第十話 市場調査

「やぁ、こんなところでどうしたんだい?」


 人だかりの中で泣いていた男の子に、優しく声をかけてみる。ここら辺では少し珍しい、深い緑色の髪を持つ小さな少年だ。


 しかし彼は俺の質問には答えず、ずっと泣き続けるばかりだった。


 はて、どうしたものか。力になれないかと話しかけてみたは良いが、俺は子どもの扱いに慣れているわけではない。

 我が家に小さな子どもはいなかったし、何より家に引きこもって研究に没頭していた俺は、まともに領民とも会話してこなかったのだ。


 だがこんなにも泣いている子どもを放っておくなど、そんな酷いことは俺には出来ない。

 俺にできることは何かないかと考えていると、先に動き出してくれた者がいた。


「キミ、どこの家の子? ミノはね~、ミノファンテっていう名前なの! あっちの海の方から来たんだ~。ねぇ、一人なら一緒に遊ばない?」


 ミノファンテだ。彼女も子どもながらに、彼を助けてあげなければいけないと感じたのだろう。 

 そしてそれは、大男である俺が担うよりも、同年代の彼女が担う方がずっと効率がいい。現に、うずくまっていた少年はすっと泣き止み、ミノファンテを凝視している。


「……僕はディリト。あの山の方から来た。山頂から強い風が吹いて、それで、それで……」


 自己紹介をしようとした少年ディリトは、しかし何かを思い出したように再び泣き出してしまった。ミノファンテも少々困った様子。 

 ここは、俺が一肌脱ぐとしよう。きっと、あと一押しのはずだ。


「ディリト少年は高いところは好きかな?」


「え? うん」


 やっと俺の言葉に答えてくれた。どうやらさっきよりも落ち着いてきたようだな。

 なら、俺にも出来ることがある。


 俺はディリト君の脇に手を入れ、グッと持ち上げた。

 見た目のわりに少年はずっと重く、少々踏ん張りが必要だったが、それでも何とか俺の頭の上まで持ち上げることに成功した。


 瞬間、それまで涙を流していた少年は、パッと笑顔を咲かせてくれる。

 どうやら気に入ってくれたようだな。俺みたいな大男にはこんなことしか出来ないけど、幼い少年はこういうのが大好きなんだ。


「ああ! ずるいディリト君! ミノも、ミノも肩車して!」


「ダメだよ、今は僕が肩車してもらってるんだ」


 懐かしいな。俺も小さいころ、良く父に肩車をねだっていた。それだけ父は頼もしくて、あの頃は絶対的な存在に見えていたんだ。考えてみれば、父以外の騎士達に肩車をねだったことはなかったか。


「ホラ、ミノはこっちだ」


「パパ! やったぁ!」


 それまでこちらのやり取りを眺めていたコンマーレが近づいてきて、俺に肩車をねだっていたミノを持ち上げる。

 そうそう、こういうのは父親にやらせるんだよ。


「にしても珍しいな、霊峰ブルターニャに住まう精霊か。コイツは木の精霊だよ。まだ幼いが、きっと強風に煽られてここまで来てしまったんだろう。きっと迎えが来ているはずだ。買い物をしながら探すとしようか」


 ほう、やはりこの子も人間ではないのか。

 そう太っているようには見えないし、かといって筋肉質でもない。この身長の子どもにしては異様なくらい重かったから、恐らくそうだろうと思っていた。


「そうするか。何、肩車をして練り歩いていたら嫌でも目立つ。特に俺のような高身長ならな。必ず向こうから見つけてくれるはずさ」


 今の俺からは見えないが、ディリト少年は満面の笑みを浮かべていることだろう。そんな雰囲気が伝わってくる。喜んでもらえているようで何よりだ。


 さて、市場調査の続きをするとしようか。


 次に目に付くのは、肉屋だな。

 魚はサイズ感も手ごろで、その日のうちに消費できるから、生で売っていてもおかしくない。しかし肉、特に豚や牛などの大型なものは、解体してからすぐに売り切らなければ腐ってしまう。この国ではそれをどんなふうに捌いているのか、しっかり調査しておかなければ。


「やあ、この肉はいくらだい?」


 取り敢えず目に付いた肉屋に話しかけてみる。しかしざっと見回したところ、豚や牛、馬と言った大型の肉は売られていないな。鶏肉がいくつか生で売られているだけだ。


 この肉も、ついさっき解体したばかりなのだろう。今すぐ売れるのを見越してのことだ。

 露店で何時間も生肉をおいていたら、当然腐るし臭いは他の食材に移るのだ。


 だがなるほど、鶏肉ならば確かに今日中に食いきれる。牛一頭解体してしまえばあまりも出るが、鶏はそうでもないだろうな。店の奥からまだ生きている鶏の鳴き声も聞こえてきた。


「銅貨なら一塊10枚で売ってるが……兄さんら米を持ってないか? 家は米農家じゃなくてな、主食に困ってるんだ。白米なら安くしてやるから。家に取りに行くってんなら、この肉は売らないでおくぜ!」


 物々交換か。貨幣がある程度浸透しているとはいえ、未だに物々交換の信用度は高い。何より、条件自体も決して悪いものではないのだ。これもれっきとした取引である。


 チラリと、後方でこちらを見ているコンマーレに目くばせをする。もしやこういう時のために米を持っていないかという期待を込めてだ。


「分かってるよ、今出してやるから。ホレ、これで足りんだろ」


 そう言ってコンマーレは大きな米袋を放り投げる。人目があるというのに、空間収納からいきなり取り出したのだ。店主のおっちゃんもドン引いてるぞ。


「アンタまさか……。いや、ここで騒ぎになっちゃいけねぇ。これなら鶏二羽と交換してやるぜ」


 店主はにっこり笑顔で二羽分の肉を渡してくれた。所々毛は混じっているが、内臓まできちんと処理された綺麗な肉だ。

 ディリトが生肉をつついて遊んでいる。俺の顔に付くから正直やめて欲しいな。


 しかし相場は野菜の2.5倍か。思っていたよりも安い。肉類はもっと高いと思ってた。


「ところで店主。豚や牛の生肉はどこかで手に入らないか?」


「あ~、そういうの欲しいお客もいるのは分かるが、ありゃ基本的に生じゃ売ってねぇよ。ホラあそこの屋台を見てみろ。皆解体して、その日のうちに全部焼いて売っちまうんだ。余ったやつは次の日また焼きなおすか、自分ちで食っちまうかだな」


 なるほど。やはり大型の肉はあまり生で出回らないか。というか、鶏肉が生で出回っている方がおかしいのかもしれない。

 逆に言えば、どうにかして生肉を市場に流せれば、大金を得られるチャンスはあるということか。


「あ、そう言えば! この通りをまっすぐ行って、あそこを右に曲がったところにデカい露店がある。あの店は集客力があるからな、時期によっては生肉も捌いてるかもしれん。興味あるなら一回立ち寄ってみな」


 なんと、生肉を捌ける店があるとは。それほどの集客力を持つ店、いったいどれほどのモノなのか。興味が出てきた。


「ありがとうおっちゃん。その店に早速行ってみるよ」


 俺はすっと立ち上がり、肉屋を後にする。 

 にしても、これほど体重のあるディリトを肩車していて平気とは、俺も随分マッチョになったものだ。我ながら感心する。


 さて、件の肉屋はここを右だったな。

 通りを曲がってみると、なんということか。既に俺以外の客が数名いる。このマーケットで先客がいるとは、話通りの集客力だ。


 露店を見てみると、何やら看板が立てかけてある。この国の識字率はそう高くないはずだが、あれが通用する顧客もいるのだろうな。


 運が良いことに、今日は肉を出しているらしい。え~と値段は……?


 高ぇ! さっきの鶏を捌いた肉一塊が銅貨10枚。だいたい鶏半分で銅貨10枚ということだ。

 それとほぼ同じ大きさの牛肉が大銅貨1枚!? 豚肉は銅貨90枚だと!?


 確かに牛や豚はそもそもの数も少ないし、あの大きさの塊なら多少値段が高くなるもの頷ける。しかしそれでも限度というものがあるだろう。


 なるほどな。牛肉や豚肉を扱えるような露店はここしかない。

 ある程度賃金に余裕があって、自分で料理がしたい顧客をターゲットにした独占市場というわけか。


 こういった肉を手に入れるならこの店から買うしかないのだから、多少高くても仕方がない。つまり価格決定権を完全に売り手が握った状態。典型的な売り手市場。


 強い。これはあまりに強いぞ。なまじ力があるだけに、こんな力押しな販売が可能なのか。


 しかしいくら集客力があると言っても、大型の肉を二頭も捌いて平気なはずがない。いったいどんなカラクリがあるというのか。

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