第二十九話 消えゆく者、残されし者

「に、似たような状態って、つまりどういうこと……?」


 プロテリアから飛び出した言葉に、私は寝起きにもかかわらず激しい動揺を覚えていた。

 このカッツァトーレという男が、私とエコノレ君によく似た症状を抱えていたというの? もしかして、魔力対流症を治す方法を知っているのかも!


「このカッツァトーレは、幼いころ二重人格だったんですよ。最初から野蛮な性格だったんですけど、いつからか全く別の人格が現れるようになりました。それも、エコテラさんと同じように、魔力の性質が異なる人格です」


 なんだ、そっちのことか。っていうか、私も相当寝ぼけていたらしい。話の流れを考えればすぐに分かることだ。

 頭痛も酷いし、疲労感もある。それだけエコノレ君が頑張ってくれたっていう証拠でもあるんだけど、変なタイミングで交代しないで欲しいな。


「通常の二重人格は、精霊種からすれば全く同一の人物にしか見えません。今の段階ではストレスやトラウマによる脳の異常、と仮説が立っていますが、精霊種にしてみれば、そんなもの何でもないんです。しかし、あなた方は違う。考えがどうのとか、そんなレベルじゃない。生物としての格からして、エコテラさんとエコノレさんは別物なんです。僕にも良くわかりませんが、エコテラさんは若干精霊種寄りですね。エコノレさんは完全に人間です」


 そ、そんな風に私たちのことが見えていたのか。

 生物としての格からして、私とエコノレ君は違う。聞いても、全く実感が湧いてこない。


 だって、私はプロテリアみたいに戦えないし、アラレスタみたいに精霊を導くことも出来ない。いたって普通の人間だ。

 私が出来ることは、エコノレ君も出来る。そしてその逆もまた、当然のことなのだ。記憶を共有しているのだから、それをなぞればいいだけである。


「俺の時も、まさにそんな感じだったぜ。野蛮だった俺は、もう一人の俺を自分の中に作っちまったんだ。気弱で生っちい俺さ。そして俺は、そいつが大っ嫌いだった。だからどうにか克服してぇって、大長に頼んだ」


 カッツァトーレが語るのは、彼自身の過去。自分で作り出した、簡単に偽物とも呼べない自分。しかし受け入れることの出来ない自分。それは、私とエコノレ君の関係とは少し違う。


「そしたら大長、とんでもないことを言い出しやがったんだ。自分の中の自分と、戦ってみろ、ってな。そして驚いたことに、俺の意識を分割して精神世界に放り込みやがった。そこで俺は、弱っちい俺と出会ったのさ」


 彼の表情は明るい。語り口は思い出したくもないッ! っていう雰囲気なのに、彼は懐かしむように私たちに聞かせてくれた。それはとても興味深い話で、他では絶対に聞けないもの。


 カッツァトーレはなんと、精神世界のもう一人の自分に、会話を試みたのだという。

 当時とても野蛮だった彼にしては珍しく、対話を望んだのだ。そしてもう一人のカッツァトーレは、それを受け入れた。


 長い、それこそ精霊の基準とする長い時間を掛けて、二人はお互いを受け入れ、そして認め合っていった。

 しかしある時、もう一人のカッツァトーレが言ったのだ。


「もう君は強くなったから、僕は必要ない。けれど忘れないで欲しい、僕も君だということを」


 それだけ言い残して、カッツァトーレは、もう一人の彼の人格が表に出てくることはなくなってしまったのだという。

 その日、彼は大泣きをした。だけど涙を超えたときには、ただ野蛮なだけでなく、確かな知性を持った、一人前の青年がそこにいたのだ。


「精霊種の子どもには良くあることでさ。知能の発達が遅い子どもは、いつかどっかのタイミングで全く反対の性質を持つ自分と出会うんだ。そしてそいつといっぱい話をする。そしたらいつの間にか、もう一人の自分はぱったり消えちまうんだ」


 とても、感動的な話を聞いた。思わず涙が出そうなほどに。

 しかし同時に、恐怖もしていた。他人事だとは、とても思えなかったのだ。そのもう一人のカッツァトーレは、何を思っていたのか。


 もしエコノレ君が一流の経済王になってしまえば、もう私は必要なくなる。彼が私を求めなくなる。その時、きっと私は消えてしまうんだ。もう一人のカッツァトーレがそうであったように、もう一つのエコノレ君の人格である私も、いつかは……。


「懐かしいなぁ。会えるのなら、アイツともう一度会って話がしたい。あ、そういえば、アラレスタの弟ディリトも、もしかしたら二重人格になる時期じゃ……。ってうおいッ! な~に泣いてんだ。中身は女でも、外見はムキムキの男だぞ。見栄え悪いっての。ホラ、これで拭けよ」


 いつの間にか、私は本当に泣き出してしまったらしい。

 悲しくはない、苦しくもない。けれど何故か、私の頬を涙が伝って止まらないのだ。どうしても、これを止めることが出来ない。


 そんな私に、カッツァトーレは優しく手を差し伸べてくれた。一枚のハンカチを握っている。

 ああ。やはり、彼は野蛮なだけの男ではない。その心の内に、必ず気弱な意識を持っている。それは、幼少期に彼が手に入れたもの。彼自身が与えたもの。


「ありがとう、ありがとう」


 彼のハンカチで、涙をぬぐう。もう、疲れのことなどどうでも良くなっていた。頭の痛みなど、とっくに気にならなくなっていた。

 ただ、今の私の中には、エコノレ君のことしかない。


 彼に嫌われたくない、彼を支え続けられる存在でありたい。今まで、そう思って生活してきた。しかしそこに、彼を満足させたくないという、相反する気持ちが台頭してくる。


 これは私の戦いだ。エコノレ君を支えて、助けて、彼に好かれる存在でありたい。けれど、彼を一流の経済王にはしたくない。そうすれば、私が消えてしまうかもしれないから。私には、両方叶える力なんてない。だから、必ず選ばなければならないんだ。


「まったく、そんな顔ぐしゃぐしゃにするほどかよ。よっぽど俺の話が胸に刺さったらしいぜ。安心しろよ、俺は悲しくなんかない。むしろ、アイツの願いをちゃんと叶えていられる今の自分に、満足してるんだ」


「うん、うん。そうだね……」


 彼の表情は未だに朗らかだ。私の顔を見ないように気遣って向こう側を見ているけど、その口元が笑っているのが確かに分かる。


 でも、でも。違うんだよカッツァトーレ。私が今かけてほしい言葉はそれじゃない。

 だって私は、もう一人のカッツァトーレと同じ立場なんだ。消えていく側の人間なんだ。残されている方が悲しんでいないのは、嬉しくもあるけど、同時に寂しくもある。


 私は結局、この言葉にならない感情を、涙という形でしか表現できなかった。

 それも、二人には伝わっていない。伝えることが出来ない。こんなにも沢山の言葉を私は持っているのに、これだけはどうしても表現できなかったのだ。


 今日もプロテリアの作る夕食は、温かくておいしかった。

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