第15話

弓野は俺の包帯の巻かれた手を見ると、目を丸くした。

俺の手を引き寄せ、乱暴に包帯をほどこうとする。

「お、おい」

 俺は人目を気にしながら手を引っ込めようとしたが、弓野は強い力で放さない。

 弓野と二回目に会ったカフェ。俺の家に来てくれるように言ったのだが、弓野が拒否し、この場所を指定した。白昼の光がガラス越しに降り注ぐ。

 ガーゼも剥がして現れた、縫われたばかりの痛々しい傷を弓野は魚じみた目で凝視した。

「やめろよ」

 俺は包帯を雑に巻き直す。

「ずいぶんひどい傷ね。自分でやったって吉持から聞いたけど」

 機械がしゃべっているような口調だ。

「まあな。それより、刺青の仕上がりはどうだ? 色が飛んだりはしてないか?」

 俺は、弓野と連絡が取れなくなる前に尋ねようとしていたことを言った。

「え?」

 苦しそうな様子は少しもない弓野は、口を半開きにして俺を見る。ゆったりしたモスグリーンのワンピースに、赤いが主張の強すぎない口紅。髪のおかしなインナーカラーはなくなっていて、出会った頃よりも美人に見える。

「背中の」

 俺は、一語ずつ区切るように言った。

 弓野は笑った。

「バレちゃったか。演技頑張ったのに」

「どうしてあんな嘘を」

「あなたがわたしを吉持から引き離してくれるんじゃないかと思ったの。自力で離れるには、深入りしすぎてしまったから」

「深入り?」

「あいつに汚染されて、わたしの倫理観もおかしくなっちゃったくらい。あいつがわたしに睡眠薬を飲ませて、わたしの背中の模型をつくったっていうのは本当。あいつも完成が楽しみすぎて、まだ出来上がってないのに展示台を用意しちゃってさ」

「見せたのか?」

「まさか、見せるつもりなかったよ。彩龍の作品ってだけで期待してたんだよ。剥がそうとしてるのはわかったから、その前にあなたにどうにかしてほしかったの。剥がされるなんて、絶対嫌だから」

「戸田を殺したのか?」

「その手、もと通りに動かせるようにはならないでしょ?」

 彼女は俺の言葉を完全に無視する。俺は、あえて否定しなかった。

「本当は背中だけじゃなくて、もっと彫ってほしかったけど、でもちょっと嬉しい。やっぱりあなたとわたしって、すごい縁で結ばれてるんだよ」

 弓野は、紅茶が運ばれて来たことにも気づいていないように見える。

「わたし、あなたの作品を自分だけのものにしたいって思ってたの。そんなこと言ったら変なやつだと思われて嫌われるって思って、言わなかったけど。でもこれで、わたしはあなたの遺作ってことだよね。そうだよね?」

「まあね」

「あなたの一番特別な作品はわたしってことだよね? わたし以外のあなたのお客さん全員を殺すのは難しいけど、こうなって嬉しい。頼んだわけじゃないのに、あなたはわたしの求めることをしてくれた。これって、運命じゃない?」

「運命? もちろんそうだろうさ」

「そうだよね」

 痛むというのに、右手を引き寄せて握ってくる。

「ありがとう。これでわたし、吉持と離れられると思う。ほしいものが手に入ったから。本当に、あなたの作品は素晴らしいよ。やけに彫るのが遅いって、文句言ってごめんね」

俺は、なんとか笑顔をつくった。

「人生は全部運命なんだから、全部受け入れろよ」

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