第2話「肩たたきに遭う」の巻

 部長室に呼ばれた。また叱られる。いやみな部長である。短気で自分の非を認めず、言い逃れの能力だけには異常に長けている。今日も果てしない小言を聞かされて、ケチョンケチョンに罵られる。祭林はそう思っていた。ところが部屋の主は気持ち悪いぐらい静かな目をしていた。

「まあ、座りたまえ」

「何でしょうか」

 応接セットの椅子に腰をかけながら尋ねる。部長はなぜか祭林の隣に座った。「うーむ」と唸り、部長は遠い目で窓の外を見た。

「はっきり言おう。祭林さんに退社を勧めるよう社長に言われたよ」

 祭林にとって、かなりショッキングな言葉だったが、冷静を装った。

「クビですか」

「クビじゃない。辞めろと命令しているわけじゃないんだ。あくまでも意向を確かめてるんだよ。もし、応じるのなら、会社としてもできるだけのことはする、と」

 少し脅迫が入っている。

「応じない場合はどうなるのですか」

 「意地悪を言うなよ」と部長は芝居がかって泣きそうな顔をした。

 「選ぶ余地はないんですね」。観念したような祭林の言葉に、部長は「分かってくれたか」と、ホッとした表情を浮かべた。

「なぜ、私なのか教えてください」

「それは君、年齢と業績だよ」

 その時、祭林の中で何かが音を立てて切れた。

 笑顔で言った。

「部長。辞める前に、あなたを殴らせていただいてもいいっすか」

「何を言うんだ。暴力はいかんよ。冗談が過ぎる」

 祭林は胸をはって立ち上がった。

 はげ頭を見下してまくしたてる。

「冗談じゃないっすよ。一発ぐらいいいじゃないっすか。わしはあんたにずーっと踏みつけられてきたんっすよ。人をクビにするんなら、それぐらいの覚悟があってもいいんじゃないっすか。年齢と業績っすか? ふざけるんじゃないっすよ。あんた、わしより一つジジイじゃないっすか。あんたのこのはげ頭の中身がないから、業績が上がらんのじゃないっすか。ホンマに社長が言ったんっすか? どうせ、わしの悪口を並べてあんたが言わせたんっしょ。この腰巾着!」

 部長の顔色が変わった。

「な、なんだとお! お前なんか辞めてしまえ!」

 真っ赤になって、立ち上がり、祭林の頬に平手打ちを入れた。祭林は「しめた」と思った。大袈裟に吹っ飛び、ドアをぶち当たって部屋の外に倒れ出た。ただならぬ怒声の応酬にドアの向こうで聞き耳を立てていた女性社員が「キャー」と悲鳴を上げ、持っていたお盆からコーヒーカップが落ちて割れた。大騒ぎになった。サッカーならオーバーアクションでイエローカードである。あまつさえ、うずくまる振りをして、こっそり赤ペンで鼻血を書いたりもした。

 「部長! 何をするんっすか!」と会社中に響くような声で叫んだ。その声を聞いて、上の階から社長がおりて来た。

 「いったい何があったんだ!」と社長も怒鳴った。部長はおろおろしている。

「部長に、お前なんか辞めてしまえと殴られたんっすよ」

「本当かね。部長」

「う、うそです。こんなヤツの言うことなんか真に受けないでください」

 「どちらを信じればいいんだね」と社長は、さっき悲鳴を上げた女性社員に尋ねた。

「課長の言うことが本当です。部長はうそをついています」

「部長。粗暴で嘘つきだというので、君の言うとおり祭林くんへの退職勧告を認めたが、粗暴で嘘つきなのは君のようだね」

「社長、お言葉ですが…」

「だまらっしゃい! 君が暴力をふるい、うそをついたのは事実でしょう。私は暴力とうそが大嫌いだ! 辞めていただくのは、部長、あなたということにします」

 社長はきっぱりと言った。祭林は生き返ったように言う。

「お天道さまは騙せてもなあ、この大社長の目は欺けねえんだい。皆の者、引っ立てい!」とふさぎ込む部長を指さした。部長は若い者に抱えられて退出した。社長は課長を向いて言う。

「祭林課長。すまなかった。私はとんでも間違いを犯すところだった。許してくれ。何かお詫びがしたい気持ちだ」

 祭林は涙ぐむ表情をつくって言った。

「ありがとうごぜえやす。お奉行さま。では、あの空いた部長の椅子は、あっしのものということなんでやんすね」

「調子に乗りなさんな。まず、鼻の下の赤インクを拭いなさい」

 ポケットから出したハンカチを祭林に渡した。

「そこまで分かっていながら、お優しいお言葉。あっしは終生、お奉行さまに誠心誠意、お仕えすることを誓いやすぜ」

「そういう態度を腰巾着と言うんだぞ。終生といっても定年まで何年もないじゃないか。まあ、それまでこの会社のためにしっかり働いてくれ。……ときに、その喋り口調、社内で流行っておるのか。……これにて、一件落着! あっぱれ!」

 社長は、高らかに言い放ち、部屋に戻って行った。

 課長祭林駿一。ハンカチを握りしめ、社長の背中に「終生と言ったら、死ぬまででやんすよ」と忠誠を誓うのであった。

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