第8話 禁止

 グリムキャッスル伯爵家に一人の新しい命が生まれた。


 名前はティオで、男の子だった。


 両親は大はしゃぎだったし、それは使用人たちもそうだった。爵位を次ぐ正式な息子が生まれたわけで、財産の問題もすべて解決する。


 生まれてから一週間は毎日お祭りみたいな騒ぎで、料理はそれはもう豪華になったし、親戚たちがお祝いに駆けつけた。


 そのあいだ、アリスは部屋にこもっていた。というより、ヘンリーが部屋にいろと命令を出した。親戚たちはあまりアリスのことをよく思っていないようだったし、サイモンにも会いたくなかったからアリスはいいだろうと承知した。


 ティオが生まれて一番喜んだのはシエナだろう。対してサイモンは自分が次ぐはずだった爵位も、財産も全部持っていかれて腹立たしかったに違いない。ティオが生まれてから何度か彼はやってきたが、いつも不機嫌な顔をしていたし、ティオを見る目にも怒りが混じっていた。アリスはサイモンと顔を合わせないように細心の注意を払って、彼をみていた。今顔を合わせたらどんな目に合うかわかったものではなかった。


 シエナは今までのしがらみから解き放たれたように毎日笑顔だった。デビュタントに向けたダンスの練習にも一層力がはいるようだった。外国語の授業のように講師がやってきて、ピアノに合わせてダンスを踊る。


 シエナがダンスの練習を初めたのは14歳、今のアリスと同じ年齢だった。今年こそアリスはいっしょに授業を受けられるものだと思っていた。自分もシエナや他の令嬢たちと同じようにダンスの練習をして、舞踏会に出て相手を見つけるものだと。


 しかし、そうはならなかった。


 シエナがダンスの授業を受ける日、グレースはアリスに言った。

「参加してみてもいいと思いますわ?」

「何も言われていないのに?」アリスは首をかしげた。

「シエナも同じくらいからダンスの授業を受けてましたでしょ?」

「そうだけど……」

「アリスも後もうすこしで社交界に出るのですし、練習しておいたほうがよろしいのでは?」


 グレースの言葉にアリスはうなずいた。彼女の取り憑いているネックレスを首につけて、アリスはいつも授業をしている部屋に入った。


 シエナは眉間にシワを寄せた。講師の女性は少し怯えたように、シエナをみた。

「あの……お教えするご令嬢は一人と伺っていたのですが?」


 シエナはうなずいた。「ええ、そうよ。私だけ」

「参加してもいいかと思ったんだけど」アリスが言うとシエナは首を横に振った。

「だめよ。理由はお父様に聞くことね」そこに表情はなかった。シエナは「何を当たり前のことを」といった雰囲気だった。


 アリスは目を細めて、すぐに部屋からでていった。

「きっと何かの間違いですわ」グレースは苦笑してそう言ったが、アリスはそうは思えなかった。


 ヘンリーは書斎にいて、手紙かなにかを書いていた。広い書斎は壁一面が本棚になっていて、いくつもある窓からは日差しが差し込んでいた。

「お父様、お話があるのですが」


 ヘンリーは顔を上げた。彼は何も言わずアリスの言葉を待っていた。

「私も14歳です。ダンスの授業を受けてもいいでしょうか?」


 ヘンリーはため息をついた。


 断られるんだろうなとアリスは思っていた。「来年だ」とか、「まだ早い」とか言われるのだろうと。


 だが、ことはそう簡単ではなかった。


 ヘンリーは口を開いた。



「お前は社交界には出さない」



 突然のことにわけが分からず、動揺してアリスは尋ねた。

「え? ……どうしてです? ……どういうことです?」


 グレースが短く息を吸い込む音が聞こえた。


 ヘンリーは椅子に深く腰掛けると言った。

「お前は上流階級にいるが、ただの庶民だ。……生活は保証してやる。余生は屋敷の中で一生を過ごせばいい」


 なにそれ。


 おかしいじゃん。


 今だってろくに話してないくせに!

「私の人生はどうなるんです? 家で正餐会を開いてもガーデンパーティを開いても参加できない私は、どうやって友人を作ればいいんです? どうやって結婚相手を探せばいいんです? 庶民だから、庶民の集まる場所にいけと言うんですか?」

「それはだめだ。グリムキャッスル伯爵家の名が汚れる。屋敷の中で好きに暮せばいい。最近はメイドたちとも親しく過ごしているんだろ? 不便はないはずだ。私が死んだらティオに養ってもらえばいい。結婚なんかする必要はない。外に出る必要もない」


 ヘンリーは冷たくそういった。

「そんなの……!」

(そんなの、ただ閉じ込めてるだけじゃん! 私の人生は……!?)


 アリスは手を固く握りしめた。ヘンリーは顔を上げて、アリスをみた。

「いいか? お前は庶民では考えられないような毎日を過ごしてる。それもこれも全部私が連れてきたからだ。本当ならお前はもっと貧しい生活をしていたはずだし、それに、生きてこれたかもわからないんだぞ? 十分な生活だろう? これ以上何を望むんだ?」


 庶民たち、とくに労働者階級から見ればアリスの生活はのどから手が出るほど羨ましいものに違いなかった。外を歩いているときによく見かける物乞いの少女たちは、たとえ恋人や友人ができなくてもアリスの場所を享受するだろう。


 アリスの生活は恵まれていた。庶民には十分すぎるくらい恵まれていた。

「そんな事わかってますよ! でも……!!」


 一生ここに閉じ込められて過ごすなんてゴメンだった。


 ヘンリーはアリスを睨んだ。

「お前はシエナの『教材』だ。そしてその後はティオの。お前は上流階級に足を踏み入れた庶民だ。ティオが社交界に出るまで責務を全うしろ。その後は屋敷の中で暮らすんだ。社交界に出るなど許されない」

「そんなの、お父様が勝手にきめたことでしょ!? 私の……私の人生は――」

「お前の人生? 自分の人生なんて誰にもない。人には生まれながらの役割がある。私はグリムキャッスル伯爵家の長男として生まれたときから、伯爵家のすべてを受け継ぎ、保ち、次に引き継ぐ使命を背負って生きてきた。アグネスにもシエナにもティオにも同じように使命がある。そして、お前にも」

「詭弁ですわ」とグレースはつぶやいた。彼女はヘンリーを憐れむような目で見ていた。

「閉じ込められるなんて嫌です……私は……!」

「『教材』として過ごすのがいやなら、家から出ていって自分の人生とやらを探せばいい。代わりの『教材』を連れてくるだけだ」


 アリスはショックを受けた。周りの音が遠くに消えていくのを感じた。


 どこかで自分はこの家族にとって少しは特別な存在なんじゃないかと思っていた。それが完全に打ち砕かれてしまった。


 アリスは呆然として、ヘンリーを見ていた。ヘンリーは目をそらして机に向かった。


 アリスはそのまま、書斎から出ていった。 

「アリス……」グレースはヘンリーをみて、ため息を吐くとアリスについていった。

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