第35話 最後の舞台とあなたへの

「えー、本日は三年生の皆様を笑顔で送り出すために……」


 体育館。足元には前日に貼り終えられた緑のシート。それにきっちりと並べられたパイプ椅子たち。それに座った誰もがそわそわと辺りを見渡し、普段では見られない高揚を見せていた。三年は特に落ち着きがなく、赤い上履きを忙しなくばたつかせている。

「それではただいまより始めさせていただきます!」

 司会者が長い口上を終え、体育館内は薄暗くなっていく。その瞬間に生徒たちの興奮は最高潮を迎えようとしていた。


 送別会。またの名を三年生を送り出す会。

 二月に行われるこの催し物がまた一年を超えて訪れる。特定の部活に所属する生徒たちが旅立つ彼らに見せる最後の舞台。

 皆が浮き立つ中、リョウタはただ静かに目の前の舞台を見つめていた。それを陰からこっそりと伺いながらミツキは静かに息を吐く。


 ダンス部の踊り。合唱部の歌。写真部のスライドショー。

 会はつつがなく進行していき、生徒たちは薄暗い非日常の中で大いにはしゃぎながら笑い声をあげる。普段であれば諫める側の教師陣も、今日ばかりは一緒になって体育館で次々と行われる出し物に夢中になっていた。

 そして十五分の休憩を挟み、演劇部の出番がやってくる。


「どうしたんだよこんなぎりぎりに」

「すんません。ちっと用が長引きました」

 どうしてか時間間近で戻って来たキョウヘイを注意しながらも、ミツキは暗くなり始める照明に意識を集中させる。 


 何度も試行錯誤を重ねた舞台。旅立つ三年生に向けた舞台。誰かの背中を押すための、舞台。

 息を吸って、吐く。そして、目を開く。

 今から始まるのはただの、ただの人間の話だ。



※※※



「ここは全部同じ同じでつまらないな」

 ある日旅に出たい男がいた。

「たまには違う景色が見たい。違う誰かと話してみたい」

 だが自由に国から出て歩くことなんて誰も考えなかったので、皆が彼を奇異の目で見た。

「外を歩こうだなんてなんて恐ろしい」

「誰もそんなことを考えないよ」

 彼はもがき苦しんだ。そんなことを考える自分を憎み、恨んだ。

 けれどそんなあくる日、一人の旅人が彼の前に現れる。それは国の誰とも違う考えを持つ、彼が会いたい「誰か」だった。


「その考えを持つことは、決して悪いことではないんだよ」

 男は世界を知る。自分以外を、そして自分の意見を否定する権利など誰も持っていないのだと。


 そうして徐々に男の周りには人が集まっていく。国や皆の考えとは違うものをもつ誰か。持っているはずのものを持っていないと追い出された誰か。見た目が違うと忌避されてきた誰か。そしてそんな彼らを指さして怒る誰かがいた。笑う誰かがいた。悲しむ誰かがいた。


「同じじゃないなんてなんてかわいそうなの」

「同じじゃないのは病気に違いない。それを治さないなんてどうかしてる!」

「同じじゃないなんておかしい奴らだ」


 誰もがそう、口を揃えた。

 


 舞台の上に録音した声が落ちていく。ミツキはしんと静まり返った観客を見た。

 光る舞台の上から見る観客席はいつだって黒い海のようで、飲み込まれそうになる。その上に立っていることが酷く恐ろしくなる。自分を見る無数の目。それに取り込まれてしまいそうで怖くなる。その上で、作られていない自分自身を晒すことなんて、到底恐ろしくてできないことだった。


「かわいそうなんかじゃ、ない」

 暗い海にミツキの言葉が落ちていく。劇中人物でなく、が観客席に落ちて波紋を広げていく。そうして自身を晒してもミツキの心は不思議と落ち着いていた。

「病気じゃない。おかしくもない」

 彼は知っている。この真っ黒な海の中に、前も後ろも分からないような場所に、苦しんでいた彼がいることを知っている。傷を抱えていることを知っている。

 

 ミツキは思い切り息を吸う。この会場にいる皆に向けて。迷っている誰かに向けて。海の中から見上げている彼のために。

「俺たちは、違う。みんな違う。同じものを見ても考えることが違うように、俺もあんたらも、みんなも、違うことはおかしいことじゃない」

 それは彼が思う精一杯の気持ち。未知へと進む彼らへの言葉。


「違ってて何が悪いんだ!」




 言葉は海を伝って広がっていく。誰もがその言葉に、ミツキの言葉に耳を傾けていた。彼らが旅をするまでと、抑圧に抵抗する話を黙って最後まで聞いていた。

 そして全てが終わった後――――、動かなかった海が大きく揺れる。


 雨が水面をうつような音があった。ほんの少しだったそれが徐々に徐々に広まって、それはとうとう体育館中を飲み込むほどの大きさになっていく。

 会場の明かりがついて、暗い海がぱっと照らされた。そこにいる誰もがこちらを見ていて、ミツキは彼らの表情でようやっとこの音が全て拍手だと気づいた。


 大勢の中、鳴りやまぬ音の中でミツキはたった一人と目があった。彼もまっすぐにミツキだけを見ていることが分かった。

 それを見て、ミツキは笑う。舞台の上から皆に向って、彼に向って。

「ありがとうございましたっ!」

 晴れやかな声が体育館に響き渡り、拍手の音はより大きくなって会場内を波のように包み込んだ。

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