第十話 19歳

 エリシアは石窯の前で両手を握っていた。神様、女神様!

「開けるわよ」

「はい!」

 エリシアの隣に立つ女性が石窯からパイを取り出した。エリシアはその出来栄えを見て目を輝かせた。

「焦げてない!」

「うん、上手にできたわね。すごいわエリシア」

「ありがとう!おばさんのお陰だよ!」

 女性はパイを皿に移す。

「ほら、冷めないうちに持っていきなさい」

「はい!」

 言って、エリシアはパイを持って女性の家を飛び出そうとした。

「あ、そうだエリシア」

「なんですか?」

 エリシアは立ち止まり、振り返る。

「19歳のお誕生日おめでとう」

 エリシアは微笑んだ。

「はい、ありがとうございます。行ってきます!」

 今度こそ、エリシアは家を飛び出した。

「…私にも、好きな男の子のために、必死になったころがあったなぁ」

 女性は懐かしむように目をつむった。


 小走りで数分。エリシアはとある靴屋へたどり着いた。入口からではなく、裏に回り、勝手口から家に入る。

「こんにちはー」

「おぉ、エリシアちゃん。こんにちは。すごくいい匂いね」

 家主である男性が顔を出す。

「お誕生日おめでとう。エリシアちゃんも19歳か」

「ありがとう。えっと…」

「息子ならいつも通り、工場で黙々と作業してるよ」

「はい!ありがとうございます!」

 エリシアは工場へ急ぐ。その背を、家主の男性は笑顔で見送った。


 エリシアは工場に入る。工場では少年がひたすら靴底を叩いていた。エリシアは一度パイをテーブルに置き、少年に近づいた。そして、彼の肩を叩く。すると少年は、ん?と言いながら振り返った。エリシアの顔を確認すると、足先を上げて、床を軽く叩いた。

「エリシアか、おはよう」

「もうこんにちはの時間よ、ジュナイン」

「あ~音聞こえるようにしたらお腹減ってきた…あれ?リンゴの匂い…」

 ジュナインが情けない顔をしていると、エリシアはニヤリと笑いながらテーブルを指さした。

「リンゴパイ、作ったの。一緒に食べましょう」

「そうか、ありがたく頂戴するとしますか」

 ジュナインは微笑んだ。



 うんうん、とリンゴパイを食べながらジュナインは頷いた。

「旨い。エリシアって料理上手だったんだね」

「いや、そんなことないよ!うちの家には石窯ないからおばさん家の借りるしかなくて、おばさんにも色々教わったり手伝ったりしてもらったし、お母さんが忙しい時はご飯作るけど、実はお菓子は作ったの初めてだったんだよね…だから美味しくないかもなーって」

 言いながら、エリシアはうつむき、スカートを握り締める。

「どうしたエリシア?」

 異変に気が付いたジュナインが問う。

「…今年のリンゴ…あんまり美味しくできなかったんだよね…砂糖でごまかしてるけど…。ほら、また納税が上がったでしょ?それで前と同じ農薬が買えなくて…」

「大丈夫、美味しいよ」

 ジュナインが微笑み、うつむくエリシアの頭を撫でた。

「味が落ちようが、親父さんが頑張ってること、みんな知ってるよ。エリシアん家のリンゴを毎年楽しみにしてる人がいっぱいいることを、僕は知ってる。僕も楽しみにしてた。普通に食べるのも美味しいけど、まさかエリシアがリンゴパイにして持ってきてくれるとは思わなかったから。余計嬉しいよ」

 エリシアが頬を少し染めながら顔を上げる。


 すぅっと、エリシアが息を吸った。

「ジュナイン、あ、あのね…一年前のことなんだけど…」

「あぁ、マティス様の戴冠式の日のこと?」

 現国王の18歳の誕生日、つまりエリシア達の誕生日に行われた戴冠式。それを見物に来ていたエリシアは、偶然ジュナインと出会った。

「うん、あ~そっか~あれから一年経ったんだー早いね!」

「エリシアが先に一年前の話だっていったじゃないか」

「そうだっけ?あの日、戴冠式を見に行ったら偶然ジュナインが隣に立っててさ、ジュナインの左手見た時は驚いたよー!手袋せずに『傷の戦士』の跡、出してるんだもん」

「僕はエリシアが同じ『傷の戦士』って聞いて、普段は手袋して歩いてるって聞いて、僕もそうすれば良かったって」

「そうそう!18年も生きてて気づかないって!」

 ふふ、と二人は笑い合う。

「それで、一年前の話が、何?」

「えっと、だから…一年前偶然会って、こうやってたまに話すようになって…。ジュナイン、仕事してる姿かっこいいなって思ったり…だから、あの………好きです」

 エリシアは再びうつむき、スカートを握り締めた。


 エリシア、とジュナインが優しく呼ぶ。

「ありがとう。君の気持ちは、パイからも言葉からも伝わった。俺は、靴を作る以外何もない男だけど…俺で良いなら、付き合ってほしい」

 エリシアがパっと顔を上げた。今度は耳まで真っ赤になっている。

「なんでっ!私から告白したのに!ジュナインが付き合ってっていうの!」

「どっちでもいいだろ?両想いの結果は変わりないんだから」

「両想い」

 エリシアの心臓がバクバクと音を立てる。


「エリシアに見てもらいたいものがある」

 ジュナインは、近くの作業台の引き出しから革製のブレスレットと取り出した。

「俺の稼ぎじゃジュエリーとか買えなくてさ…こんなものしか作れなくて」

 言って、それをエリシアに渡した。ブレスレットには細かい刺繍が縫われている。

「…可愛い」

「先にこれを渡すつもりだったんだ。でも緊張して…音消して仕事に没頭してたら、エリシアに先を越されちゃった」

「もう、どっちでもいいんでしょ?両想いなんだから」

「そうだった」

 ジュナインはエリシアの手からブレスレットを取り、エリシアの左手に結び付けた。

「いつかいい宝石買って、この手に付けてあげるから」

「別にいいよそんなの、これ、可愛いし!これで十分だよ。それにあたし農作業するからジュエリーとか付けないし」

「そうなの?ブレスレット邪魔だった?」

「全然!!これくらいは大丈夫!!で、でも汚れないようにしないとね!」

 エリシアは右手で左手首のブレスレットを握り締めた。


「そうだエリシア」

「何?」

「まだ言ってなかった、誕生日おめでとう」

 ジュナインがエリシアの手を取る。

「…うん!ジュナインも!お誕生日おめでとう!」

 エリシアとジュナインは見つめ合い、微笑んだ。




「…お取込み中悪いんだが」

 いい雰囲気でエリシアとジュナインが見つめ合っていると、その場に先ほどの男性、ジュナインの父親が声を掛けた。

 エリシアは飛び上がり、呼吸を荒くしながらその場に蹲った。ジュナインは勢いよく立ち上がり、父親を見る。

「ど、どうしたんだい父さん」

「城の使いでって兵士の人が来てな…」

 ジュナインの父親が口ごもる。そうしていると、父親の後ろから数人の兵士が部屋に入り込んできた。

「なんだ…」

 ジュナインは顔をしかめる。

「ここは作業場です。勝手に入って来られては困ります」

「ジュナイン、並びにエリシア、マティス陛下より伝言を申し伝える」

 ジュナインの言葉を無視し、兵士はまるで紙に書かれた言葉を読み上げるように、ピンと声を張った。

「本日、マティス陛下、並びにユーリィ女王陛下のご生誕を祝う祝賀会に、『傷の戦士』である両名が招待された。今すぐ我々と入城せよ」

 エリシアがハッと顔を上げた。ジュナインはエリシアを守るように、彼女を背に兵士との間に割って入る。

「どういうことですか?国王陛下の祝賀会に一般国民が呼ばれるなんて、前代未聞でしょう?」

「貴様と問答をするつもりはない。これは陛下からの勅令である」

 エリシアはゆっくり立ち上がりながら、ジュナインの服の袖をつかんだ。

「どうして急に…『傷の戦士』だからって」

「問答はしないと言った。早く私達についてこい」

「そんな…」

「断れないと言うことですか…」

 ジュナインは、後ろでにエリシアの手を握った。

「大丈夫だ。俺が一緒にいる。行こう」

 エリシアは小刻みに震えながら小さく頷いた。

「ジュナイン…エリシアちゃん」

「父さん、このことをエリシアのご両親に伝えて。大丈夫、祝賀会に呼ばれだけだろ?普段食えない料理食って帰ってきて、自慢してやるからさ」

 ジュナインの父親は目を伏せ、すまん、と謝った。


 ジュナインの作業部屋には、食べ残されたリンゴパイだけが残された。






 城に連れて行かれる道中、もう一人の国民で『傷の戦士』である、ワイトという少年も引き連れ、入城した。ワイトは始終何も言わず、馬車の隅で小刻みに震えていた。エリシアとジュナインも何も言わず身を寄せ合っていた。


 祝賀会にはドレスアップが必要なため、一旦エリシアはジュナインと別れることとなる。

 城に仕える女中が、あーでもないこーでもないとエリシアのドレスを選び、化粧をし、髪形をセットしている。

「女王陛下以外にこういったことする機会がないからすごく楽しいわ」

「そ、そうなんですか…」

「ここだけの話、女王陛下はほら、結構わがままでしょ?だから注文が多くてすごく大変なのよ…だから、今日みたいに私に全て任せてもらえると、すっごく楽しいわ~もう一緒に来た男の子たちが一目ぼれしちゃうくらい可愛くしちゃう!」

 すでに一人には惚れられてるんですけど、と言えるわけもない。


 そうだ、マティスの誕生祝賀会に招待されたということは、女王陛下であるユーリィにも会わなくてはいけない。

 彼女も同じ『傷の戦士』として産まれた令嬢だ。かなり早い段階で彼女が正妃になることが決まっていたらしい。

 誰の目から見ても「美しい」と言うよな容姿に産まれた彼女は、その権力と容貌を武器に、マティスに進言し、納税額を年々上げ、私腹を肥やしているという。噂程度ではあるが、金を得るためにやばい所に手も出してるらしい…。戴冠式でしか見たことがないが、国民を見下す彼女の目が脳裏に張り付いている。

 マティスの誕生祝賀会と銘打ってはいるが、ユーリィの誕生祝賀会といっても過言ではないだろう。その祝賀会に、一般国民である私達が出向いたら…少し寒気がした。

「あら?大丈夫?鳥肌立ってるわよ?何か羽織る?」

「いいえ、大丈夫です」

『傷の戦士』とはいえ、一般国民である自分たちが国王陛下の祝賀会に呼ばれるというだけで、何が起こるかわからず恐ろしいのに、そこに女王陛下もいるとなれば…。

 

 エリシアは目を瞑り、左手のブレスレットを握り締めた。




 夕方、ドレスアップを終えたジュナインとワイトは、女中に連れられとある部屋へと招かれた。広々とし、豪華絢爛な装飾を施された部屋からは、城内の庭も一望できる。

「祝賀会と聞いていたから、もっと賑わっていると思ったいたけど、案外静かなもんだな」

「こちらは祝賀会会場ではありません」

 ジュナインの独り言に女中が答える。

「俺たちは祝賀会に呼ばれたんじゃなかったんですか?」

「こちらは、『傷の戦士』の皆様のために、特別に設けられた会場でございます。まもなく、準備を終えたエリシア様、陛下にお仕えするオキシオ様、ラティス様、そしてマティス国王陛下、ユーリィ女王陛下がいらっしゃいます。皆様揃うまで、どうか寛いでお待ちくださいませ」

 なるほど…『傷の戦士』とはいえ、さすがに国王陛下のお誕生日会には出られないか、とジュナインは苦笑する。

 ゴテゴテに装飾されたソファに座る気にもなれず、ジュナインは壁にもたれかかりながら辺りを見渡した。

 そもそも呼びつける必要などあったのだろうか?『傷の戦士』と呼ばれて生きてきたが、ナイフ以外の刃物は持ったこともない、【音を消せる】スキルも、自分が集中するため以外に用途がない。ただ、偶然同じ日に産まれて、同じ傷を持っただけの一般人だ。ユーリィほどではないにしろ、わがままな国王陛下クソガキは一体何を考えているのやら。悪巧などなく、ただただ「なんとなく」呼び出されたことを願うばかりだ。


 一緒にこの部屋まで来たワイトは、庭の見える場所にしゃがみ、ずっと外を見ている。ジュナインは壁から背を離し、ワイトに近づいた。

「ワイト君だったっけ?」

「ひゃ!」

 飛び上がったワイトに笑顔を見せる。

「ごめん、驚かせるつもりはなかったんだけど」

「い、いえ…大丈夫です」

 同じ19歳には思えないほど、ワイトは幼く感じる。童顔に低身長。着せられたタキシードが不格好に見える。

「庭、眺めてるの楽しい?」

「はい、僕、花が好きなんです。この庭、見たことない花がたくさんあって、とても楽しいです」

 ワイトはあれ、と指さした。

「黄色いバラ、ずっと見てみたかったんです。初めて見ました」

「へぇ、僕、昔運び屋してたんだけど、その時は赤いバラしか見たことなかったな」

「色んな色が、あるんです、よ。食用も、あったりします」

 少ししゃべりにくそうだが、話せないわけではない。一人でこの部屋に突っ立っているのもいたたまれなかったので、話し相手が出来てジュナインは安心した。


「しかし、俺とエリシア以外にも、一般国民の中に『傷の戦士』がいるとは知らなかった。知ってたら声くらいかけたのに」

「僕は、知ってましたよ、ジュナインさん、靴の修理が早いって、親も褒めてました」

「知ってたの?なんで声かけてくれないんだ?」

「……。僕こんなんだし、親や兄に嫌われてて、友達もいないから…声を掛けるなんて思いも至らなかったよ」

 ワイトは顔を上げず、ずっと庭を眺めている。ジュナインは何となく、ワイトの隣にしゃがんだ。

「やっぱり多少なりとも苦労するんだな。『傷の戦士』は…僕はさ、今の両親と産みの両親が違うんだけど…前の母親がアル中でさ、酔っぱらった勢いでマティス様生誕祭のパレードの中に突っ込んで、『この子も傷の戦士です!』って…バカみたいにわめき散らして、仕方ないからって、マティス様にちょっと触れさせてもらったらしい。もちろん俺は覚えてないけど。そのせいで、意志を持つ前から、奇異な目で見られてた。気味悪がられたし、『傷の戦士』は城から金をもらってるって噂まで流れて、うちに金をせびりに来る奴もいた」

 ワイトはゆっくりと顔を上げてジュナインを見る。ジュナインは、以外にも穏やかな表情をしている。

「とても、大変だったんだね」

「うん、まぁ色々あって今は幸せだけど。でも君がそうなってしまった理由は痛いほどわかる。生まれる家が違えば、きっと僕も君みたいになってた。だから僕は君を嫌ったりしないよ」

「ありがとう、ジュナインは優しいんだね」

「僕が優しい対応がちゃんと出来ていたとすれば、今の両親とエリシアのお陰かな」

「エリシアって、さっきの女の子?」

「そう、先に言うけど、俺達付き合ってるから」

 厳密にいうと「付き合うことになった」であるが、「付き合ってる」と断言した方が狙われにくいと思い、そう言った。

「そうなんだ。あの子可愛いもんね」

「そうだろ!エリシアは自分のことを「普通のどこにでもいる女の子」だと思ってるけど、僕にとってあの子は、特別可愛い、家族とリンゴをこよなく愛する女の子だ」

「そんなに惚れこんでたら、ドレスアップした彼女を見たら卒倒しちゃうんじゃない?」

「ありえる!倒れたら介抱してほしい」

「それこそ彼女の役目でしょ」

「鼻の下が伸びた顔はまだ見せたことがないんだ。たぶん」

「ふふ、それは見せられないね。わかった、僕が介抱するよ」

 ワイトの笑顔に、ジュナインは安堵した。




 コンコン、と部屋の戸が鳴る。女中が入ってきた。

「エリシア様の準備が整いましたのでお連れしました」

 思わず、ジュナインとワイトは背をビシッと伸ばして立ち上がる。

 黄色を基調にしたワンピース。歩くとふわりとなびくスカートの裾には、繊細な刺繍とラメが控えめにちりばめられている。腰には白いリボンを結び、袖からは少し日に焼けた腕が出ている。

 一つにくくり上げられた髪にはウェーブがかかっており、こちらもラメで装飾されている。

「ジュナイン!お待たせ!ドレスアップってこんなに大変なんだね…というか、靴底が高くてすっごく歩き辛い」

 エリシアは歩きにくそうに、女中に手を引かれながらジュナインの方へと歩いていく。

「…意識ある?」

「かろうじて」

 こっそりジュナインに尋ねたワイトは安堵する。

「彼女に歩かせていいの?」

「あっ…」

 言われて、ジュナインはエリシアを迎えに行った。


「ジュナイン…ふふ、見違えたけど、なんだか変な感じ」

 ジュナインがエリシアの前に立つ。女中がにやりと笑いながらそっと離れて行った。

「僕も違和感あるよ。それより、エリシア…えっと、すごく似合ってるあよ」

 ジュナインが思わず目を背ける。エリシアはニヤリと笑った。

「本当にそう思ってる?ちゃんとこっち見て言って」

 ジュナインがちらりとエリシアを見て、また視線を背ける。しかしまたゆっくりと、エリシアを見た。

「すごく可愛いよ、エリシア」

「…面と向かって言われると、それはそれでむず痒い」

「なんだよそれ」

「ジュナインも、すごく似合ってるよ、かっこいい」

「あぁ、ありがとう」


 ワイトは静かに、微笑みながら二人のやり取りを見ていた。


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