第21話 森原の異変

 翌朝。8月13日。


 俺はキャンプの朝食の場で、自らの思いを発表していた。

「今日は秋田に行く」

 と。


 当然、森原も林田も喜んでいた。

 だが、俺にはすでにこの時、彼女に「違和感」を感じていた。


 朝食の場で、森原は、

「こんこん」

 という、可愛らしい咳をしていた。


 それどころか、どうにも顔色が悪い。嫌な予感がした。長旅ではトラブルが付き物だが、これはマズい兆候だと悟る。


「森原。風邪か?」

 真っ先に夏風邪を疑った。彼女は、これまで割と薄着で走っていた傾向があったのも心配の種だった。いくら夏とはいえ、北東北は北海道にも近いし、場所によっては冷える。


 森原は、気丈に、

「大丈夫よ。ちょっと咳が出て、喉が痛いだけ」

 とは言っていたが。


「仕方ない。秋田は中止にして、今日は青森のホテルで休むか」

 俺が提案すると、森原はかぶりを振った。


「ダメよ。せっかくここまで来たのに。せっかくだから、君の故郷を見てみたい」

 その気持ちは、男としては非常に嬉しいものだが、それよりも俺は、彼女の体が心配になった。


「無理をするな。ひとまず青森市まで行く。どの道、明日には北海道に渡る予定だったからな」

 有無を言わせない、強い口調で俺が告げると、渋々ながらも彼女は了承してくれた。


「森原先輩。大丈夫ですかね?」

「心配だな。お前も、少し様子を気にしてやってくれ」

「りょーかいです」

 そっと俺に近づいてきた林田に、耳打ちをするように小さな声で、告げていた。


 ひとまず、県内で最も栄えている、県庁所在地の青森市に向かうことにした。とは言ってもここは、下北半島の外れ。


 有料道路を使って急いでも3時間以上はかかる。


 森原は、無理をしているようにも見えるし、彼女の様子が心配だったので、真ん中に彼女を挟み、先頭に林田、俺は最後方から見守ることにした。


 彼女に何か異変があれば、すぐに気づけるからだ。


 休憩もいつもより多めにして、頻繁に休んでは様子を見守った。幸い森原はバイク走行でふらつくようなことはなかった。

「熱はあるのか?」

 とあるコンビニでの休憩中、森原の様子を窺う。顔色が悪く、青ざめているようにも見えた。


「大丈夫だと思うけど」

 とは言ってはいたが、あいにく体温計は持ってきていなかった。もしもの時のために「風邪薬」は持ってきていたが、あれを飲むと確実に眠くなる。


「ツラいと思うけど、もう少し我慢してくれ。ホテルに着いたら、風邪薬を飲ませるから」

「ごめんね。迷惑かけて」

 そう言って、申し訳なさそうに謝る彼女には、いつものような明るさがなかった。


(これは秋田は無理だな。場合によっては、彼女だけ先に帰らせるか)

 とも思ったが、逆に言うと、それを実行に移すと、8月15日に彼女に「告白」するという俺の計画まで崩れてしまう。


 だが、彼女の体には代えがたい。悩み所だが、ひとまず今日はさっさとホテルに入って休み、明日の朝の彼女の体調を見て判断しようと思った。


 午前9時に出発。昼過ぎの午後1時頃。

 青森市内中心部に到着。


 お盆期間中で、多少の心配はあったが、ネットで検索して電話すると、あっさりとホテルが見つかった。しかも運がいいことに市内中心部の駅に近いところにあった。


 ただし、そこは古いホテルで、施設的にはオシャレでも何でもない、ビジネスホテルに近かったが。


 そのことを森原に告げると、

「どこでもいいよ。とりあえず横になれれば」

 さすがに病状が悪化してきたのか、彼女はツラそうに頷いた。


 ホテルに到着するも、チェックインの時間は大抵、午後3時以降と決まっている。仕方がないので、ロビーで休ませてもらうことにした。


 森原はソファーの背もたれに身体を預けていたが、顔色がさらに悪くなってきている気がした。


 ホテルのフロントで、体温計がないか聞いてみたら、あったため、借りて計ってもらう。


 37.5度だった。

(微熱か。まあ、安静にしてれば大丈夫だろう)

 急な高温だと、インフルエンザの疑いも出てくるし、別の病気の疑いも出てくる。俺は自らのバッグから風邪薬を取り出した。


 だが、改めて見ると、そいつは市販の安い風邪薬で、本当に「気休め」程度に思えるものだった。


 仕方がない。

「林田。森原の様子を見てやっててくれ。俺はちょっと風邪薬を買ってくる」

「えっ。先輩、待ってくださいよ」

 その言葉を遮って、強引に、


「頼んだぞ」

 と告げ、俺はホテルからバイクを走らせる。

 幸い、近くにドラッグストアがあった。


 そこで、風邪に効きそうな、少し高い風邪薬を購入し、ついでに昼飯もまだだったから、適当に3人分を買って、宿に帰る。


 森原には、軽くサンドイッチを与え、食後に買ってきた風邪薬を飲んでもらう。


 林田には、おにぎりだったが、さすがにこの非常事態で、食事に文句は言わなかった。


 やがて、午後3時。

 ようやくホテルのチェックインの時間になり、部屋に向かう。


 本当なら、森原と林田を同じ部屋にしてもよかったのだが、もし林田に風邪が移ると、さらに厄介になるから、彼女を別の部屋にして、3人ともシングルルームにした。


 古いビジネスホテルだから、値段は安かった。


 そのまま、夕飯の時間まで、森原を眠らせることにした。

「ごめんね」

 何度もそう言っては、浮かない顔をしていた森原だったが、さすがに素直に従って、自分の部屋に入って行った。


 残された俺と林田は暇になった。

 だが、


「私は先輩と一緒の部屋でも良かったんですけどねー」

 ホテルの室外の非常階段部分にある喫煙所で、俺と並んでタバコを吸いながら、彼女は本気か嘘かわからないようなことを発していた。


「そんなわけにいくか」

 思わずそう告げたら、


「真面目ですねー、先輩は。まあ、そういうところが、先輩らしいですけど」

 相変わらず林田は、元気だった。



 夜。

 晩飯は、森原の体調を気遣い、少し遅めの8時にした。


 一旦、林田に呼びに行ってもらい、ロビーで合流。


 森原の顔色は、まだ悪かったものの、眠ったことで、心なしか、少しだけ疲れが取れたように思えた。


 近くの中華料理屋で、遅い晩飯を取り、ホテルに戻った俺たち。

 それぞれの部屋に別れたが、その後、俺にとっては、意外なことが起きた。


 夜の10時過ぎ。

 やることもないし、その日は酒を買っていなかった。というより森原が苦しんでいるのに、俺だけ酒を楽しむわけにはいかないと思ったから、暇を持て余していた。


 そうなると、やっぱり彼女のことが心配になる。

 こっそり部屋を出てみた。幸い、廊下に林田の姿はなかった。彼女は酒好きのくせに酒に弱く、飲んだらすぐに寝てしまうから、もう寝ているかもしれない。


 そう思うと、森原のことが気になった。


 彼女の部屋はすぐ隣。林田の部屋はさらに隣だった。


 思いきって、森原の部屋の前に立ち、ノックをしてみた。一瞬、心臓の音がドキリと跳ねる。

「はい……」

 元気のないような彼女の声が聞こえてきて、やがてドアが開かれた。


 さすがに部屋に来た俺の姿に彼女は仰天して、目を丸くしていた。

「えっ。山谷くん。どうしたの?」


「様子を見に来た。体調は大丈夫か?」

 そう告げると、彼女は微笑みながらも、軽く溜め息を突いて、


「大袈裟ね。ただの風邪よ。明日には治るわ」

 そう言っていたが、俺はもちろん、別のことを考えていた。それは彼女の「看病」をしようということだった。


 病気で弱っている時は、誰か傍にいた方が、安心するものだ。下心がないと言えば、嘘になるが、それでも彼女のことは心配だった。


「入っていいか?」

「えっ。うん」

 一瞬、驚いた表情を見せながら、廊下を窺い、彼女は頷いた。恐らく林田のことを気にしていたのだろう。


 深夜のホテルで、俺たちは予想外の2人きりの展開を迎える。

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