第四章 北衙禁軍の暗躍

4-1

 とりあえず、何事もなかった顔で買い出しから戻った顔をしながら、珠葵は姫天に「食後の運動だ」と言って、鄭圭琪のところまで遣いに出した。


 頼まれた買い物のお釣りを妓楼の経営者・燕子墨に返した珠葵は、その足で妓楼内の自分の店へと向かう。


「ギリギリになっちゃったね。リュウ君心配してるかな」


 そう言って珠葵が桜泉を見ると、桜泉は「大丈夫」と首を横に振った。


「お兄ちゃんとはお互いの意識がいつも繋がっているから、何か起きればすぐに分かるんだ。だから大丈夫だよ!」


「……そっか」


 とは言え、妹の動向は兄として普通に気がかりだろう。


 早く顔を見せてあげないと、と珠葵は可能な限り足を速めた。


「あっ、珠葵!」


 小道具屋の開店時間にはあと少しだけ猶予があったと珠葵は思っていたが、既に店の前には妓女が一人いて、珠葵を見るなりヒラヒラと手を振っていた。


「買い出し行ってたんだって?ご苦労様!」

「茗霞姐さん」


「今日はお客さんじゃないよ?ホラ、昨日借りた耳飾り、朝返すって言ってたのにアタシってば寝過ごしちゃって」


 店の前で、小さな木箱を軽く掲げている妓女・茗霞に、珠葵は「ああ!」と軽く両手を合わせた。


「お店まだ始まってないし、延滞料金オマケしてくれない?」

ねえさん、私にそんな片目閉じて笑いかけられても……」


「じゃあ、今度のお座敷で茘枝ライチの実をちょっと余分に頼んで、珠葵に横流ししてあげるのは?」


 妓楼に来る客の大半は、懐に余裕のある人間だ。


 料理やお酒を多少多めに注文をし、残るのを見越して妓女や見習いたちに振る舞ってくれることも少なくないのだ。


 横流しは人聞き悪い、と思いながらも茘枝の実は今の季節に手に入る果物の中では、値の張る部類に入る。


 珠葵も金の亡者ではないので、そこは緩く妥協をすることにした。


「分かりました、茘枝で手を打ちます。忘れちゃイヤですよ?」


 妓楼の中でお店を開く以上、色々と持ちつ持たれつなのだ。


「ありがと、珠葵!」


 ニッコリ笑った茗霞は、珠葵の手のひらに木箱を乗せると、片手をヒラヒラと振りながら住居棟の方へと戻って行った。


 あのあっけらかんとした明るい性格が、どうにも珠葵は憎めない。

 何だかんだと、茗霞は約束を守る。


 まあ気長に待とうと、珠葵はそのまま店に入った。


「先にこの耳飾りを仕舞っておかなきゃね」


 何せこれも、南陽楼一の妓女、葉華がつけていた耳飾りだ。


 贈り主自体がとてつもないお金持ちであることは間違いないだろうし、いきおいこれだって、珠葵の何日分の食事になるか想像もつかない。


 これもこの間のかんざしと同じに、葉華が身に着けていた物を借りたいという要望があるか、珠葵自身がそれに相応しいと思って貸すか、どちらかの場合に固定をしようと、外からの客にはすぐに目に留まらない場所に片付けることにする。


「おせんちゃんは、奥でちょっと休む? 昼の間から人間ひとの姿で買い出しに付いて来てくれたワケだし、疲れてない?」


 国を守護する龍の子とは言え、かつて禁軍兵に誘拐されそうになり、抵抗した過程で負った傷は、見た目には塞がっているが、その最中さなかに失われた龍の力は、実はまだ完全には回復していない。


 あくまで龍河よりは早い回復を見せていると言うだけなのだ。


 今の桜泉は、本来の桜泉が持つ力の三分の二がせいぜいだ。


「あー……そうだね、じゃあとりあえずこの人間ひとの姿は解いて、姫天が戻って来るまでは眠らずに待つよ。珠葵、一人になっちゃうじゃん」


 そう言った桜泉は、珠葵の返事を待たずに、店の奥にある部屋の方へと姿を消した。


 お店側で姿を変えると、何も知らない客が偶然来たりしたら騒ぎになる――以前に珠葵がくどくどと言い聞かせたのを、桜泉もちゃんと覚えていたらしい。


 それから、珠葵が耳飾りを仕舞って貸出帳に記入をしている間に、龍河の入った葛籠を足で挟むようにしながら、小さな白い龍の姿に戻った桜泉が、パタパタと静かな低空飛行で店の奥へと着地をした。


 それはそれで、誰か来たら驚く……と珠葵は思ったけれど、桜泉なりに考えてのことだと分かるので、敢えてそこは何も言わないことにした。


 白龍は、子龍の間は鱗ではなく白い毛で全身が覆われている。

 成龍になるにあたっての生え変わりで、所謂「龍らしい」鱗がはた目にも見えるようになるのだ。


 つまりは現時点では、龍河と桜泉が葛籠でうずくまれば、それはひたすら可愛いぬいぐるみの展示だ。


 充分に、店側にいても客の目はごまかせると言うワケだった。


【……遅かったな】


 そんな珠葵の頭の中に、不意に龍河の「声」が響いてきた。

 もはや驚く時期は通り過ぎている珠葵は「あー……」と、うっかり普通に答えていた。


「ちょっと面倒くさいのに絡まれちゃって。リュウ君にもお土産……って思ってたんだけど、代わりに今度奮発するから許して?」


【オ、オレは別にそんなコトを言ってるんじゃ……っ】


 脳裡に慌てた龍河の声が響いている。

 記入の終わった貸出帳を閉じながら、クスリと珠葵は笑った。


「うん、分かってる。心配させちゃってゴメンね?おせんちゃんが一緒だから、多少のことは大丈夫だと思ってたんだよ」


【あ、当たり前だ!自慢の妹だからな!】


 照れ屋なのか素直じゃないのか。


 何にせよ妹想いの良き兄の姿を垣間見て、ほっこりしていたそこへ【ただいまー!】と、店の奥から白いてん、つまりは姫天が猛スピードで駆けこんできて、帰宅を告げた。


「てんちゃん! おかえり、鄭様には会えた?」


【ううん、どこかに出かけていて王宮の中にはいなかったから、雪娜に渡して来た!どうせ最後には雪娜のところにいくだろうから、まあいっかと思って!】


「…………」


 龍河同様、脳裡に直接響く姫天の「声」に、わぁ!と乾いた声が珠葵の口から洩れた。


 圭琪でさえ、あの凌北斗とやらには関わらなくて良いと言っていたのだ。

 街中で一緒に買い食いしたうえに、何らかの事件に首を突っ込んでいたのを放置してきたと言ったら、黙ってこめかみに青筋を浮かべているんじゃないだろうか。


 いや、でも確かに圭琪に怒られるか雪娜に怒られるかの違いでしかないだろうから、あながち姫天の言い分も間違いではないのかも知れない。


「……雪娜様、何か仰ってた?」


【えっとね、暴走したは更夜部の方から刑部に連絡して首根っこを押さえるって。珠葵はくれぐれも店から動くな……だったかな】


「猪突猛進……」


 言い得て妙だ……などと感心している場合じゃない。


 頼まれても動きたくはないけど、多分雪娜は、そこに珠葵は「いなかった」と言うことにしておきたいのかも知れない。


 元より珠葵にとっては、雪娜の指示は絶対だ。


「ん、ありがと、てんちゃん。もし穢れた小道具が入ってきたら、浄化した後で〝珠〟をあげるから、てんちゃんもそれまでは休んで?」


 そう言って珠葵が姫天の背中をさわさわと撫でていると――いきなり店の外、すなわち妓楼の玄関の方が騒がしくなった。


「――北衙ほくが禁軍の禁軍兵だ!これ以上、玄関先ここで騒がれたくなければ、柳珠葵なる小娘をこちらに差し出せ!さすれば我らはすぐに撤収しよう!!」


「…………ハイ?」


 刑部の次は、禁軍兵ですか?


 聞こえてきた声に、事態が呑み込めない珠葵は思わずその場に立ち尽くした。

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