★Step3 あんな奴、もういやだぁ!

パソコンのモニターをじっと見詰めながらリンダは高校の授業を受けています。今は数学の時間です。微分がどうとか積分がこうとか教師が熱弁を振るっておりますが、彼女にはさっぱり意味が分りません。大体、高等数学など牧場で暮らすには全く必要無いのではと思うのですが、もうすぐ期末試験、今やって居るのは問題の出題範囲ですから気を抜く訳には行きません。頑張ってついて行こうと言う気持ちは有るのですが、残念ながらリンダはギブアップでお手上げ状態。赤点決定みたいな感じでした。


彼女が数学の講義を理解する事を諦めかけた時、がちゃっと音がして突然部屋のドアが開かれました。リンダはそれに気が付ドアの方向に目をやります。そこにいたのは南、今、一番の天敵です。


「な、何急に部屋のドア開いてんのよ」


リンダは彼の顔を見て、思わず毒突きますが、彼は全く気にしません。極めて沈着冷静です。それがリンダのカンに触り、意味も無く怒りがこみ上げて来るのを感じました。


「何を言っている。散々ノックしただろ。気が付かない方が悪い」


南はそう言うとリンダの横に予備の椅子を置き彼女の隣に座り込みました。リンダは酷く狼狽します。


「ちょっ、何、何よ!」


焦るリンダを尻目に南はパソコンの画面を覗きこみ、鼻で笑うとこう言いました。


「なんだ、今頃、こんな事やってんのか…」


南はそう言うとモニターに表示された例題をノートにすらすらと解き始めます。それはもう、縦板に水の如く、大学教授が小学校の算数を解くが如くの見事さで的確に問題を解いて行きます。リンダはその光景を呆気に取られて、ただただ眺めるのみでした。


「いいか、これは、y切片の値が問題で、これを、こう代入して…」


魔法の様に解かれていく方程式を見詰めながらリンダは思いました。そうだよね。地球に住んでるんだから、それなりの成績は要求されて当然なんでしょうねと。


「――良いか、分ったか?」


そう言った南の口調は一段と強くなり眼光が変わった様に感じました。南はリンダにそう言って鉛筆の先で解いた方程式の答えの部分をこつんと叩き彼女の瞳をじっと見詰めました。その時、二人の視線が交錯します。


「え…ええ、あぁ、うんうん分った。分ったわよ…勿論…」


強がっては見ましたが勿論リンダは全く分っていません。そしてあらぬところに視線を泳がせるその行為は今の説明を理解していない証拠だと言う事を南は理解していて更に突っ込みを入れて来ます。


「じゃぁ、これやって見せろ」


南がノートに例題を書きます。その数式を見てリンダの表情が固まります。数学の問題の筈なのに彼が書いた問題に数字の記載は無くアルファベットと見た事の無い記号、暗号のような問題を見てリンダは即答しました。


「――え、え~と、パス!」


彼女は笑顔でそう言って誤魔化そうとしたのですが、彼にその手は通じません。パスと同時に後頭部に激しい衝撃。南は自分が持ち込んだ教科書のヘリで、思っ気しリンダの後頭部をひっぱたいたのでした。


「頭で分らなけりゃ、体で覚えろ…」


そう呟いた南の眼光に磨きがかかり鋭さが増していきます。でもリンダはひっぱたかれた事が納得できません。


「な、何すんのよ!」

「数学は習うより慣れるんだ。それが一番早い。じゃぁ次だ」


南の教え方には容赦が無く、問題を間違える度に彼の教科書が後頭部を直撃します。リンダは何だか虐げられてる気持ちになりました。こんな奴に――こんな奴にぃ――と心の中で繰り返し唱えながら。


こうしてリンダは南にみっちり午後5時まで勉強を叩き込まれて、頭から湯気が湧いてるんじゃぁ無いかと言う程勉強させられました。そして思いました。体が丈夫なら勉強なんてしなくていいじゃないかと。


♪♪♪


干し草をいっぱいに積み込んだ一輪車を何時もの様に押しているつもりだったのですが、リンダの足元がおぼつきません。時間にして7時間、殆ど休み無くぶっ続けでした勉強は予想以上に彼女の体力を奪っていました。


その、勉強を見てくれた南はと言えば相変わらず牛舎に入る事無く、むかつく事に携帯をいじりながら時間を潰しておりました。もう、怒る気力も有りません。


「ちょっと、あんた、少しは手伝ったらどうなのよ」


リンダの声に南はちらっと視線を送っただけで、相変わらず髪の毛と携帯にご執心。力仕事を率先してやろうと言う意思は見られません。いくら成績が良くても人に対する思いやりが無いのは人間としてどうなのかとリンダは考えました。その南に呼ばれてリンダは牛舎の入り口向けて振り返ります。


「なぁ…」

「何よ?手伝う気になった?」


とげとげの口調でリンダは南にそう言ったのですが、彼はその言葉を一笑に付すと折り携帯端末をしまい、悪びれる事無くこう言いました。


「この近くにコンビニは無いのか?」


リンダは思いました。ここらで暮らしてるのはリンダ達一家族だけですから。コンビニを営業しようとする人など宇宙に一人もいない事を。


「無いわよ、そんな物、何の用?」

「晩飯調達しなけりゃと思ってな」


随分と変わった事を言う奴だなとリンダは思いました。だって、食事ならメイおばさんが準備してくれから心配する必要など無いのにと。


「大丈夫よ、夕食はメイおばさんが作ってくれるわ」


そう言ってリンダは再び作業を始めたのですがその様子を見ながら南は作業着のポケットに両手を突っ込んで牛舎の入口にもたれかかりながらトンデモ無い事を言ってのけたのです。


「不衛生な物は食いたくない」

「は?」


メイおばさんの料理を不衛生と言われた事に腹を立て、リンダは南にづかづかと詰め寄ります。自分の事ならともかくメイおばさんの事を悪く言うのは許せません。リンダは南の胸倉を掴まんばかりの勢いなのですが、南は全く動じる事無くあくまで沈着冷静。余計な事は言いません。


「自然の状態で料理した時の細菌量ってどれ位有るのか知ってるのか?」


リンダは再びブチ切れそうです。怒りがずど~んとこみ上げます。


「知るかそんな事、あたしはメイおばさんの料理で此処まで育ったんだからねっ」


メイおばさんの事まで悪く言うのはいくらミルおじさんの親友の息子だからと言って許す事は出来ません。この場で土下座して謝って欲しいと思ったのですが南はふっとリンダから視線を外して遠い瞳でこう言いました。


「体が受け付けないんだ。細菌に極端に弱くてな。滅菌処理した物しか食えないんだ、俺…」


何故か少し寂しそうな様子を残して牛舎から立ち去ると、自分の部屋に引きこもってしまいました。


残されたリンダは、ちょっと心が痛みました。ひょっとして南は何か重大な病気で、その療養も兼ねてこの牧場に来たのでは?そう考えたのでした。彼の自己中心的な行動も、肉体労働をしないのも、ひょっとしたら、病気の性で牧場の仕事は、したくても出来ないのではないか…そう考えました。それなら彼の行動も納得出来そうな気がします。


だとしたら、リンダは彼を酷く傷つけた事に成ってしまいます。心がずきんと痛みました。自分はひょっとして思いやりの無い、物凄く嫌な子なのでは無いのかと思いました。

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