第22話 やぶ

 朱里の家は直線距離で2キロほどの高台にある。毬はゼイゼイと自転車を漕いだ。前かごに入ったポーチはタオルで巻いているものの、揺れるのでナナ酔ってるかも…、でも急がなきゃ。毬は坂道を駈け上がった。


♪ ピンポーン


「すみませんっ、小平です」

「あー毬、ちょっと待ってー」


 朱里が出てくれてリビングに案内される。朱里の母、神戸 亜澄(かんべ あすみ)はテーブルにバスタオルを敷いていた。傍らには往診セットのようなケースが置いてある。


「毬ちゃん、久し振りねー」

「はいっ、夜に突然すみません」

「ううん、いいんだけど、家だから道具とか設備がないのよね。余り力になれないけど」

「判ることだけでいいんです」


 毬はポーチを開け、目を回しているナナを掌に載せた。


「毬ちゃん、そのまま支えていてね。この子は赤ちゃんじゃないよね」

「ええ、ちゃんとは知らないんですけど、2,3歳だっけかな」

「じゃあ大丈夫かな、手で羽とか伸ばしてみるね」


 亜澄は使い捨て手袋を嵌めた手でそうっとナナの羽をまさぐり伸ばす。ナナはまだ目を回しているのか大人しい。


「うん。骨格は大丈夫っぽいね。カラスにやられたって言うから怪我が酷いかと思ったけど、上手に逃げたみたいね。この泥んこは地面にでも隠れたのかな」


 亜澄はナナの身体と羽をウェットティッシュで丁寧に拭い、そっと撫でる。


「じゃ、ナナちゃんが暴れないように手で持っておいてくれる? うん、お腹を上向けにしてね」


 亜澄は聴診器を取り出した。ナナはようやく事態に気づいたのか身体を揺する。


 ギャギャギャピュルピュル


「これ、ナナ! 先生に診てもらってるんだから大人しくしなさい。今日暴れたから心配してるのよ!」


 毬に叱られ、一瞬静かになったナナに、亜澄は聴診器を当てた。


 わお、街の喧騒みたいだ。亜澄は毬の連絡を受けてから慌てて調べた小鳥の身体のことを思い起こした。寿命が10年として、人の8分の1とすると、心拍数は500位か。速すぎて訳が判らんし、脈と呼吸は区別がつかない。体温は低めに感じるが、地面とか草むらに隠れていたらそうなるのかも。でも元気だよね。声も出るし身体も動くし。


「大丈夫じゃないかな」


 聴診器を外した亜澄は毬に告げた。


「良かったー」


 毬は大きく息を吐いた。


「動きがおかしかったり、飛べなかったりしたら、ちゃんと獣医さんに診てもらった方がいいよ」

「はい! 有難うございました!」


 毬は心底安心した。良かったぁーナナ。毬の掌に包まれたナナは安心したように呟いた。


『ナンデヤネン』


 亜澄も朱里も爆笑した。


+++


 自宅に戻った毬は、タオルハンカチに載せたまま、ナナをケージに戻す。ナナは『タダイマ』も言わず水を飲み小松菜に飛びついた。


 ふふ。やっぱナナ、緊張してたんだ。微笑ましく見ていると、止まり木にピョコンと戻ったナナは、


『ヤブ  ヤブヤブヤブ』


と叫び出した。ヤブ? なぁに? え、もしやナナ…藪医者って言ってる? 毬は呆れた。


「お父さん! ナナが『ヤブ ヤブ』言ってんだけど、これお父さんが教えたの?」

「んな言葉、教えるわけないだろうが、大人なんだから」


 徹も呆れて返したが、思い出したように付け加えた。


「あ、でもお母さん時々言ってたな。ヤブならちゃんと診てくれるのにぃ~ とか訳判らん事、言ってたな」


 ふうん。お母さんの口癖ねぇ。そんなのナナには判りっこないけど。やっぱり、ちゃんと躾けなきゃ。


「ナナ、診てもらったんだからそんな失礼なこと言っちゃ駄目よ」


 毬がケージを覗き込むと、ナナは既に床に敷いたままのタオルハンカチの上で横になって寝ている。ひょえ、こんな寝方するんだ。人間かよ。やっぱ疲れ果ててるんだろうな。毬はナナを優しく見守った。

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