす。


 皆が見守るその先で、〈クルクル〉は依然としてクルクルと小気味よく回転し続けるばかり。



「……ン?」

 リゼットが首をかしげた。

「……デ? こッからどうなンだよ?」



 一向に変わり映えしない様子を不思議に思ったリゼットが、サイハを振り返ると。



「どうもなんねぇよ。軸受け(ベアリング)と蒸気でクルクル回るから〈クルクル〉だ。それ以上でもそれ以下でもなーい!」



 サイハが言い切った。堂々と。



「…………それだけかい?」

「ケロォ……それだけでありますか?」

「ハ? ソレだけ? フザけろよ」



 一同が声をそろえて馬鹿にした。


 が。


 クルクル……。

 クルクル……。

 クルクルクルクル……。


 軸受けがひたすら……ただひたすら回り続ける。


 シュシュシュー。


 小さな蒸気音が空気を揺らす。



「「「………………」」」



 変化のない回転は、永遠に続くかのよう。

 力の抜ける蒸気の音は、無意識に心地よい。

 ずっとそれを見ていると、意識がとろんと溶け出して、まるで目を開けたまま眠ってしまったかのように、皆は〈クルクル〉のしょうもなさに視線をくぎづけにされて……



「「「……――はッ!」」」



 そしてエーミールとヤーギルとリゼットが、同時にはっと我に返った。



「いけない……つい見入ってしまっていた」

「ケロォン……恐るべし〈クルクル〉ですぞ……」

「ヤベェ……意識モッてかれかけた……ヤベェ……」



 ただ回転するだけの玩具おもちゃ、〈クルクル〉――その魔性の魅力を、一同は認める外になかった。


 サイハが得意げに、ニッと笑顔になった。



「な? おもしれぇだろ!」




 ◆




「――ッと……そろそろアタシ行かねェと」



 朝陽あさひが高くなったのを認めて、リゼットがベッド脇に投げていたライダージャケットをつかんだ。

 メナリィの手で縫い直されたそれにバサリと袖を通し、ブーツを履く。



「待て、リゼット」

 その背中を、エーミールが呼び止めた。

「どこへ行く気だい?」



「ア゛? ドコ行こうがアタシの勝手だろ?」



 リゼットが横目に振り向く。

 呼び止められたのが不快なのか、喧嘩けんかっ早い目つき。



「いいや、駄目だ」

 エーミールがぴしゃりと。

「お前を勝手に出歩かせるわけにはいかない」



 昨日の衝突以来、対話するのはこれが初めての二人である。

 にわかに空気が張り詰めた。



「……オンナァ……まだヤラれ足りねェのか?」



「言ったろう。今の私の任務は、お前たちバディの監視だ」



 コッ、カッ。

 ヒールを鳴らして振り返ったリゼットが、エーミールに迫ってガンを飛ばす。



「負けイヌがよくえやがるゼ。ハッ! アタシらがまた暴れたらどーするッてェ?」



「そのときは本部が黙っていない。私のようなエージェントが、ごまんとこの街に流れ込む」



 ヒクリ……。

 口元を引きらせたのはリゼットのほうだった。


 エーミールのその発言に、サイハも目を丸くする。


 可変戦闘バイクで街の一角をめちゃくちゃにしたエーミール。

 それと同等か、あるいはそれ以上の実力を有した〈解体屋〉が複数人、この街へやってきたとしたら……


 考えただけでぞっとする。


 しかし。

 それでも。

 一度喧嘩けんか腰になったリゼットは止まらない。



「……ハハッ。……イイゼェ……ヤれるもンなら――」



「違う。そういう意味で言っているんじゃない」



 そして意外にも。

 先に視線をらして首を横に振ったのはエーミールのほうだった。


「……私は、君たちに命を救われた身だ。一方的に敵対した末に恩を着ることになった敗者わたしの、やり場のないこの気持ちがわかるか? この上更に君たちにあだを返す真似まねをさせないでくれと、そういうことが言いたいんだ、私は」



 そう言って顔を上げたエーミールには、苦悩と悲哀が満ちていた。



「私は、〈蒸気妖精ノーブル〉を駆逐したいわけじゃない。本音を言うと〈蒸気妖精ノーブル〉たちと友好的でありたいと思っている……だから頼む、リゼット。君が害をなす存在ではないと、私に証明してくれ。本部に『何も問題はない』と報告できるだけの根拠を、私に与えてくれ……でないと、私は……!」



 治安維持のため、〈蒸気妖精ノーブル〉を野放しにできない〈解体屋エーミール〉と、ヤーギルを親友と呼ぶ個人エーミール


 公私の板挟みにある彼女の苦悩は、リゼットには理解しがたい。


 けれど。



「……ンッだよ。シケたツラしやがッて……」



 チッ。と、舌打ち一つ。

 それから大きなめ息を吐いて、リゼットが怒気を鎮めた。


 ドアノブをつかみ、リゼットがエーミールを振り返る。


 その苦悩を理解はできなくとも、感じることならできると、深紅の瞳を真っぐ向けて。



「……ついて来りャイイだろが、ソンナに言うならよォ。エーミール、、、、、、それとヤーギル、、、、。ソレで満足なンだろテメェら?」



 彼女たちの名前を、初めて呼んで。

 ぷいっと前を向き直ったリゼットが扉を開けた。



「ありがとう……リゼット」

「フン……ウッセ」



 ロングコートを着込み、銃に変形したヤーギルを収めて、エーミールがリゼットに続く。



「――それで、どこへ行くつもりだったんだい?」



「――ア? バイトだよ。バ・イ・ト。そうだオマエらもつき合いやがれ」



 閉められた薄い扉越し。倉庫に一人残ったサイハの耳に、彼女たちの声が遠ざかっていった。



「はぁー……一嵐どころじゃすまないな、こりゃ……」



 騒々しい日々が始まりそうな予感に、サイハは一人溜め息を吐いた。

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