16.犠牲


 初は他の村人たちと並んで、綿花の苗を植えていた。

 隣には絹が立っていて、周囲を警戒している。

 初は土に穴を開け、背中に背負った苗を入れ、土を盛り直して、ぎゅぎゅっと固めた。

 それができたら、前方の畝に行って、同じ作業の繰り返し。

 列を乱さないように気をつける。隣の人と同じ速さで苗を植えるのだ。遅れたらひどいめにあうので、焦燥感が募る。

 次の畝へと前進した時、絹がさっと初の前に出た。白い袖で初を隠すようにして、めいっぱい体を広げる。

 そして、左右からブシュッという音がした。

 初の隣で作業していた二人が、相次いで倒れる。……全身から血を勢いよく噴き出して。

 びちゃびちゃびちゃ、と初に二人の血液が降りかかった。

 初も村人たちも、声にならない悲鳴を上げた。

 初が震えながらもそうっと絹の向こう側を見ると、マガ神様がいて、畑をうろついていた。マガ神様はもう畑の人々には興味を失くしたらしく、どこか別な方角へと歩み去っていくところだった。

「おい、何してる!」

 監視兵が遠くから怒鳴った。

「死体はとっとと片付けろ! 作業が遅れるだろうが!」

 監視兵は銃弾でやられたのだと思い込んでいるようだった。

 初は泣く泣く、真っ赤に血濡れた遺体の脇を持ち上げて、運び出そうとした。

 だが遺体は妙に、やわらかかった。

 初が遺体を引っ張ると、肋骨の辺りが餅のように伸びたかと思うと、ぶちぶちぶちと皮膚と筋肉が千切れた。それを見た村人たちが更なる悲鳴を上げる。マガ神様だ、と密やかに呟く者もいた。

 監視兵は、幸いこちらを見ていない。

「……もうやだぁ……」

 初は泣き言を言った。そして、内臓が剥き出しになった遺体のお腹の辺りを抱えて運ぼうとしたが、今度は腿の辺りが伸びて千切れた。筋肉と骨が露わになる。

「……あああ……」

 初はどうすればいいのか分からなかった。だが早くしないと怒られる。そこで、ぐちゃぐちゃに千切れた遺体を丸めるようにして掻き集めた。骨が邪魔だったが、団子状にしてしまえば、持って運ぶことができなくもない。大人一人分の団子は初にはいささか重かったが、そこは絹が支えてくれたので何とかなった。

 もう一人の遺体も、似たような方法で運ばれて行った。遺体を放棄するための溝のところまで。

 初の全身はもう真っ赤でべちょべちょで、臓物のかけらなんかも引っ付いていて、気持ちが悪いことこの上なかった。だがまさか洗い流す暇などあるわけがない。そのまま急いで畑に戻る。綿花を植える作業が再開された。今度は死んだ二人の分までも、他の人と協力して補いながら進めなくてはならない。

 みんな、真っ青な顔をしていた。

 マガ神様が恐ろしいのだ。

 少し間違えれば、自分も肉団子になっていたのだと思うと、おぞましくてたまらない。初だって、絹が守ってくれなければ、間違いなく餌食になっていた。

 村人二人の変死の話は、食事中やお手洗いなどでの情報交換を通じて、すぐに壁の中に知れ渡ったようだ。誰もが次は自分だと怯えている。


 午後になると、初にぶちまけられた血液は、カピカピに固まっていた。不快感は少しだけやわらいだ。……少しだけ、だが。剥がれ落ちようとする血の塊を叩き落としながら、初は午後の労働へ向かう。

 まずは労働者たちが位置につく。その様子を監視兵が厳しく見張っている。

「のろのろするな! さっさと動け!」

 よくもまあ飽きもせず毎日毎日怒鳴り散らせるものだ。

 畑にはまたマガ神様がうろついていたので、絹はがばっと手足を広げて初を隠していた。

それでも初は怯えていた。今度は誰が死ぬのだろう。どんな死に方をするのだろう。どんな凄絶な事件が待ち構えているのだろう。

「苗は持ったな? 作業を始めるおおああああううん……」

 監視兵はぐにゃんと妙ちくりんな角度に背中を曲げて、ぐねんぐねんと体をうねらせた。そしてぺったんと背中が反対向きに折り畳まれた状態で地面に倒れた。手足があべこべな方向に投げ出されている。まるで踏みつけられて捨てられた柔らかい人形のようだ。その口からは一筋の血が流れていた。

 ヒャーッと悲鳴が上がる。

 すぐに他の監視兵が駆けつけてきて、「うわっ」と言った。信じがたいものを見る目で仲間を見下ろす。

「何……やってるんだ? おい……。どういうことなんだ、それは?」

 監視兵が仲間の手首を恐る恐る握る。握られた手首は、ぐにゃんぐにょんと、見る者を嘲るかのように揺れた。

「脈がない……というか、骨もない……? こんな……こんなこと……」

 監視兵は呟いた。それから村人たちを怒鳴りつけた。

「何があった! 説明しろ!」

 だが誰もが黙っていた。マガ神様の祟りだなんて言ったら怒られるに決まっているからだ。監視兵は舌打ちをして、上官のところへ報告に行った。じきにぐにゃぐにゃした遺体はどこかへと運ばれた。

 再び噂が駆け巡る。

 どうも、本日の犠牲者は、村人二人と、監視兵一人の、合計三人らしい。


 寝る前になって、初は、絹に暗い声で言った。

「ねえ……マガ神様は私を探しているよ」

「……」

「今日は二回とも私の目の前で人がやられた。絹が隠してくれていなかったら、私はとっくに……」

「……」

「私があの時ちゃんと踊れなかったから、マガ神様は怒っていらっしゃるんだ……」

「……」

「絹、どうしよう。私のせいだ……私の……」

 絹は初をぎゅっと抱きしめた。

「大丈夫。そんなことない。マガ神様の行動には理屈が無いから」

「……?」

「初は確かに狙われているみたいだけど、マガ神様は狙った獲物以外にも沢山殺すから。……じきに関係ないところでも死者が出るよ」

「……なぐさめになってないよ、絹……」

「初は、生き延びることだけを考えて……」

 絹は祈るような声で言った。


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