未婚の貴族or高名の依頼人 6

 ※事件の時系列は抜いてお楽しみください。


 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「マスグレーヴ、今日グルーナー男爵と、会うつもりはないね?」

「今日どころか、永遠に会うつもりはないが? だからわざわざベーカー街にまで、君を訪ねて行ったんだがね?」

「よしっ!」


 怪訝な表情の幼馴染を置き去りに、ホームズは振り向くと、つかつかと、マリアの方へ歩いてゆく。そしてマリアが固まっているのを気にもせず、がしっと肩を抱き、くるりと方向転換させて、今度は執事に向かって、うしろから彼女を押し出しながら歩いて行った。


「え……?!」

「執事の……なんといったかね? たしか名前はイートンのころに聞いたんだが……」


「ウィルソンにございますよ、ホームズ家のシャーロックぼっちゃま。レディがお困りですから、そのような突飛な行動はおやめください。ご主人さまも困惑なさっていらっしゃいます。お振る舞いを見るに、お兄さまが無事何事もなく家督をお継ぎなさって、ホームズ家にとっては、実によろしゅうございました。お家のますますのご繁栄を陰ながら応援いたしております……」

「今更の祝辞をありがとう! 僕もいまの仕事が気に入っている。兄が無事に家督を継いでくれてよかったと思っているよ! はっ!」


 遠回しに嫌味を言う老執事のしごく丁寧な答えに、ホームズは少し嫌な顔をしたが、それどころではないと、再びマリアを彼の前に押し出した。


「いいかいウィルソン、無論、王室への報告もせねばならんだろうし、レディ・マリアのご両親は、遠い日本をまだ出発なさっていないので、イギリスに到着するまでかなりかかる。ご両親のいらっしゃらない間に、さっさと結婚するわけにはゆかんだろう。ゆえに、まだ結婚は先になるだろうが、レディ・マリアは、とりあえず君の大切なご主人さまと、そう遠くないうちに婚約はされる予定だ」

「!!!!」


『教会の手配をせねば!!』


 周囲にいた使用人たちのざわつきも聞こえず、そう思いながら、執事の頭の中はレディ・マリアの手を取り、おごそかな空気に包まれた教会の中に立つ、若さまの妄想でいっぱいになる。


 先代のご結婚のときは、わたしも当時の執事であった父の見習いで……若さまがお生まれになったときは、妻に内緒で祝いの花火を上げると、先代がおっしゃって、その日の夜、うながされてバルコニーに立たれた奥さまが、それはそれは驚かれ……。


 幸せな思い出を脳内で振り返りながら、執事は目立たぬように、そっと目頭に手を当てていた。


 ホームズはマスグレーヴが怪訝な顔を更に『なに言ってんだコイツ?!』そんな風に曇らせて、なにか言おうとするのを、口元に人差し指を当てて、仕草で沈黙させる。


 マリアにいたっては『また、変なこと言ってるコイツ! ヤバい薬のせい? もう、投げ飛ばして逃げた方が?! いや、でも、キティちゃんが、まだ気絶してるし、人目もあるしどうしよう? でもやっぱり一回、投げとくか?』


 くるりと振り返って隅落しで投げ落とそうと、そう思った瞬間だった。ホームズが耳元でささやいたのは。


「いいかい、これは、ヴァイオレット嬢と、なによりキティのためだ……」

「~~~~」


 ヴァイオレットは正直どうでもいいと言えば、どうでもよかったが、ポーキーに床の上で抱えられ心配そうなワトスン博士にブランデーを飲まされている、そんな気の毒で、不幸な過去を抱えているキティを見ると、いやとは言えなかった。


 腕の中で、無言のまま唇を尖らせ、眉を思いっきりしかめている変な顔の、でも実に可愛らしいマリアに、ホームズは思わず口元をひくつかせていたが。


「ウィルソン、聞いているかもしれないが、レディ・マリアのお父上は、れっきとした元フランス貴族でいらっしゃる上に、母上もホームズ家の出自。そして、わが国では知られていないが、お父上は日本の陶磁器の専門家で、大英博物館の館長も、日本の陶磁器を扱うときには、内々に相談をするくらいの人物でいらっしゃる」

「さようでございますか……」


「いえあの、そんな、とてもレディというような……その……」


 マリアが、ホームズが、まるでバベルの塔のように、自分の設定を盛りに盛ってゆくので、さすがに否定しようとするが、その様子すら、執事には好ましく見えていた。


 東洋で生まれ育ったというこのレディは、ややイギリス風の暮らしには慣れていらっしゃらないところはあるが、遠い異国で生まれ育った以上、それはいたしかたのないことだ。


 しかしながら、レディは、自分が図書室に案内する時も、いついかなるときも、ご自分で扉を開けようとする仕草を一度も見せなかったし、このやかたに少し驚きは見せたが、先ほどから倒れている労働者階級の女のように卑屈になることもなく、そこらの令嬢のように目の色を変えて品定めするでもなく、つねに自然にふるまっていらっしゃる。


 生まれたときから優れた品々に囲まれ、周囲にかしずかれ、ご自身で扉を開ける必要もないほどに高貴で恵まれたお育ちであると容易に想像できた。


 その上、実に慈愛に満ちた女性であることは、床でのびている女を気遣う様子や、自分たちへの接し方で分かる。彼女がこのやかたの女主人にふさわしいであることは、明らかであった。


(実のところマリアにすれば、普段はだいたい自動ドアなので、ついボーっと突っ立ってしまっていた&現代ではこんなゴージャスなお城も、テレビやインターネットで、いくらでも見られるし、完全に芸術にはうといので、キティのようになっていないだけだったんである。)


「お父上は、いささか事情があって、まるで隠遁生活とでもいうように、目立たぬようにお暮しだったが、今回の話を手紙でお知らせすると、大変驚いているが、先に我が家へと、レディ・マリアが手土産にと持参した、珍しいティーセットが盗難に会ったと聞いて、この素晴らしいご縁にと、再び今度は自分が所有なさっているそうだ。イギリスに持ち込めば国宝級に違いない、日本で特別にワンセットだけ作られたティーセットを、是非とも嫁ぐ娘に持参させたいと、ご自身で届けるご用意なさっているとのお返事があったよ」


 さもありなん、こんなに似合いのおふたりは、きっと神の巡り合わせ。お父上も実に良識ある人物らしい。執事はそう思った。


「それはそれは……盗難にあった陶磁器は、あなたさまが探し出すおつもりでしょうな? ご主人さま、いかがでございましょう? これを機会に、少し我が家の“東洋の間”を手入れなさっては?」

「まかせるよ……」


 どのみち陶磁器の真贋を、はっきりさせたかったマスグレーヴは、ホームズのには慣れていたので、なにか考えがあってのことだろうと黙殺することにして、この波に乗り、やしきの陶磁器の鑑定を、是が非でも推し進めると決意し、このことは内密にするように言ってから、執事以外の使用人を下がらせた。


『うちの父は、日本でフランス人の経営する、元祖伝統フレンチ京懐石という、外国人柔道家ご用達、ナゾな宿泊つきレストランを営業している一般人でございますが?』


 一方のマリアは黙ったまま、最近忙しくてあまり見かけない父と、彼の職業を思い出していた。


 そんな時、扉の向こうから複数の足音が聞こえ、その不穏さにワトスン博士が拳銃を取り出そうとするが、ホームズは、それを取り上げると、わざと扉のむこうに聞こえるように、大きく声を張る。


「マスグレーヴ! 君の日本の陶磁器コレクションに、貴重な品が増えたんだって? 拝見できるのを、楽しみにしてきたんだよ!」

「…………」


『開けろ!』


 ホームズは、そう執事に目で合図し、執事は実に慇懃無礼な会釈をすると、慣れた仕草で扉を開ける。するとそこには案の定、しびれを切らして押し入って来た『グルーナー男爵』がいた。



〈 少し前の玄関ホール 〉


「いったい、いつまで待たせる気かね?」

「主人は予定にない方と、お会いにはなりませんので、まことに申し訳ありませんが、本日が名刺を頂戴して、ご用件をいただければ、お伝えさせていただきます……」

「ここに、ハイバー峠の英雄、マーベル将軍の紹介状がある。これで不服はあるまい、さっさと案内したまえ! わたしは、君の主人への誤解を解きにやって来たのだ!」


 グルーナー男爵は、娘のヴァイオレットの泣き落としに負け、将軍が用意した紹介状を、執事見習いをしているウィルソンの息子に、横柄な態度で見せながら名刺を渡し、無表情なままの彼が、それを別の使用人に名刺を手渡し、名刺が銀のトレーにのって、奥へと消えてゆくのを見ながら、葉巻を取り出したが、「当家は喫煙室のみ喫煙可能となっております」そう言われ、不承不承、葉巻に火をつけるのをやめた。


 ヴァイオレットの心をようやく手に入れ、これでイギリスの社交界への扉がひらかれると、喜んだのもつかの間、傷心の娘にことの外に甘いマーベル将軍は、コソコソと自分のあらん限りのツテを使い、よりによって王室の信頼も厚く、イギリス社交界にも絶大な影響力を持つ家柄、マスグレーヴ家の当主、そして、その知己である『シャーロック・ホームズ』という手強い男を引き込んだと情報を得たときは、思わず手にしていた京焼の壺を、とり落としそうになったが、彼は先手必勝とばかりに、先にマスグレーヴ家の当主を懐柔しようと、ここに足を運んでいた。


 玄関ホールのいかにもな歴史を物語る装飾品の数々をながめ、火のついていない葉巻を握ったまま、長い間そこに立ち尽くしていると、やがて先ほどの使用人が帰って来て、目の前にいる無表情な執事風の男に耳打ちし、彼は軽くうなずいてからこちらを見た。


「やはり、お会いにならないそうです。予定を取り直し、後日またおこしくださ……お客さま?!」

「ちゃんと紹介状があるんだ、いるなら少しくらい構わんだろう?」


 何様のつもりだ?! 生まれた家柄が名門の貴族だった。それだけで、これほど横柄な対応をされ、我慢できなかった男爵は、表向きは、にこやかにそう言いながら、実に悪気のない様子で、慌てる使用人たちを無視して、名刺を持った使用人が消えた方角へ進み、目星をつけた扉に向かって進んでゆくと、中から声が漏れて聞こえた。


「……の日本の陶磁器コレクションに、貴重な品が増えた……を、楽しみにしてきたんだよ!」


『この家には、王室に引けをとらないコレクションがあると聞いたことはあったが、やはりうわさは本当なのか!』


 男爵がその言葉に、思わず心ときめかせたその瞬間、開けようとしていた、目の前にある扉が勝手に開き、目が眩むほどに美しい客間の真正面に、一人の背の高い男が立っていた。


 拳銃の銃口をこちらに向けて。


「まだ来客の予定があったのかねマスグレーヴ?」

「いいや、知らん男が勝手に、我が家に入り込んだようだ」

「では、不法侵入者だな!」

「ああそうだ」


「ホームズ!!」


 大声で呼ばれた名前と、同時に聞こえた発砲音に、思わずグルーナー男爵は、反射的に頭を抱えて床に伏せていた。


『V.R.』


 伏せた頭の上にある壁には、まだ少し煙が流れ、“Victoria Regina/ヴィクトリア女王” そう銃痕で刻印されていた……。


『ウソ――! 人の家の壁でもやるってウソデショ?! しかもこんなお城みたいな豪邸の壁に!! しかも人が真横に立ってたんやで?』


 マリアは、いきなりの展開、そして聞いたことのない発砲音が、間近で何発もしたので、耳が……わたしの耳、取れちゃったかも……、そんなくらいの耳鳴りに襲われ、くらくらしながら、まだ煙が少し出ている壁から視線を外して、横にいたホームズを見上げる。


 しかしながら、ヤバいところだらけの、でも世界一有名な凛とした姿の探偵は、なぜか心臓ドキドキするくらい、とてもかっこよかった。


 絶対に内緒だケド……。



 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


 ※お話的には、エドワード7世のはずですが、このシリーズは、『V.R.』でお話を進めさせていただいております。

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