第四章 キュウリとトマト

 静江がトラックから降り立ち駅の前で振り返ると、善造は短く言った。


 「あまり・・・気にせんでな・・・」


 深く刻まれた顔のしわが、一瞬であるが微笑んだような気がした。


 「勇を・・・お願いします」


 静江も何故か胸が一杯で、それ以上は言えなかった。


 朝の日差しが駅の影をプラットホームから引き上げさせる程、高く昇ってきている。

 

 セミに交じって鳥の鳴き声もしている。


 遠く霞んだ線路の向こうから、ガタゴトと電車のシルエットが近づいてきた。


 静江は深々と頭を下げると、ゆっくりと振り向き電車の扉の前に立った。


 そして乗り込んで扉が閉まると、再び頭を下げた。


 善造は小さく頷くと、じっと電車が見えなくなるまで見つめていた。


 やがて、夏の日差しの陽炎のゆらめきの中へ電車は消えていった。


 トラックに乗り込む前に、善造はふと空を見上げた。


 青い空が広がっている。


 雲はまだ出ていない。


 何か聞き取れないくらい小さな声で呟いたが、トラックに乗り込むと音をたてながら走らせていった。

 

 善造が家に戻ると、勇がテレビの前で何やらゴソゴソと調べている。


 「どうした・・?」


 声をかけられて顔を上げた勇は、ボソボソとつぶやいた。


 「接続端子がないんだ。

 これじゃあ、ゲームができないよ」


 どうやらTVゲームの事らしい。


 善造は気の毒そうに言った。


 「そうか、

 じいちゃんの家のテレビは古いからな・・・」


 「ちぇっ、つまんないの」


 勇はそう言うと、携帯のテレビゲームを取り出してピコピコやりはじめた。


 善造は納屋へ行くと、麦わら帽子と虫取り網や釣竿を出してきた。


 どれも数年前、息子の明雄が勇のために買い揃えた物だった。


 幼い勇をつれて遊びに来たのは、つい最近の事のように、善造には思えた。


 「ホラ、遊んでこい・・・」


 善造の声に顔を上げた勇であったが、すぐに下を向いてゲームをあやつりながら言った。

  

 「いいよ・・・」


 セミの声が響いている。


 それに合わせるかのように、ピコピコとTVゲームの音がしている。


 「そうか・・・」


 善造は一瞬、悲しそうな目をすると縁側に荷物を置き、トラックから農機具を取り出すと勇に言った。


 「じいちゃん、裏の畑に行っとるでな。

 昼には帰ってくる」


 勇はわずかに顔を上げたが、小さい声を出してうなずくと、又、TVゲームに熱中していった。


 善造は重そうに肩に荷をかついで、裏の道へ歩いていった。


 セミは相変わらず、元気良く合唱していた。


 小一時間も経ったであろうか、ゲームにも飽きて手を休めて、縁側から空を見上げた。


 夏の空が広がっている。


 本当に青い空だ。


 勇は寝転んで後ろ手に頭に組むと、小さな声でつぶやいた。


 「うそつき・・・お父さんだってうそつきだ。

 あの日、遊んでくれるって言ったのに。

 うそつきだ・・・」


 空の雲が形を変えている。


 その一つが父の顔に重なっていく。


 「こんな僕・・・父さん、嫌いかな・・・?」


 でも、父の顔は優しく笑っていた。


 セミの声がする。


 数日しか生きられない今の時間を惜しむかのように、はげしく鳴いている。


 一匹の野良猫が目についた。


 じーっと勇の顔を見つめて動かない。


 勇はおどかさないように、そーっと靴をはいて近づいていった。


 「チッチッチッ・・・」


 恐る恐る手を出して触ろうとしたら、猫は駆け出していった。


 「あっ、待って・・・」


 勇も慌てて、あとを追った。


 猫は時折振り向くのだが、決して近づこうとはしなかった。


 追いかけっこのように勇が歩いていくと、ガサガサと音がした。


 じいちゃんが畑で作業をしていた。


 勇を見つけると、しわだらけの顔から大きな声で言った。


 「おう、来たか。

 勇も、もいでみるかぁ・・・?」


 勇が近づいてみると、とうもろこしが、ぎっしりとなっていた。


 まるでミニチュアの原始林のようで、勇の胸はときめいた。


 草の匂いがムッとする程なのだが、悪い気はしなかった。


 善造は自分がかぶってきた麦わら帽子を脱ぐと、勇にかぶせた。


 じいちゃんの汗の匂いがした。


 そしてポケットから新しい軍手を出して、勇にはめさせた。


 「ほら、こうするんだ」


 メキメキと音をたてて、とうもろこしを一つ、もいだ。


 そして皮をはぐと、黄金色のぎっしりつまった粒の列が現れた。


 「昼に、ゆでてやるでな・・・」


 勇も、見様見真似で、とうもろこしをもいでいった。


 もぐたびに、新鮮な青臭い香りが鼻をくすぐった。


 二人は黙々とこの作業を続けていった。


 「わー、こんなにいっぱい、

 とれたんだね・・・」


 リヤカーいっぱいに積まれたとうもろこしを見て、勇は歓声をあげた。


 汗が顔中から吹出ている。


 でも、勇には何故か心地よかった。


 まぶしい太陽でさえ、さすような暑さも、みんな気持ちよかった。


 「喉が乾いたろう」


 そう言うと、善造はそばの小川につけてあったザルを取り上げた。


 中にトマトとキュウリが入っていた。


 「今朝もいだやつだ。

 よー、冷えとるぞぉ・・・」


 勇はトゲだらけのキュウリを取ってみて、恐る恐るかじってみた。


 口中に、青臭さと甘さが広がっていった。


 夢中で二・三口かじりつく。


 喉に、ほどよく水分がしみ込んでいく。


 今までキュウリなど、あまり好きではなかったのに。


 まるで、果物のような甘さがあった。


 何よりも、たっぷり農作業したあとで食べる味は格別であった。


 トマトもよく冷えていて、おいしかった。


 ひばりであろうか。


 鳥が二羽、畑の上を旋回している。


 青空をバックに、とうもろこし畑の緑が続いている。


 きれいだな、と思った。


 善造はおいそうしそうに食べる勇に、息子の面影を重ねていた。


 妻も亡くし、息子も亡くした老人には、もう生きる楽しみがなかったのだが、勇を見ていると、何かうれしさが湧いてくるようだった。


 午後は、釣りにでもつれていってやるかと、思うのだった。  


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