第46話 乱闘
落ち着け、今は任務に専念しろ。
個人的な感情はミッション遂行の邪魔になる。
自分の心に刻み込むようにそう唱えながら、コンクリート打ちっぱなしの地面を蹴った。
集中する意識とは裏腹に、口の中から急速に水分が失われていく。
爆発音の聞こえた商談ブース内からは警備に当たっていた警察官らしき男たちの怒号と、硝煙の匂い、絶え間なく響き渡る銃撃戦の音が響き渡っている。
時間の経過が遅く感じる。まるでスローモーションの映画を見ているような感覚だ。必死に手足を動かしながら、現場の人間たちの無事を祈る。
壁に体を沿わせて体勢を低くし、個室内の様子を伺う。侵入者は三名ほど。思ったより多くない。すでに負傷し、動けなくなったSPや警官が複数名床に転がって血溜まりを作っている。
目出し帽をかぶっているせいで外見的特徴は読み取れないが、体格と身のこなしからして素人ではない。軍隊などで実戦経験を積んだ玄人であることは間違いなかった。
『こちら商談ブース警護班。要人は退避済み。三河重工の部長、部長秘書のみ逃げ遅れた模様』
ふざけるな。
状況から察するに、突如非常事態が起きたことで、現場が混乱し、要人––––国の重要人物を逃すことで手一杯だったのだろう。結果としてこれだけ犠牲が出て、一般企業の社員を現場に取り残してしまったのだ。
この場には江戸の他にも、本部から派遣されている警察官やSPがこの場に三河重工側の警護人員として派遣されていたはずなのに。
自分達「下請け組織」には拳銃の携帯は許可されていないために、銃撃戦では自ら盾になるほかない。江戸にできることは美冬が狙われた時、犠牲になること以外選択肢がないのだ。
会場の端でうずくまっている美冬の姿を確認した。表情は見えないが、見る限りでは怪我はしていないようだ。江戸が全身を盾にするようにして美冬を守っており、三人の侵入者にはそれぞれ警察官が応戦しているが、手こずっている。
タイミングを伺う。
銃を持っていない以上、下手に飛び出しては全てが失敗に終わる。応援が来る前に美冬を人質に取られてしまえば事態が長期化してしまう。
また一人、捜査員が倒された。死んではいないようだが、狙撃を受けて出血がひどい。そのまま江戸の方へ直進していく侵入者に向けて、俺はポケットに忍ばせていたものを思い切り投げた。
当たれ!
ジリジリと江戸に詰め寄るターゲットに向けて投げられたそれは、弧を描きながらスピードを増し、弾丸のような勢いで見事後頭部に命中した。崩れ落ちるターゲットを横目に、個室内に突進する。
入り口付近で防戦一方の警官に銃撃を続けていた一人目の横っ腹に蹴りをお見舞いし、振り向きざまにもう一人を殴りつけようと腕を振り抜く。
一拍、反応が遅れたことを悟ったのは、相手が視界に入った瞬間。
すでに相手方はこちらに銃口を向けていた。
応戦中だったSPは、床に崩れ落ちている。
「危ない!」
悲鳴のような美冬の叫び声が耳をついた。
弾道を読んで避ける暇はない。
鉄の塊が火を吹いた瞬間、俺は意図せず笑っていた。
⌘
「はい、こちら特別事業部第一部 部長秘書葛木です。……部長? はい、大丈夫です」
本社待機となっていた葛木は、自席で翌週の出張の準備をしていた。特に今の時間までは部長からも山並からも連絡はなく、通常業務を淡々とこなしていたところだった。
「メール、ですね。はい、これから送られると」
伊藤部長からの連絡は、今からメールで送る添付ファイルを、早急に開封して部内に共有してほしいというものだった。
電話を終え、受話器を置く。豪胆で無骨な雰囲気の伊藤部長のいつもの声のトーンとは、明らかに違っていた。憔悴しきったような、葛藤しているような、そんな雰囲気が感じ取れた。少しの違和感を感じながらも、メーラーに目を移す。
「ああ、来た来た。これね」
差出人は間違いなく、伊藤部長。「重要書類」とは、ずいぶん簡素なタイトルのファイルだなとは思ったが、今は確か最重要顧客との商談中。急ぎと言われれば開くほかない。
カーソルを添付ファイルに合わせ、ダブルクリックした直後。
葛木春子のPC画面はブラックアウトし、それを合図としたかのように、部内にいた人間のPC画面へと次々と黒が広がっていく。
「え、なに、どういうこと?!」
ざわざわと執務エリアに広がる動揺。初めは単なるPCの誤作動だと思っていた
社員たちも、全てのPCが同じ状況かつ、何をしても動く気配を見せない画面に非常事態が起きていることを理解する。
「おい、一体どうなってんだよ! 今急ぎの資料作ってたのに!」
「再起動しようとしても一向に動かない。ITに連絡してみるしかねえかな」
「ITに電話したけど、内容的にマルウェアの可能性が高いって。ただ、今向こうも非常事態で、SOCがバタバタしてるらしい。状況が状況だから人を寄越せるよう人材を手配するってことだったけど」
「いったい何なんだよ、もう」
突如、伽藍堂な漆黒の画面を映し出していたPC画面に一瞬にしてライトグリーンが広がった。
葛木は自分の画面を覗き込み、息を呑む。
「これって」
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