第10話 帰趨

 遮るものが何もない砂の上で、暑さがじりじりと凶暴さを増してきていた。

 本来ならばとうにこのは終息しているはずで、まだ来ない公王カイルからの使者に予定が狂ったのは否めない。

「埒が明かぬな」

 緋炎の騎士は軽く舌を打った。

 様々な事態を想定をして行動してはいるものの、馬の疲労が通常よりも早い。多くの経験を経てきた名馬ではあるが、比較的気候の穏やかなラーカディアストの馬たちにとって、砂漠が過酷なことには変わりなかった。

「公王からの使者が来ないのであれば、止むを得ぬ」

 ラーカディアストにして終わるのではなく、退という名分を与えようという温情は、もう捨てた方が良さそうだと緋炎は思う。

 たった千人の兵に五騎士が手こずったなどという噂が立つのは好ましくなく、新公王が迅速に事態を収束させられないのであれば、そこは諦めてもらうしかなかった。

「……時間切れだ」

 これまででもつけるように敵をあしらっていた緋炎は、わずかに苦い笑みを浮かべ、砂国エンジュの公都アトンが在る方向を一度だけ見やる。

 砂だけが広がるその光景に何の変化もない事を確認すると、手に持っていた剣を鞘に納め、その背にっていた身の丈ほどもある直刀を一気に振りあげた。

「殺しはせぬ。だが、も終わりだ」

 弧を描くように躍動する刀影は周囲に居た敵兵たちをしたたかに打ち、次々と落馬させて道を開くと、ルーヴェスタは橙炎と碧炎のいる場所へと馬首を向けた。

 そこには大きな公国旗が揺らめき、ジェスダールの兵たちをまとめる男がいるのは明白だった。


『 ―― 我ら砂国エンジュの兵は、公王のめいがある限り、戦いを止めることはない!』


 緋炎がその場にたどり着いたのは、橙炎や碧炎にをされたジエイが抗う姿勢を見せたのとほぼ同時だった。

「やはり、公王の兵に考えを改めさせることは難しかったようだな」

 残念そうなゼア・カリムと、楽しそうに笑うミレザの対照的な顔があまりにも、緋炎は小さく笑った。

 初めて見た時から愚直ともいえる彼らの忠誠心の篤さは分かっていたので、投降しないことへの焦りや怒りはない。ただ、だとは思う。

「もう武器もないのに、威勢だけは変わらないんだから困ったものだよ」

 呆れたようにため息をついて、ミレザは合流してきた緋炎の騎士を見やる。

 剣を鞭に砕かれ攻撃の手段を失ったジエイとその周囲の兵たちには、もう目の前にいる敵を睨むか、素手で組み合うくらいしか出来ないというのに、投降する気もないという。

 それはまるで、「自分たちを止めたければ殺せ」と言っているかのようだ。

 周囲ではまだ多くの者たちが戦う剣戟の音が聞こえているというのに、この場所だけが異様な静寂に支配され、けれども強烈な意志が満ちていた。


「まったく。おまえたちだって、本当はジェスダール公王の命令は無謀で、間違ったものだと分かってるはずだろうに」

 碧炎ゼアはさらに説得を試みるように、死を望む敵兵たちに問いかける。そんなものに付き合う必要はないのだと、はっきりと言ってやりたかった。

 ぐっと、ジエイをはじめとする公王の兵たちの表情かおがこわばった。

 確かにそれは、最初から分かっていたことだった。けれども。公王がそれを望むのであれば、自分たちに否応はない。

「……公王あるじの命を遂行すること。それが我らの役目だ。是非の判断はその範疇ではない。おまえたち五騎士だってそうだろう」

 それが忠臣というものだと、ジエイは持論を返す。


「ふうん、そう? 主君あるじの命令を何も考えず盲信的に遂行するのは、忠臣のやることじゃなくて、ある意味に近いと思うけどね。まあ、その命令が正しいと思えたのなら、自分の意見を後回しにするのは仕方ないけれど」

「…………」

 まるで音楽でも奏でるようにやんわりと穏やかに笑う橙炎ミレザの言葉に、ジエイは悔しげに唇を噛んだ。

 自分たちはこれまでずっと、己を捨てて公王に尽くすことがとして生きてきた。それを佞臣ねいしんだなどと否定されるのは許せなかった。

「……それならっ! 皇帝が間違った道に進もうとしたときに、おまえたちは止められるというのか!」

 まるで八つ当たりのようだと自覚しつつ、ジエイは子供の癇癪のように上擦るように叫んだ。そんなこと、出来るわけがないのだ。

 けれども ―― 橙炎も緋炎も碧炎も。ただ小さく笑っただけだった。


「無論、陛下が間違った道を行こうとするのであれば、身命を賭してお止めする。……だが、あの方が信念に基づきその道を選択され、我らを導くのであれば共に進む。行き着く先が、たとえの底であったとしても」

 黒豹にも似た琥珀の双眸が、ぎらりと底冷えするようにジエイに向けられる。

此度こたびのジェスダール公王の策謀は、どちらだ?」

 血迷ったのか。信念の末か ―― 。

「……それは……」

 どう考えてみても、公王ジェスダールは血迷ったのだとしか、ジエイにも思えなかった。そう考えることすら不敬であると普段なら思う。けれども今は、何故かそこに罪悪感を覚えることはなかった。


「 ―― それで、本当に投降する気はないのだな?」

 緋炎の騎士は、最後の確認だというように鋭いまなざしを向ける。

 怖ろしく長い直刀を手にするその姿はまるで鬼神のようで、ジエイの顔がくしゃりと歪んだ。

 いつの間にか周囲での戦闘も止み、空には多くの炎色旗だけが揺らめいて、エンジュの兵は地に座り込むように、こちらの様子をじっと伺っていた。


 圧倒的な武力と厳しい言葉と。

 勇猛果敢なはずのジェスダールの兵たちの精神こころを打ちのめすように、炎彩五騎士の存在は容赦がなかった。

 公王への強い忠誠心も、一度でも疑問を持ってしまえば、それが小さな楔となる。

 現に周囲の若者たちの表情からは戦う意志が弱まり、不安そうに隊長であるジエイを見つめていた。

「……それでも私は、生き方を変えることは出来ない」

 ぽつりと、ジエイは呟いた。もしかしたら、これからは変えていかれるのかもしれない。

 けれども ―― すぐには無理だった。

「だが……私以外の者たちは投降させよう……」

 自分のを守るためだけに、他の者たちを巻き込むわけにはいかなかった。


「 ―― そうか」

 自分一人の命を以ってこの戦を終結させる。そんなジエイの覚悟に、ルーヴェスタは小さく頷いた。

 愚かではあるが、それも武人の生き方のひとつではある。その決意にかすかな敬意の彩を浮かべ、緋炎はすっと、細く長い刃を振り上げた。

「待て、緋炎!」

 不意に、ゼア・カリムが緋炎の騎士を制止した。

 これまで砂以外何も存在していなかった景色の中に、大きく揺らめく旗のようなものが見えた。

 それは幾ばくかの騎影とともに、こちらに近づいて来る。

「……公王旗」

 ジエイは信じられないというように目を見開いた。黄色い公国旗よりもさらに美しい、日輪が描かれた黄金の旗。

 更には近付いて来る騎影の中央に、馬ではない、砂国エンジュで公王のみが騎乗を許される駱駝の姿が見えた。


「カイル殿下……」

 そこに騎乗していたのはジェスダールではなく、継嗣であったはずのカイルの姿。

 先ほど碧炎の騎士が言ったように、すでに公王の御位みくらいはジェスダールではなくカイルに移ったのだと、理解するしかなかった。

 それは簒奪ともいえる行為ではあるけれど、この温厚な王子がそれを決意するほどに、今回のことはジェスダール公王の大きな間違いだったのだろう。

 ジエイは公王の姿を脳裏に思い浮かべ、物悲しそうに深いため息をついた。


 十騎ほどの護衛と共に姿を現したカイルはやや青ざめ、けれども凛と強い眼差しで、周囲を見回すように顔を向けた。

「公王直属の兵である貴公らに命ず。前公王のくだしたバーティアへの攻撃とラーカディアスト軍との戦闘命令はすべて白紙に戻す。ただちに武装を解除し、アトンに帰還せよ」

 朗々とカイルは宣言し、隊長であるジエイを見やる。

 父が持ち出した御璽と国璽は、彼を逃がした従者が持っていたようで、まだその行方が分からない。

 だからこそ、カイルは公王旗と白駱駝を率いた己の姿を兵たちに見せることで「公王の命令」であることを納得させるつもりだった。

「…………」

 ジエイは自分自身を納得させるように目を閉じ、ひとつ大きな深呼吸をした。そうしてすっと、地に片膝をつき、主に対する礼をとる。

「 ―― 承知、いたしました。ただちに、アトンへと帰還いたします」

 これまで投降を促していたはずの炎彩五騎士の面々が、カイルの言葉に異論を挟まず傍観している今の状況を見れば、おそらく両者の間で何らかの密約があったのだろうとジエイにも分かった。

 これまでの帝国の動きの理由も分かった気がして、すべては茶番だったのだと悟る。

 そこに思うことは色々とあったけれど、今はこれで良かったのだと。そう思った。



「到着が遅くなり、ご迷惑をおかけしました」

 退く準備を始めた兵たちの様子をしばらく見つめてから、カイルは碧炎の騎士へと視線を向けた。

 順調かと思われた計画が崩れたのはすべて自分の不注意のせいで、不要な手間をかけさせてしまった五騎士には申し訳なかった。

 これだけの人数が戦えばさすがに全員無傷とはいかないにしても、予定通りに来れていれば、負傷した兵の数はもっと少なくできたはずだという後悔もある。

 幸い死者がいないことだけは救いだった。

「何か、不測の事態があったのですか?」

 部下たちに後退の指示を終えてようやく合流してきた紫炎ラディカは、やや顔色の悪いカイルを気遣うように声をかける。

 碧炎の報告によれば、彼は朝には公王の位についていたはずで、ここまで到着が遅れたのには理由があるはずだった。


「……御璽と国璽を持ち出した父が、何者かに刺されました」

 血まみれとなって運ばれてきた父ジェスダ―ルの姿を思い出しながら、カイルは苦しげに目を伏せる。

 宮にたどり着いたときは既に父の意識はなく、涙を流しながらも気丈に周囲に指図するアステアの、震える声だけが耳の奥に鮮明に残っていた。

「今回の件で父を唆した者がいるようで……帝国にを漏らされるのを防ぐために口を封じたのではないかと」

 こんなことになるのであれば、もっと強く父を諫めその無謀を止めておけばよかったのだとカイルは思う。

 父を唆したへの怒りと。それに乗ってしまった父への悲しみ。そして止めることが出来なかった自分への後悔と。多くの感情が入り混じり、カイルの碧い瞳は震えるように揺れていた。

「 ―― 御父君の容体は?」

 緋炎の問いに、カイルはただ、静かに首を振った。

「そうか……。炎彩五騎士の主座として、お悔やみ申し上げる」

 琥珀の双眸を静かに伏せ、黙祷するようにそう告げると、緋炎ルーヴェスタはすっと表情を改めカイルを見やる。


此度こたびの砂漠でのは、ジェスダール公王の訃報により中断とする。我ら帝国軍はしばし休息を取ったのちそれぞれ帰路につく故、砂国エンジュにおいては我らを気にすることなく、前公王との別れを惜しまれよ」

「 ―― !?」

 カイルは思わず目を見張った。

 緋炎の騎士の言葉は、父ジェスダ―ルを反逆者としてではなく、前公王として弔意を示したということだ。

 そしてこの戦は、軍事演習であったのだと ―― 。


「…………」

 その温情は緋炎の独断というわけではなく、皇帝エルレアの普段からの意志あってこそのものなのだろうとカイルにも分かる。

 あれだけアステアが皇帝に心酔している様子だったことも、この炎彩五騎士の姿を見ると理解できる気がした。

「…………御言葉ありがたく。頂戴いたします……」

 カイルはそっと。帝都に居る皇帝に謝意を示すように頭を下げた。

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