12.つらい


 嘘つき、と初は思った。

 絹の嘘つき。意地悪。人でなし。

 ずっと一緒にいるって言ったのに。

 こんなところに一人ぼっちにするなんて、ひどい。

 どうして助けに来てくれないの。

 怖くて怖くて仕方がないのに、どうしてそばにいてくれないの。

 

 初は、手の拘束具を外されて、よく分からない道具が沢山置かれた真四角の狭い部屋で、椅子に座らされていた。対面には、白衣の女性拷問官が脚を組んで座っている。履いている長靴には金具がついていた。

「ここでのことはある程度私に一任されてるんだけどね」

 彼女は手元にある資料をめくった。

「ふうん、あなた、異教の儀式をやったの? へえー。 でも、駄目だって言われてるの知ってるよね?」

 初は小さく頷いた。彼女は頭を掻いた。

「これはちょっときつく躾ける必要がありそうだね……。でないと私が上官に怒られちゃう。やれやれ。子どもをいたぶっても、大して面白くなさそうだけど。はあ……手加減できるかなあ……」

 初は震える手をぎゅっと握りしめる。歯がかちかちと鳴っていた。

 拷問官はずいっと顔を近づけた。

「もう異教の儀式なんかやっちゃ駄目。あなたが崇拝するのは皇帝様と天神様だけ。理解した?」

「分かりました」

「はい嘘」

 拷問官は初を蹴り倒した。そして、ガッ、ガッ、ガッ、と三回、初のお腹を踏みつけた。

「言ってごらん? あなたが信じるのはだあれ?」

「こっ、皇帝様と、天神様……ッ」

 言い終わらないうちに絹の腕を踏みつける。パキッと簡単に骨が折れて、初は激痛に叫んだ。それから拷問官は鞠のように初を蹴っ飛ばしたり踏みつけたりし始めた。骨は五ヶ所くらい折れた。額が切れて血がどばどば出た。

「うん、こんなもんかな」

 拷問官は初の鳩尾を踏んでぐりぐりと捻った。

「もう一度言ってみて? あなたがやっちゃいけないことは何? 崇拝するのはどなた?」

「異教の儀式はもうやりません。皇帝様と天神様を崇拝します」

 ぶすっ、と首元に針を刺された。そこからどろりとした得体の知れない何かが体内に流れ込んでくる。初は訳が分からず、刺された箇所を反射的に押さえた。

 カッと体が熱くなった。

 怪我をしたあらゆる場所の痛みが、爆発的に大きくなった。

「あがぁぁぁっ!」

 初は身悶えして床を転げ回った。

 折れた場所が痛い、切れた皮膚が痛い、そして全身が焼けるように熱い。

「はい、もう一度言って。あなたがやるべきなのは?」

「異教のっ、儀式はっ、やりまっ、せんっ、あああああ!」

「それから?」

「崇拝するのはっ、皇帝様とっ、天神様っ、ですっうあああああ!!」

「うんうん。あなたが本心からそれを言えるようになるまで、これ毎日やるから。ちゃんと改心することだね」

 拷問官は足をどけた。

「たぶん昼頃まで痛いの続くけど……分かんない、子ども相手にこの薬やったことないから、分量間違えたかも。あはっ、ごめんねえ」

 それから初を部屋から引き摺り出した。それすら痛くて、初は悲鳴を上げた。

 拷問官は軍人に初を引き渡した。

「はいこれ、子ども被験体第一号。元の檻に戻しといて。午後になったら実験やるから、また連れて来てね」

「はっ。承知しました」

 軍人は言うと、初を小脇に抱えて檻まで戻った。拘束具を付け直されて檻に閉じ込められた頃には、初は苦痛のあまり呼吸困難に近い状態になっていた。ぜひゅー、ぜひゅー、と必死に息を吸い込む。

 こんなにひどいことはこの世にないと思った。

 だが違った。

 午後の実験では、もっと恐ろしいことが待っていた。


「へえ、根性あるね。まだ精神がしっかりしてるんだ」

 同じ部屋で同じ拷問官がそう言って、また資料をめくった。

「でも子どもだからなあ……。殺害はこの施設の主目的ではないし。どの実験をやるのが一番いいかねえ……」

 初は力が抜けて今にもくずおれそうだったが、我慢して座っていた。

「うん、決めた。あなたにはこれ」

 そうして見せられた写真には、おぞましいものが写っていた。

 人、だろうか。全身にできもののようなものが広がっていて、それが体を奇妙に膨れさせたり凹ませたりしている。皮膚の色も赤黒く変色していて、まるで焼け爛れているようだ。目玉が少し飛び出ていて、口は半開きになっており、鼻らしきところからは血が出ていて顔にこびりついている。

 初の白くなった顔色を見て、拷問官は笑った。

「あはは、ここまでひどいことにはならないよ。でも、あなたにはこの病気にかかってもらう。それで治療薬を飲んでもらいます。治療してもらえるんだから安心でしょ? まあ、この薬はまだ人間には試していないから、失敗するかも知れないけどねー。でも多分大丈夫でしょう。多分」

 初はおとなしくしていた……というより、恐怖で声が出なくなっていた。

「はいじゃあ、この病気の病原菌を入れます。腕出して」

 初は硬直していた。出そうにも、両腕とも骨折している。拷問官は構わずに初の腕を引っ掴むと、病原菌を注射した。初は絶望のあまり、目の前が真っ暗になりそうだった。あの写真が瞼の裏にこびりついて離れない。

「はい、経過観察。一旦檻に戻りな」

 再び連れ戻される。少しすると、ガボッと口から血が出た。腕を見ると、早くもぶくっと皮膚が変形している。手の方は赤く爛れ始めていた。どちらもずくんずくんと断続的に痛む。骨折したのと同じくらいの痛みだ。痛い、と言おうとしたが、怖くて言葉にならなかった。

 先程見せられた恐ろしい写真が、いよいよ鮮明に脳裏に浮かんだ。

「嫌だ」

 初は辛うじて呟いた。

「あんなふうになりたくない。助けて……助けて、絹」

 それでも絹は、来てくれなかった。

 夕食の時間になると、初の檻に、水と粉薬が提供された。

「食後に飲め」

 軍人はそれだけ短く言った。

 初は顔をお椀に近づけて粥をずるずると吸い込み、動かぬ腕で悪戦苦闘しながら薬を飲んだ。まずくて吐くかと思ったが、吐いたら病気が進行する。二の腕で何とか口を押さえて、ひたすらに悶絶した。


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