第5話 僕とあの人


 僕の昼休みは基本的にラノベを読んで終わる。そうでない行動が起こるとすれば、それは綾瀬グループからのパシリくらいだろうか。


 教室の中を見渡すと綾瀬さん達の姿が見えない。彼女達は教室でお弁当を食べることがあれば、学食に向かう日もある。


 僕がパシられるのは基本的に教室でお弁当を食べる日なので、今日は何もなさそうだ。

 そうなると、誰とも会話がないのが寂しいんだよなあ。


 そんなことを思いながら、寂しさを紛らわそうとラノベの世界に没頭する。

 最近発売した『親の再婚で義理の姉妹ができた。なぜかふたりとも俺にデレデレなんだが!?』は読みやすい文章でさくさくと進めれる。


 朝から読んでいたこともあって、昼休みの途中で読み終わってしまった。

 本を閉じて、僕は余韻に浸るようにゆっくりと顔を上げる。


「わッ!?」


 目の前に人がいて、僕は思わず顔を上げる。

 いつからいたのかは分からないが、その人は僕の前の席に座ってこちらを向いてじっと見ていた。

 いや、じっと見ていたのかは定かではないが。


「……あの、なにか?」


「それおもしろいの?」


 五十嵐萌は相変わらずぽけーっとした調子でそんなことを言った。


「ええ、まあそれなりに」


「ふーん。ちょっと貸して」


「え゛」


 五十嵐さんはオタク文化とは無縁のキャピキャピギャルだぞ。そんな人がこのラノベに興味を示すか?

 ということは、これは罠か。

 渡した瞬間にクラス全員に僕の好みをバラされる。そうなると僕の明日からのあだ名は姉萌えか妹萌えになる。


 いや、ならないが。


 そもそも、五十嵐さんがそんなことをするとは思えない。

 これはあくまで、僕を落とすようなことはしないだろうという信頼ではなく、普段の行いからしてそんな積極的に誰かと関わりに行くとは思えないという意味だ。


 基本的にマイペース。

 騒いだりとかするイメージはまるでない。


「もう、はやく」


 僕がうじうじ考えていると、じれったいと言わんばかりに五十嵐さんはラノベを取り上げた。


「……ふぅん」


 ラノベの表紙を見て、五十嵐さんは含みのある声を漏らす。そのままページを開いて最初にあるカラーページを覗いた。


 この作品は奥手な主人公が積極的な妹と包容力の塊である姉にぐいぐい迫られるという話なので少々内容がえっちだったりする。

 つまり、当然のようにカラーページには肌色成分多めなイラストが載っている。


「これ借りるね」


「え゛」


「なに?」


 僕の濁った声に五十嵐さんは眉をひそめた。


「あ、いや、どうして借りるのかなぁと思いまして」


「読むからだけど?」


「そですか」


 読むんだ。

 なんで? とはもう訊けなかった。あれやこれやと質問を続けるとあちらも鬱陶しいだろうし。



 * * *



 なんてことがあった二日後のことだ。


 僕が昼休みに一人で昼食を食べていたときに、五十嵐さんはやってきた。


「まるいー」


 制服の上から桃色のカーディガンを着た彼女はポケットに手を入れながら僕の前の席に座る。


 そして、机の上にこの前貸したラノベを置いた。


「これ続きあるの?」


 そんなことを言うので、僕は少しだけ驚いた。


「いえ、今のところはそれだけです」


「そーなんだ」


 呟く五十嵐さんはどこか不満げなように見える。これではまるで、このラノベが面白くて続きが読めないことを残念に思っているみたいじゃないか。


 いやちょっと待てよ。


 そうなのでは?


「えっと、どうかしました?」


「んー、ちょっと面白かったから」


 テンションは相変わらず一定で、表情も微々たる程度にしか変わらないので感情が読み取りづらい。


「他になにか持ってないの?」


「今ですか?」


「うん」


 もちろん持っている。

 いつ何時暇な時間が訪れるか分からない学校での生活。溜まりに溜まった漫画やラノベを消化するにはいくら時間があっても足りない。

 そういう時間を有効活用するべく、僕は常にラノベを持ち歩いているのだ。


「一応、ありますけど」


「なんか貸して」


 急にどうしたんだろう。

 何があってラノベに興味を持ち出したんだ? 思い返してもきっかけに心当たりはない。

 僕のいないところで何かあったのかな。

 訊いていいのかな。

 でも僕ごときが会話するのは申し訳ないし。でも貸す側だしな。話の流れ的に訊いてもおかしくはないか。


 断られたらそれはそれだな。


「急にどうしたんですか?」


 僕はカバンの中を漁りながら尋ねてみる。


「んー? 何となく面白そうだなって思って。まるい、いっつも読んでるし、気になったんだ」


「そうなんですか」


 意外だ。

 僕のことなんてミジンコ以下くらいにしか興味を示していないと思っていたのに見てくれていたのか。


 ちょっと嬉しい。


「持ってる中で一巻はこれだけなんですけど」


「それでいいよ、ありがと」


 微かに口角を上げて、五十嵐さんはお礼を言ってくれる。この光景だけを見れば何だか友達みたいだ。

 勘違いしちゃいそう。


「そういえば、綾瀬さんと宮村さんは?」


 今更ながらの質問をしてしまう。


「学食じゃないかな」


「五十嵐さんは行かなかったんですか?」


「私はお弁当を持ってきてるからねー。わざわざ学食まで行くのも面倒でしょ」


 言いたいことは分かるけど、お弁当を持って学食に行く生徒も中にはいる。友達みんなが学食に行って、一人教室に残るのが嫌だからだろう。


 五十嵐さんは綾瀬さん達以外と話しているところをあまり見ないので、そうなると一人でお弁当を食べていたということになるけど。


「なんか、いつも一緒にいるんで意外です」


「そう? えりぴとさなちは一緒にいること多いけど、私はそうでもないよ。興味なかったり気が乗らなかったらついてかないし。二人もそれを分かってるからしつこく言ってこないしね」


 そうだろうか?

 思い返してみたけど、僕の知る三人は基本的に僕をパシるときの三人なので、やっぱり三人のイメージが強い。


「まるいに分かりやすく言うとね、えりぴとさなちはルパンと次元なんだよ。私は五右衛門ってわけ」


「はあ、なるほど」


 なんて分かりやすい例えなんだろう。

 確かにルパンと次元と五右衛門は仲間だけど、基本的に一緒にいるのはルパンと次元だ。


 ていうか、五十嵐さんはルパンも知ってるんだな。


「何話してるの?」


 そんな話をしてると、綾瀬さんと宮村さんが教室に戻ってきた。僕と五十嵐さんが二人で話しているのが珍しかったのか、宮村さんがそんなことを訊いてくる。


「んー? いや、他愛のない雑談だよ」


 そう言った五十嵐さんはよっこいしょと声を漏らしながら立ち上がる。そして自分の席に戻っていった。


 僕と話していたということはあまり知られたくないことなのかも。ましてやラノベを借りたなんてことはバレたくないのかな。


「何話してたの?」


 疑うように半眼を向けてくる宮村さん。しかし、五十嵐さんの気持ちを尊重するならさっきのことは言わない方がいいのかもしれない。


「えっと、他愛のない雑談……ですかね?」


 なので、誤魔化すことにした。


「なんで隠すの?」


「説明するほどのことでもないからであって、別に隠しているわけではないんです」


 むむむ、と一層顔を近づけて睨んでくるので、僕は上半身を下げながら距離を取るしかなかった。


 それにしても。

 未知なる生物である五十嵐萌について、少しだけ理解できたような気がする。


 とはいえ、だからといって距離が縮まるわけでも関係が変わるわけでもないのだが。


 僕が勝手に、一人でそんな気持ちになっただけだ。


「答えろよー」


 宮村さんが諦めることはなく、結局昼休みが終わるぎりぎりまで僕は沈黙を続けるのだった。

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