第23話

「それじゃあ、俺達は戻って詳しく聴取するので。他に侵入者は居ませんでしたが、また何かあったら、俺達の方に直接連絡を」


 立花がそう言って、男を車に詰め込んでいく。昼の日差しの下、警察らしくない日本車を走らせて、街に消えていった。

 それに小さく手を振っていた先生は、いつの間にか火のない煙草を咥えて、家の二階を眺めていた。


「先生」


 私が声をかけると、彼は「何だ」と煙草を手に戻した。


「結局、あの男は何だったんですか」

「それは私が知りたいところだ。栄養失調と何らかの疾患を伴って、放心状態で何も喋れない様子だった。身体の状態からして、一週間は何も食べていなかったらしい」

「ホームレスだったんですかね」

「いや、それは違うだろうな」


 私の言葉を否定して、先生は二階の、更にその上を指差す。くるくると回す指先に、皆の目線を集まっていた。


「屋根裏、見てみないか?」


 先生の一言に釣られて、私達は両親の寝室に戻った。ベッドも何も、荒らされてはいない。ただ唯一、押し入れの襖が開けられて、滅茶苦茶になった内部が露呈していた。

 騒ぎの渦中では気がつかなかったが、布団やら枕やらが雪崩になって床に散乱していた。それらを跨って避け、先生が指差したのは、押し入れの天井だった。狭い空間の中に頭を押し込むと、ズレた板と板の隙間から、暗い向こう側が見えた。


「まさかとは思いますが、ここから出て来たんですか、あの男は」

「そうだろうな。少なくとも一週間以上はこの屋根裏で過ごしたはずだ」


 先生の推測はおよその理解はしやすいものだった。曰く、私が生家に戻ってくる直前、何らかの理由で、既に男が侵入していたらしい。そのうちに私がここに住むようになって、外に逃げることも出来ないまま、数日が経過してしまったという。そして昨日、昼頃私が倒れた騒ぎと、一晩家が無人となったことから、二階に降りてきたのだろうということだった。ただ、その直後、先輩達が侵入したので、二階を彷徨いて様子を見ているうち、再び先生達による騒ぎが始まり、屋根裏に戻ろうとして、識君に捕まったのだという。


「ただし、実際のところは本人が話さなければ何もわからん。住んでいるのが女一人だとわかっているのなら、暴力に訴えるなりして金品やら食糧やらを奪って逃げることなんていつでも出来ただろう。それなのに今まで出てこなかった意味がわからない」


 何より、と付け足して、先生はスマホのライトを天井裏に差し向けた。


「この家は普通ではない。何があったとしても、おかしくはないんだ」


 天井の穴に、先生は手を入れる。その大きさをざっくり測ると、何か考えるようにして、腕を組んだ。識君を見るが、眉間に皺を寄せ、次に私と綴を見る。


「困った。やはり私と識では肩が広すぎて入らん」

「もしかして警察の方々が先に帰ったのって……」

「あの二人では押し入れに入る時点で無理だ。天井を破壊してしまうのもよろしくない。私達ならどうにかならないかと踏んだが……無理だな。予想以上に狭い。かと言って、花鍬や菖蒲は蟲を見た件がある。屋根裏に何か怪異に関する物品があった場合、どう影響するかわからない」


 危険だからと言って、天井の向こうを確認しないという選択肢はないらしい。ふと、静かに視界から消えようとしていた生成と織部を見る。私達の目線に気づいた二人は、動きを止めた。首を横に振って、拒否を示す。それを見た先生が、一歩、強く足を踏み出すと、織部が背筋を伸ばした。


「俺が行きます……しゃ、写真とか撮ってくれば良いですか?」

「そうだな。隅々までとは言わないが、何か特徴が無いかだけでも這いずって見てこい。心拍数が上がったり、息が浅くなる感覚があったらすぐに戻れ。閉所恐怖症でぶっ倒れたら生成を投入しなくちゃならん」

「指示が雑な上に若干効き目の良い脅迫を交えてくるの、何というか最悪ですね」

「それ以上にやらせることが無いんだから仕方がないだろう。行け。飯くらいは奢ってやる」


 文句を垂れつつも、織部はスマホを持って、押し入れの中に体を乗せた。ギシと木材の歪む音がする。全開まで開いた天井裏への入り口に、手をかけた。右手でスマホを掲げながら、左手だけで這い進もうというらしい。壁を蹴って天井裏に身を乗せる様は、頭を潰されたカマキリに似ていた。

 部屋の上部を這う音が聞こえた。忍ぶ意味もない織部は、音を立てながら動き続ける。それを追って、私達も二階を巡っていった。寝室から出て、客間、書斎に続く。一度、廊下に出た。そうして、ふと、織部が天井を叩いた。


「先生! 臭いです!」


 張り上げた声が、私達に降り注いだ。


「天井裏なんてそんなもんだろ」

「そうじゃなくて! ここだけなんか、違う臭いがするんですよ!」

「どういう臭いだ」


 数秒、考えるような間が与えられて、織部の唸る声が僅かに響いた。ガタンと、彼が身を捩ったらしい音がした。


「甘くて……酸っぱい……生ゴミを溜めて、その上にヨーグルトぶっかけて……葡萄とか、林檎とか、潰して、腐らせたみたいな……」


 彼の言う、臭気をなぞる。その言葉を拾い上げると、一つだけ、心当たりがあった。先生が目の前のドアノブに手をかける。先生も、理解していた。私達の目の前にあったのは、妹の自室だった。

 室内は、母が死んだ日から、何も変わっていない。可愛らしい少女の部屋だった。フリルのついたワンピースが、押し入れの前にかかっていた。先生はそれを剥ぎ取って、押し入れを開けた。詰められていた布やら何やらを引っ張り出す。押し入れの天井を確認すると、先生は天井を形成する板の、その一枚に触れた。天井は素直に、黒く暗い口を開けた。


 そこから滑り落ちて来るのは、私が何度も噛み砕いた、百足の死骸だった。

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