第五十四話 答え合わせ

 喉元が痛む。当然だ、鋭利な刃物で切り付けられたのだから。

 それまでアドレナリンで相殺されていた痛みも、今は鋭く突き刺さる。流れ出す血の湿り気とにおいが、身体の異変をありありと証明していた。


 目の前で立ち呆けているアラレスタは、心ここにあらずといった様子だ。いつも全てを見通している精霊の目も、どこを見ているのか分からない。動揺と混乱が頂点に達し、何も考えられない状態なのだろう。しかし、このままにしておくのはよろしくない。


 俺はアラレスタの肩をポンポンと叩き、次いで血が流れだしている喉元を指さした。

 早くこの傷を治してもらわないと、今すぐ死ぬということはないが、痛みが長引くのはしんどい。呼吸すらもこの喉を痛めるのだから。


「す、すいません! ボーっとしてました。今すぐ治します!」


 そう言ってアラレスタは俺の喉元に手を置く。どうやら少し混乱から立ち直ったらしい。

 まっすぐ前を見て治療に専念している。


 俺の治療というのは、他のものよりもずっと神経を使うらしいのだ。普段なら、多少の怪我をしても治癒魔法は使わず俺の自然治癒力に頼っている。

 周りの連中が怪我をしたときは、アラレスタがささっと治してくれるというのに。


 これも全て、俺の患う魔力対流症が悪い。治癒魔法であっても、この爆弾を刺激しかねないのだ。それほどまでに、俺の病は末期まで進行している。もう、普通の人間と同じように生活するのは厳しいのだろう。


 じっくり時間を掛けて、アラレスタは俺の喉を治療していく。

 いつも怪我を素早く治せる連中をうらやましく思うが、こういうときは役得だと思う。こんな美人が俺の喉に触れて治療をしてくれるのだから、これほど目が喜ぶこともない。


 アラレスタの魔法は、とても繊細で優しく、そして温かい。魔力対流症を抑制する吸魔の魔法も心地の良いものだったが、初めてこの身に味わう治癒魔法というのは不思議な感覚だった。日の温かさにも似たもので、瞬時に痛みが引いていくのだ。


「はい、これで終わりましたよ。傷は完全に塞がりました。痛みはないですか?」


「大丈夫さ、すっと痛みが引いたよ。治療魔法というのは、こんなに凄いものなんだな。普段から受けられないのが悔しく思う」


 五分くらいだろうか。常人の治療が数秒で終わることを考えれば、これでも長く時間をかけた方だろう。喉元の切り傷は完全に塞がり、血も流れだしてはいない。失血した分、少し怠いような感じがあるが、それも大したことはなかった。

 俺よりもむしろ、彼らの方が苦しい状況にあるだろう。


「もう二度とやりたくないですね、エコテ……エコノレさん? の治療は。本当に神経を使うんですから、もうあんな危険なことをしないって約束してください。すごく心配しましたよ!」


「わかっているさ、俺だってこんな痛い目に遭うのはごめんだ。こういうのは俺のキャラじゃない。それに、俺が無茶をするといろんな人に迷惑がかかる。それも、理解しているつもりだ。……ただ、今回はアイツのことが許せなかった。それはわかってくれ」


 そう言って、俺は今も倒れているアヴィチェリダを見やる。

 今まで、コイツほどのクズは見たことがなかった。能力はあるが、それに対して品に欠ける男だ。これでよく、ここまで栄えた領地を運営できていたものだと思う。


「アラレスタ。悪いがあの二人も治療してやってくれ。俺よりも危険な状態にあるはずだ。実際、俺は失神しなかったのに対して、二人は意識を失いかけている」


「それは大丈夫ですけど……良いんですか? この二人を助けちゃったら、後で絶対に面倒なことになりますよ。それこそ、マーケットを襲撃しに来るかもしれません。大長もウチェリト様も協力的ですけど、人間どうしの小競り合いに力を貸してくれるかは、私には断言できませんよ」


 確かに彼女の言う通りだ。二人が目を覚ませば、真っ先にマーケットを襲撃しに来るだろう。何せ、領主を殺害するところだったのだ。その報復がやってくるのは当然のこと。


「私なら、この二人を殺して死体も消滅させることができますよ? これでも森の精霊ですから、人間には及びもつかないほどの力を持っているのです! だからその、証拠隠滅してこのまま帰っちゃいませんか?」


「アラレスタ……。精霊がどのような価値観を持っているのか、俺には良く分からない。だが、俺は人を殺すことに対して積極的になるつもりはないぞ。助けられるのなら、助ける。その上で、今度こそ武力ではなく知力で叩き潰すのだ」


 先程も言ったが、学問を修めようとしない貴族は、もはや人間ではない。その権利を持ちながら知識と教養を求めない愚か者は、人間という種の優位をまったく理解していないのだ。だからこそ、人間ではない。


 しかしそれでも、相手は人の言葉をしゃべる動物だ。

 例えば山で罠に引っかかったシカがいたとして、そいつが急に言葉を喋ったら? 俺なら殺せないだろう。言葉を交わしたその瞬間から、俺の中でそいつは夜ごはんではなくなる。


「それにな、アラレスタ。エコテラの故郷日本では、人が死ぬと誰であっても仏になってしまうそうだ。それは、このアヴィチェリダでも同じことだという。だが、この男が仏になどなるのはまだ早すぎる。もっと知恵を磨き、学を知るべきだ」


「なるほど、死ぬと仏に……。それはいけませんね。このような下劣な男に、仏様は似合いません! この男には、地面でのたうち回るミミズが良いところでしょう」


 急に口が悪いなアラレスタは。よっぽど、アヴィチェリダに対して怒りが募っていたんだろう。そりゃそうだ。彼女には怒る権利がある。あれだけのことを言われて、むしろ気にするなという方が無理な話だ。


 アラレスタは二人を椅子に座らせ、右手をアヴィチェリダに、左手をマジョルさんに置いて治療を始める。俺のときは両手で集中していたことを考えると、やはり俺の治療というのは相当難しいのだろう。本当に悪いことをした。


「そう言えばエコノレさん。どうしてエコノレさんは喉笛を切られて無事だったのに、このお二人は倒れているんですか? 傷口を見たところお二人も首を切っていることに変わりはないと思うんですが」


「何、難しいことはしていないさ。まったく恥ずかしいことに、兵の領地オーストマンシャの領主アヴィチェリダは、人体の弱点をまったく理解していなかった。それだけのことなんだよ」


 まさか、彼があそこまで激情家だとは思わなかった。かなり厳しい賭けと思ったが、あれほど気持ちよく乗っかってくれるとは。


「患部をよく見てみるといい。俺が切られたのは喉笛だが、アヴィチェリダとマジョルさんは首の側面、頸動脈を薄く切っている。痛みと出血で失神しているが、まあここを切られたからと言って必ず失神するわけではないな。今回は運が良かった」


 アヴィチェリダはすぐに倒れてくれたが、マジョルさんは意外と丈夫で倒れてくれなかった。頸動脈を切った後追加で鳩尾を思いっきりぶん殴ったら、なんとか倒れてくれたのだ。


「でも、エコノレさん刃物なんて持って……あっ!」


 何かに気付いたアラレスタに、正解だと言わんばかりに刃物を見せる。

 それは、アヴィチェリダが取り出したポケットナイフだ。当然ながら、俺の持ち物ではない。


「俺は最初から、これを回収したかったんだよ。だから、わざとマジョルさんのナイフを使うように誘導した。その時アヴィチェリダはおまぬけなことに、これを置いただろう? まさか、今からこれで切られるとは思っていなかったはずだ」


 バカをあしらうのは簡単だ。だからこそ、教養が必要なのである。

 それを知らずにただ戦うことしか考えなかった人間は、俺のように非力な人間にあっさりやられる。武と知、両方を兼ね備えてこそ領主だろうに。

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