第二章 -陸の孤島の巡り会い-

2-1 : 変な女

 全くもって意味のわからない状況だった。


 安眠を、文字通り踏みつけて。

 ベッドにまたがった何者かが、サイハの顔面に素足を押しつける。



「わッざわざこのアタシが名乗ッてヤッてンだゼ? ナンとか言えよコラ」



 リゼットと名乗った人物の、とげのある口調。

 挑戦的で野太くあったが、それはまぎれもなく女の声。



 ――は? ……は??



 サイハは依然として声も出ない。

 突然のことで動転しているというのもあったが、それにも増して物理的に声が出せないでいた。


 顔面を思いきり踏まれていれば無理もない。


 目だけをぐるりと回して、真夜中の闖入ちんにゅう者を見上げる。


 女。

 十代の半ばを過ぎた程度とおぼしき、若い女だった。


 冷たい星明かりにも似た真っ白な肌は、本来であれば病的ではかない印象の色。が、そこには不思議と、どこかほとばしる生気の奔流を感じさせる。


 あおい月の光を受けて、れ髪のような艶を放つ銀髪は、ストンと真っぐに流れて背中の中程にまで届いている。まるで鋭利に磨かれた、氷の刃のよう。


 そして夜のとばりにぼうっと浮かぶ、深紅の双眸そうぼう。澄みきったそれは、ルビーでできていると言われても納得してしまうほどに洗練されていて。



「オイ……ジロジロ見てンなよ、このバァカ」



 その瞳にサイハの視線が吸い込まれていると、見咎みとがめたリゼットがギロとにらみ返した。

 挑発するように顎を上げ、鉄屑てつくずを見るかのごとく見下して。おまけにサイハの顔面をもう一踏みしてくる始末。


 世間には、女性からそういった扱いを受けることによろこびを見いだす奇特な男がまれにいるとのことだが、幸か不幸かサイハはそれに関してはロマンを感じないチンピラである。



 ――何なんだよこいつ……誰なんだよ?! さっきから黙ってりゃめた真似まねしやがっ――。



 リゼットのめつけに負けてられるかと、サイハがギンと視線をとがらせた矢先だった。



「――ぶっふぉ?!」



 リゼットの足を顔面に乗せたまま、サイハが盛大に噴き出した。



「ウオッ?! ッたネ! ナニしやがる!!」



 唾飛沫しぶきがかかり、驚いたリゼットが飛び退く。



「ぶっふ……そっちこそ何だってんだよ! いきなり人ん家に上がり込んで人の顔踏んづけてきて……こ、この……この……っ!」

 ようやく自由になった身体を起き上がらせて、サイハが震える指先を女へ向けた。

「この変質者ぁ!」



 いやぁぁ! と顔面蒼白そうはくになっているのはサイハのほうであった。

 とがめる声音で、この女の人変なんです! ビシリと指差しつつ、サイハは貞操の危機を感じて膝を丸める。



「ア゛?! どーいうこッたオイ!? ドコにいンだよそンなヤツ!? ヤベェじャねェかッ!!」



 サイハの悲鳴にぎょっとしたリゼットが拳を構えた。周囲を警戒して右へ左へにらみを利かせる。



「やべぇのはお前だよ! 何で素っ裸なんだよ、、、、、、、、、!! あと何でオレの名前知ってんだよ怖い!!」



 ほこりの漂う倉庫に幾条かの光の筋が走る。それらが奇跡的に、リゼットのいろいろとまずい状況を隠していた。彼女が凹凸のない貧――もとい、スレンダーな体型、、、、、、、、であることもこうを奏していた。



「ア゛ァ!? テメェ、アタシのことバカにしてンのかバカヤロー!」



 サイハの発言を侮辱と受け取ったのか、顎をしゃくらせメンチをきったリゼットがサイハに迫り、ドンと左手を壁につける。右手でサイハの襟元をひねり上げ、鼻先が触れ合うほどに引き寄せた。



「ひぃぃ!? 露出魔に襲われるぅっ!」



「ロシュツマ? アタシは〈ノーブル〉だ! ヘンな名前で呼ンでンじャねェぞゴラァ!」



 ならず者には慣れているが、露出癖の変質者を相手取るのは無経験のサイハである。気づけばリゼットにすっかり気圧けおされ、前へ後ろへ良いように振り回されていた。



「ど、どっからツッコめばいいんだよ!? やめろ、情報量が多すぎる! わ、わけがわからん!!」



「ワケがわかンないのはこッちだバカがァ!」



 男女がとこの上で取っ組み合うものだから、ベッドがギッシギッシときしんで揺れる。



「こんっの……! らちが明かねんだよぉ!」



 一声叫ぶと、サイハは意を決して両腕を前に突き出した。

 リゼットの白磁の肌を突き飛ばす。


 ギッ……シ。と、一際大きくベッドがきしみ、ようやく夜の静寂が戻った。



「はぁっ……はぁっ……はぁぁぁ……」



 嫌がる猫のように暴れていたリゼットを、ようやく押さえ込み。サイハがほっと息を吐く。


 サイハの筋肉質な男の身体に対して、リゼットのそれは如何いかに牙をいていようと柔らかく華奢きゃしゃな女の身体。押し倒されたその下で、彼女がり目をふいと横にらす。口元はこの状況が屈辱とばかりにゆがんでいて、鋭い歯の間からは舌打ちが聞こえた。



「チッ……だッからヤなンだ、このカラダ……」



 急にみつくことをやめたその態度は、ともすると自棄やけを起こした少女のような危うさで。


 サイハは、リゼットのそんな態度が気に入らなかった。

 だから――バサッ。と。



「……ア? ンだコレ?」



 ベッドに横たえていた裸体にジャケットを投げつけられて、リゼットが怪訝けげんな顔をする。


 ほとほと疲れたと語る背中でめ息一つ。サイハがベッドの端に腰掛けた。



「あー、何だ……何がどうなってんだ? 落ち着いたんなら説明し――ほぁぁあ?!」



 サイハが対話の場を設けようとする最中、あぐらをいて起き上がったリゼットが、羽織っていたジャケットを鬱陶しそうにぺっと放り投げたものだから、サイハはまたも悲鳴を上げる。


 ジャケットを急いでキャッチして、もう一度強引に彼女に着せる。リゼットが「ンだよ邪魔クセェな!」と暴れて聞かないものだから、結局袖を通させることもできなかった。


 肩にかぶせただけの、首のボタン一つまっているのみのジャケット。逆三角形に開けた布地から肌がのぞく。

「何か逆にやらしくないかこれ」と思わなくもなかったが、サイハは頭を振って雑念を飛ばした。



「えーっと……リゼットっつったか?」



「アァ」



 名を呼ばれ、ジャケットの裏地の触れる肩をボリボリときながら女が答える。



「何で〈汽笛台オレん家〉に忍び込んだんだよお前? こんなガラクタ倉庫からるもんなんてないぞ?」



「ハ? アタシのこと連れ込ンだのはテメェのほうダロが。バカか? さてはバカだなこのバカヤロー」



 リゼットのガルルといた口元に八重歯がのぞいた。



「……オーケー……ちょっと原始人には通じてないっぽいから聞き方変えるわ……」



 どうにもこの勝ち気な女は語彙力が残念なことになっているようで、サイハもサイハで貧弱と自負する頭を絞って言葉を選ぶ羽目になる。心労と疲労で彼の頬は心なしか欠けて見えた。



「じゃあ、どっから来たのお前」

「ン? 知らね。アッチのほうダロ?」



「……家はどこだよ」

「サァ? 寝てたのは土ン中だったケド?」



「……何でオレの名前を知ってる?」

「ガキがテメェのこと〝サイハ〟ッて呼ンでたろうが」



「……。…………〈ノーブル〉って何」

「ハ? 〈ノーブル〉は〈ノーブル〉だろが。そンなコトも知らねェのかよテメェ」



「えぇ……それでいくと……ドライバ? ってのはただドライバって言いたいのかよ…??」

「ナンだ、わかッてンじャねェかよ、ハハッ」



 闊達かったつに笑うリゼットの横で、サイハは両手に顔を沈めて頭痛が引くのを待った。



「うん……お前の言ってること全部わからんってことはとりあえずわかったわ、うん……」



 気づけば東の地平は白みだし、空と土と鉄の色が鉱脈都市に昼の顔を浮かばせつつあった。




 ◆




「――サイハさーん、起きてますぅ……?」

 夜間の突然の露出魔襲撃に安眠を妨害され、今もその露出魔(リゼット)があぐらをいてベッドに陣取るのを横目に、サイハがげっそりしていると。

「そのう、ちょっと相談したいことがありま――わひゃっ?!」



 朝陽あさひがようやく地平線から顔を出すかどうかという朝未あさまだき、サイハの倉庫ねぐらを訪ねてきたヨシューが、眼前の光景に思わず手足をピンと伸ばして飛び上がった。



「ああ、ヨシューか……今日は夜中から客が多い日だなぁ……はは、ははは…………はぁ……」



 放心した様子でヨシューへとつぶやくサイハは、乱れたシャツ姿でベッドの端に腰掛けて、膝に肘をついている。まるで燃え尽きたボクサーか何かのように。



「オウ、ガキィ。また会ッたナァ。アタシは〈ノーブル〉。ギフトネームは〝リゼット〟だ」



「お前さっきからほんとそればっかかよ……」



 サイハが覇気のない枯れ果てた突っ込みを入れている相手は、ヨシュー少年の知らない女。



「な、何で裸の女の人がいるんですかー!? 服着てくださぁい! は、恥ずかしいですよう!!」



 色事などいまだ知らぬヨシュー少年である。リゼットの半裸姿はあまりに刺激が強すぎた。

 わひゃと悲鳴が上がる。目を両手で覆い隠してしゃがみ込み、耳の先まで真っ赤にして。



「……ン? ハ……??」

 先ほどからヨシューを指差してハッハと笑っていたリゼットだったが、ふっと口をつぐんで目を瞬き、首をかしげた。

「なァオイ、サイハよォ……アタシのこのカッコ、恥ずいのか?」



 あんぐりと顎を落としたサイハが、白い目で見る。「こいつ今更何言ってんの?」と。



「全モロなんだからそりゃそうだろ……いや、露出魔にはむしろご褒美ほうびなのか……?」



「ぜ、全モロ、、……ッ?!」



 それを聞いたリゼットが、にわかに慌て始めた。

 表情が凍りつき、全身に順繰りに手を当てながらあたふたとして、額にはどっと大量の汗。



「コ、コレ……! ひョッとしなくても外装部品全部外してるッてことカヨ!? うッそ……! しュ、主機関もターミナル回路もインナーフレームも全部丸出し?!」



 女体を指しているのだろうか、何か隠語めいた言葉を連発して、リゼットが目を丸くする。

 白かった肌は今や真っ赤に。アババと珍妙に踊りだしたのは、どこを隠せばいいのかわからず狼狽うろたえてのことだろうか。


 それを流し見ているサイハの表情は死んでいる。ヨシューとリゼット、二人の悲鳴が飛び交うその真っ只中ただなかで、サイハはふっ……と、虚無的に笑った。



「もうオレには収集つけれんわ……まぁ、ゆーて全身ぺたんこのおこちゃま体型だし? そんなもん見られたところで――」



「ナンでさッさと言わねェンだよこのヤローマジぶッ飛ばすぞテメェ! バッカァアーッッッ!!!」



 涙目のリゼットが右手でジャケットを手繰り寄せ、殺意もあらわに左手を振り上げた。


 バッチーン!

「ぶべぇっ!?」


 大きなびんたの乾いた音が、〈汽笛台〉の鳴らす時報よりも随分早く夜明けを告げた。

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