掃除

 真澄に掃除をしてもらうことが決定したが、すでに日が沈み始めるような時間帯で仮に今から掃除を始めてしまうと遅い時間になってしまうことは明白だった。


 しかし幸いなことに次の日は土曜日で休日だったので、掃除は次の日に回すことにした。


「お邪魔します」


 そして土曜日の昼すぎ。真澄は前日約束していた通り、陽翔の部屋を訪れた。


「本当に来たんだな……」


「そういう約束ですから。何か不満があるんですか?」


「いや、そういうつもりで言ったわけじゃないんだ」


 別に真澄を部屋に上げたくないとかではない。一昨日一度上げた以上、今更躊躇う理由もない。


 ただ、学校一の美少女がわざわざ掃除しに来てくれたという現状に、何とも言えない気持ちにさせられただけだ。


(それにしても……)


 陽翔は真澄を頭の天辺からつま先まで眺める。学校がないので当たり前のことだが、今日の真澄は私服姿だ。


 トップスは無地のTシャツ、ボトムスには動きやすさを意識してか紺色のワイドパンツを着ている。学校の制服と違い身体にフィットするTシャツは真澄の女の子らしい起伏を浮き彫りにし、思春期男子をドキリとさせる。


 普段は腰の辺りまで伸びている髪は高い位置で一房にまとめられており、隠れていた白のうなじが晒されている。


 学校では見られない真澄の姿はあまりにも新鮮味に溢れていて、視線は自然と引き寄せられてしまう。美人は何を着ても似合うという話が真実であることを思い知らされた瞬間だ。


「どうかしましたか、戸倉君?」


「ああいや、何でもないから気にしないでくれ」


 陽翔は訝しむ真澄に適当なことを言って誤魔化す。まさか初めて見る真澄の私服姿に目を奪われたなんて、バカ正直に言えるわけがない。


 陽翔は誤魔化すように話題を変えることにした。


「それより、わざわざ休みの日に来てくれてありがとうな」


「いえ、私の方こそ妹がお世話になったのですから、これぐらいはさせてください。今日は戸倉君の部屋を完璧に綺麗にしてみせます」


 意気込みを語る真澄。やる気は十分といったところか。頼もしい限りだ。


 陽翔は、真澄を目に見えて散らかっているリビングに通す。


「……改めて見ると、本当に酷いですね。とても同じマンションの部屋とは思えません」


「悪かったな、汚い部屋で」


 悲しいことに部屋が汚いことを指摘され慣れてしまったので、動じることなく淡々と返す。


「では、早速始めましょうか。時間がかかりそうなので、戸倉君は外に出ていてください」


「いや、俺も手伝うよ。流石にこの部屋を黒川一人に任せるのは悪いし。それに男手があった方が楽だろ?」


「……そういうことなら、お願いしてもいいですか?」


「おう、任せろ」


 陽翔も掃除に加わることが決定した。


「とりあえず、掃除機をかける前に散らかっているものを片付けましょう。戸倉君、捨てられて困るものの仕分けをお願いできますか?」


「分かった」


 真澄の指示に従い、陽翔は仕分けを始める。


 真澄の方は目に見えてゴミと分かるものをゴミ袋に詰めていく。真澄の動きはテキパキとしたもので、一切の無駄がない。見ていて清々しいものだ。


「戸倉君、手が止まってますよ?」


「え、あ……悪い」


 真澄に指摘され、慌てて仕分けを再開する。本来この部屋の住人でない真澄ばかりを働かせて自分はいったい何をやっているのかと、胸中で叱りつける。


(それにしても、この部屋は本当に汚いな。どんだけ散らかしたんだよ、俺)


 我がことながら、思わず溜息を吐きたくなる。


 互いに黙々と作業を続ける。元々捨てられて困るようなものは畳まずにいた衣類ぐらいだったので、仕分けは十分足らずであっさり終わった。


「きゃ……ッ!」


 仕分けが終わったことを伝えようと真澄の方に振り向いたところで、短い悲鳴が聞こえた。真澄が床に転がるゴミに足を取られ、態勢を大きく崩したのだ。


 陽翔はギョっと大きく目を見開きつつも、陽翔は反射的に動いていた。床に滑り込み、すんでのところで真澄を受け止めることができた。


 ふわりと鼻腔を甘い香りがくすぐる。何の香りなのか、疑問が脳裏をよぎる。


「うぐ……ッ」


 しかし直後、胴部と臀部を襲った衝撃が陽翔から思考する余裕を奪う。激痛というほどではないが、呻き声を上げてしまう程度には痛い。


「ッ……黒川、大丈夫か?」


 痛みを堪えつつ、抱き留めた真澄の安否を確認する。


「はい、私はケガ一つしてませんが……戸倉君は大丈夫ですか?」


「ああ、俺もちょっと身体をぶつけただけだ。たいしたことはない」


「……すいません、私が不注意だったばかりに戸倉君に迷惑をかけてしまいました」


「いや、悪いのは部屋を散らかしていた俺だ。黒川にケガがないのなら、それでいい。気にするな」


 原因が陽翔が部屋を散らかしていたことである以上、今回の件は陽翔の自業自得だ。真澄を責めようとは思わない。


 というか、今はそんなことはどうでも良かった。それ以上の問題が、現在進行形で陽翔を悩ませていた。


 現在陽翔の視界の大半が真澄の精緻な作りの容姿が占めるほどの近距離にあり、女の子特有の柔らかい身体が惜しげもなく押し付けられている。端的に言うと、密着状態だ。


 初めて触れる女の子の身体。様々な感情が胸中で渦巻くが、ドクンドクンと脈打つ音が密着する身体を介して真澄に聞かれないかと不安に塗り潰される。


 別に真澄を異性として好きというわけではないが、それでもこの状況は思春期男子には毒だ。心臓に悪すぎる。


「……掃除の続きをするか」


「はい、そうですね」


 努めて冷静に告げて抱きとめていた腕をほどくと、真澄はゆっくりと立ち上がった。彼女に陽翔のような戸惑いは見られない。この程度では動じないということか。


 真澄の動じない精神力に感心しつつ遅れて陽翔も立ち上がると、二人は掃除を再開した。


 黙々と作業を進める。部屋の中は、先程までの騒ぎが嘘のような静寂さだ。


(……柔らかかったな)


 不意に先程の感触が思い起こされ、次いで顔に熱が集まるのが自覚できた。……しばらく真澄の顔をまともに見れなそうだ。


 ――この時の陽翔は気恥ずかしさで真澄から顔を背けていたせいだろう。


 耳の辺りを赤くしつつ、真澄も逃げるようにして陽翔から視線を逸らしていたことに気が付けなかった。


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