第6話 ママって呼んで
午後の授業もつつがなく――ってか、授業で何かしらのイベントが起きる確率は、ソシャゲの高レアリティを引くより低いだろう。
強いて言うなら、お昼の件以降、南とは一切目が合わなくなったことぐらいだ。
まあきっと、あくまで〝これまで通りの距離感〟を保っているだけなんだろうけど。
胸のざわめきを少しだけ抱えながら、俺は帰路についた。
家には俺の自転車が置いてあったので、南は既に帰ってきているらしい。
玄関を開けると、リビングからひょこっと南が顔を出した。
「おかえり~」
「……た、ただいま」
妙な気分だった。
ついさっきまで同じ教室で、同じ授業を受けていたクラスメイトが、俺の家にいて、「おかえり」と迎えてくれる。
隠し事というスパイスも効いてか、何か悪いことをしているようでドキドキした。
このままでは間が持たないと、急いで次の話題を口にする。
「あ、弁当、美味かった」
我ながらすごくぎこちない。
料理の感想を直接本人に伝えるって、こんな恥ずかしいことだっただろうか。
でも思えば母親がいた頃は、美味かった手料理も美味いって言えなかったっけ。
そんな俺のつたない感想に、南ははにかみながら答えた。
「ありがと」
「――っ」
彼女の少し恥じらう姿は殺傷能力が高すぎた。
命の保護を最優先に、俺は急いで階段を駆け上がる。
後ろから南の困惑した声が聞こえたが、どうかここは見逃してほしい。
自分の部屋に飛び込んでは、がくりと膝をつく。
「はぁ、はぁ、はぁ……反則だろ、あれは」
ついこの間まで俺に素っ気なかったギャルが、次々と色んな顔を見せてくる。
このままでは理性を凌駕し、本能に手を染めてしまうのも時間の問題。
「毒されるな。あいつはギャル。俺のことなんか男して見ちゃいない」
理性によってはき出された言葉は、脳裏に学校での南を映し出す。
そう、南は俺なんか眼中にないんだ。
俺なんかより、かっこよくて運動ができて頭が良くて、そんなモテるために生まれたような連中と一緒にいる方が、あいつは幸せだ。
現実を知るということは、これ以上傷つかずに済むということ。
現実とは、クラスメイトとの同棲に、俺だけが一人で勝手に舞い上がっているということ。
俺は現実を受け入れて、その上で南との同棲をそつなくこなしていこう。
ママ役だがなんだか知らないが、俺は家でも、南との距離感を保って、健全な生活を。
これ以上傷つくことのない、平穏な暮らしを目指していこう。
そうして浮ついていた気持ちも静まり、俺は部屋着に着替えてリビングへと向かった。
「南さん。手伝うよ」
こちらに背を向け、キッチンで調理を進める南に声をかけた。
しかし返ってきたのは絶妙なため息だけ。
「み、南さん? その、料理のお手伝いをさせてもらっても……?」
言葉を丁寧にしたところで反応は変わらなかった。
俺、何かしたっけ?
「なんでそんなに他人行儀なのよ」
ぽつりと呟いた彼女の声は、怒っているようにも、嘆いているようにも聞こえた。
「他人行儀って、だって俺たちまだ他人……だし」
「他人じゃないわ。私はあなたの家族。ママなの」
「まだ言うのか。その母親役ってのは要は〝仕事〟だろ?」
南は調理の手を止め、こちらに振り返った。
「ええ仕事よ! 仕事だけど、一緒に住むなら仲良くしたいじゃない!」
その目はただ真っ直ぐに、俺の瞳を見つめている。
「私は運よく拾われ、転がり込んだ
息がつまる。
南の剣幕に
彼女は正面から俺に向き合おうとしているのだと、気づかされる。
そして俺はそんな南から逃げようとしていたのだと、思い知らされた。
「だから私のこと〝南さん〟なんて他人行儀な呼び方しないで」
「……じゃあなんて呼んだらいいんだよ」
「ママ」
即答だった。
「さすがにそれは……」
「じゃあ選ばせてあげる」
難色を示した俺に、南は二つの選択肢を与えた。
「私のこと、『亜沙乃』って呼ぶか『ママ』って呼ぶか。どっちがいい?」
そんなの答えは決まりきっている。
誰がどう考えても、これは絶対に――
「ママだ」
女の子を下の名前でしかも呼び捨てとか、清廉潔白な俺にはハードルが高すぎるぜ。
「決まりね」
「しまったハメられた‼」
これは自分で選択するという自由意志を逆手に、相手に選択肢を提供することで、どの選択をしても自分に利益が生まれるという、詐欺の常套手段。
俺はまんまとハメられた。
「ギャルってのは世渡り上手なのよ」
したり顔の南に、歯嚙みする俺。
「で、でも俺が学校で南さんを『ママ』って呼んだら、色々とやばくない?」
「むむ、確かに」
せめてもの抵抗に南が思案のポーズを取る。
この隙を逃してはいけない。
南には悪いが、こちらは健全な高校生活がかかっているんだ。
「だからやっぱり呼び方は〝南さん〟で」
「分かったわ! 家では『ママ』、学校は『亜沙乃』にすれば問題ないじゃない! キャー! 私ってもしかしたら天才⁉」
「そうくるか――っ!」
惨敗だ。
一度こちらが『ママ』呼びを容認してしまった以上、『ママ』と呼ばない、とは言えない。
南のアイデアは合理的だし、俺の高校生活も「同い年のギャルにママみを感じる変態クソ野郎」という運命からは逃れられる。
ただ一つ受け入れがたいのは、
「なぁ……せめて『亜沙乃さん』にさせてくれ」
名前の呼び捨てにはまだ耐性がないのである。
「えっ、なんで」
「いやいきなり呼び捨てって距離感縮まりすぎだろ」
「縮まりすぎって言ったって私たち、もう親子なんだし」
「仕事のな! ビジネスのな! でもそれ学校の連中には通用しないだろ」
「あーね。つまり、いきなり呼び捨てにすると裏の関係を怪しまれると」
「そういうことだ」
さあ審判の時。
俺は祈るように後ろ手で両手を握り、南からの判決を待った。
「分かったわ。さん付けはまだ距離を感じるけど、たっくんに無理をさせる訳にもいかないしね」
「ありがとうございますっ!」
自然と頭が下がっていたのは根っからの陰キャ根性だろうか。
「それじゃご飯作っちゃうわね」
こうして俺とマ……ママの呼び名戦争は幕を閉じた。
翌朝。
「おはよーたっくん。朝だよ~」
「ん……おはよう南さ……ママ」
俺のママ呼びに、ムフフーと鼻を鳴らす南亜沙乃の姿。
――もうどうにでもなれ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます