誰にでも優しい筈の学園の聖女様は、僕にだけ噛み痕を残す

和鳳ハジメ

がぶがぶ/1 苦学生/卑怯者・竹清吉久



 何度見直しても同じだった、窮地である事を示す四桁の数字は変わらない。


(よ、四千円……だって?? 今月あとまだ半分残ってるのに、これで過ごせと??)


 スマホからアクセスした銀行の残高は、何度ページをリロードしても変わらない。

 私立アングレカム学園に通う生徒、竹清吉久(たけきよ・よしひさ)は苦悩の表情でうなだれた。


(とほほ、確かに仕送り減らすとは言ってたけどさぁ……、いや四千円、また親父のやつクビになったね?)


 彼の父は昔から運が悪かった、故に吉久は貧乏な家で育ち。

 そんな彼が私立という金のかかる学園に通っているのは、勉学においては優秀であるからだ。

 成績の良さにて特待生入学、学費は無償、寮の家賃だって無償。

 もっとも、食費や光熱費までは支給されない故に。


(はぁ……バイト増やすかなぁ。いやでも、迂闊に増やすのも考え物だものだし)


 吉久もバイトはしている、だが食べ盛りの高校生。

 その殆どは食費に消えていて、余裕なんてある訳がない。


(やっぱ穴が開いたからって、下着を一式買い直したのが痛かった、穴が広がって着られなくなるまで着るべきだった。正直、ちょっと仕送りを当てにしてたもんなぁ……だよなぁ、当てにした途端こうなるって分かってた筈なのに)


 放課後の教室で一人、成績を維持するため予習をしていた吉久は即座に食費の計算を始めた。


(スマホ代とかそういうのは支払い済みで、食費だけなのが助かった。残り十六日、不測の事態を考えて一日の食費は二百円…………二百円だって!?)


 水は水道水でいい、もやしは必須だ、買い出しで狙うは半額になった肉や魚。

 彼のバイト先である学園近くの青果店、その給料の支払い日は月末。

 なんとかして、乗り切らなければならない。


「――――店長に少しでも前借り出来ないか聞いてみよう、最悪の場合は先生の誰かに直訴するとして」


 最悪の最悪の、奥の手といっても言い手段が吉久にはある。

 消費者金融を使うより最悪の手段であり、出来るなら使いたくない。

 それを使うのは、もはや人格を疑うほど非道な仕業で。

 

「じゃあ今日は帰るか、そろそろ日が落ちるもんね」


 夕暮れの日差しが、教室を赤く染めつつある。

 彼は手早く帰る支度をすると、廊下に出ようとして。


「――っ!?」


 その瞬間、とっさに後ろに下がった。

 廊下の先には見覚えのある人物、学園の聖女と名高い一条寺初雪が歩いていたからだ。


(不味い不味い不味いっ、不味いってこれ! 早く隠れなきゃ、初雪さんと二人っきりとかさぁ!!)


 吉久は慌てて教室を見渡し、急いで掃除用具を入れているロッカーの中に入った。

 息を潜めること三十秒後、彼女は入ってくるなりキョロキョロと教室を見渡して。

 探しているのだ、竹清吉久その人を。


(毎日見ても見飽きないほど綺麗だなぁ、初雪さん……)


「おかしいですね、まだ教室に居ると思ってましたが。今日はアルバイトの日でもありませんし……、さっき見えたのは気のせいだったかしら?」


(同じクラスなのを感謝! はぁ、腰まである銀髪に白い肌……、胸も巨乳で、腰は細くてさぁ、お尻も揉むのが楽しいほど大きくて、むっちりしてるのにスマートさを感じる太股もまた……、流石はロシアンハーフ、じゃなくてっ! 見てたら気づかれるって!!)


「――この愛おしさに満ちつつ変態的な視線は吉久君ッ!! ……居ますね、何処かに隠れていますね?」


(何で気づくのさぁああああああああ!?)


 彼は焦った、別に彼女の事は嫌いじゃない。

 むしろその逆、愛してるとさえ言っても過言ではない。

 だが、今の吉久には彼女を正面から直視できない理由が。

 自分から話しかけるのにも、躊躇いを覚える理由があった。


「何処に居るんですか吉久君? 私から隠れるなんてなんて卑劣なヒトなんでしょうね?? ええ、私を脅迫して身も心も犯したヒトに相応しい行動です」


(そう思うんならさぁ、通報してよ、僕あれからずっと待ってるんだよ? 君が通報して警察が捕まえに来る日とか、強制的に退学になる日とかさぁ!!)


 そう、竹清吉久は何処に出しても恥ずかしい犯罪者である。

 彼女の思いを募らせ、拗らせ、トイレの排泄写真を隠し撮りし。

 この学園の理事である彼女の父の弱みを握り、それを以て脅迫し。


「まだ逃げようと思ってるのですか?」


 カツ、カツと足音が響く。


「あの半年間、学園にいる間も家にいる間も、昼も夜も関係なしに私を抱き」


 カツ、カツと足音が近づいてくる。


「避妊などせず、絶頂しても許さず、強制的に愛の言葉を言わせ」


 カツ、カツと足音が止まる。


「――そんな卑劣で外道で畜生な貴方が、罪を償わず私から逃げられるとでも?」


 ぎぃと扉が開く、半顔を覗かせ、ぎょろりと青い瞳がロッカーの中に向けられる。


「ひぃっ!?」


「見ぃつけたぁ、ここに隠れたんですね吉久君。……今日こそ、色よい返事を期待してるのです、――よっ!!」


「うわぁっ!?」


 ぐいと手を引かれ、吉久をロッカーから強制的に出された。

 思わずバランスを崩し尻餅をつくと、彼女はしゃがみ込んで彼の顔を両手で掴む。


「うふッ、あははははッ、捕まえました吉久君。私の、私だけの卑劣な王子様ッ、――――あむッ、がぶがぶ」


「っ!? い゛っ、痛っ、あ、相変わらず君は躊躇無く噛むよねぇ」


「ええ、誰がそう仕込んだんでしょうね?」


「いやそれ君の素だから、確かに僕は君に対して許されない事をしたけど、そんな事は仕込んでないから」


「…………」


「…………」


「え?」


「マジマジ、気づいてなかったの? 確かに最初に初雪さんに噛み痕をつけたのは僕だけど。いつの間にか君ってば、何かにつけて噛むようになってたよね?」


 きょとんと瞬きをする初雪、その名前を表すように雪のように白い肌が見る見る内に赤く茹であがる。

 そして、その隙を見逃す吉久ではない。


「隙ありっ」


「ああッ、んもう! 待って、逃げ出さないでください吉久君、お話があるんです!」


「そんなコト言ってさ、また責任取って結婚しろとかそういうのでしょ? 何回も言ってるけどさ、僕は卑怯だから自分から警察に自首しないけど。脅迫材料は全て渡してあるんだから好きに通報してよ」


「被害者である私が側に居てと言うのですッ、なんで側に居てくれないんですか!! 自慰をしても一人で絶頂に達する事の出来ないカラダにしておいてッ!!」


 うがー、と怒る初雪に彼は冷静に、そして穏やかな表情で告げた。


「だってさ、君は心も綺麗だから。僕みたいに卑怯で卑劣なヤツが側にいるなんて、君という存在が汚れるだけなんだ。――僕は、竹清吉久という男は君の隣に世界で一番相応しくない」


 そう言い切った彼に、彼女はキッと睨みつける。


(そんな言い訳ッ、こっちは聞き飽きてるんですッ!)


 腹立たしい、実に腹立たしい。

 目の前の陵辱者はそう言って、いつも初雪の求愛を躱すのだ。

 うっかり絆されてしまったのに、こんな卑怯者を王子様と勘違いしてしまったのに、彼はそれを拒否する。


「――――良いのですか? また逃げて」


「うん、僕は卑怯者だからね」


 どこか悟った顔でいつもの様に、彼がこうなったら梃子でも動かないのは体験済みだ。

 しかし今日の彼女は昨日までとは違う、全てを終えて此処に立っているのだ。

 絶対に、もう逃がさない。

 怒りを堪え、初雪は目を細めて突きつけた。


「貴方のお父様が失職するかどうか、それが今、決まるとしても?」


「なっ!? は、初雪さん!? まさか――――」


「ええ、黴臭い古びた、落ちぶれた家柄とはいえ、一条寺は名家。その伝手を侮りましたわね吉久君? まさか卑怯とは言いませんわよね他ならぬ貴方が。……話を聞く耳はございますか?」


 うっすらと不気味に微笑む彼女に、吉久は頷くしか選択肢が無かった。


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