第八話 狂わせたもの

 初老の刑事が、これほどまでに殺人衝動に駆られた理由。大した事ではないので、語ることもほとんどない。とある事件で犯人を殺してしまったからだ。その時は正当防衛として認められた。同僚も世間も「仕方ない」と言っていた。

 刑事として殺人に向き合ってきたが、いざ自分が人を殺してしまった時、これほどあっさり許されてしまうのだなと思った。手には人を刺した感触がずっと残っている。柔らかい肉。切先に当たる骨。温かい血。人を刺し殺すとはこういうことなのだと思った。そして自分は驚くほど冷静で、少しの後悔もないことに気が付いた。

 人を殺すことなど、料理をするとか、洗濯をするとか、それぐらい自然なことなのだと思った。


 それでも殺人を再び犯さなかったのは、日本の刑事が優秀だからである。その組織にいるからこそわかる。完全犯罪は難しい。刑務所はつまらない所だ。殺人を犯すより、普通に暮らすことの方が、楽なのだ。

 しかし、初めて人を殺したあの日から、また殺してみたくて仕方なかった。次、人を殺した時、自分は罪悪感を感じるのだろうか?人を殺して、どうしたら罪悪感を抱けるのだろうか?知りたい欲は、膨らんでは風船のように破裂し、また膨らんで破裂するを繰り返した。


 そんな折、あのバス事件が起きた。咄嗟に刑事として行動を移したが、あっさり刺されて倒れてしまい、挙句殺されてしまった。






 マティスが生まれて暫くの経った頃、出産を祝うパレードが行われた。国王の嫡男であり、『傷の戦士』として産まれたマティスのパレードは、それはそれは派手で騒がしいものであった。

 そのパレードに、とある母親が転がり込んできた。そして叫んだ。

「陛下、そして女王陛下、この度はご嫡男のご出産おめでとうございます!ご覧ください!この子は、ご嫡男と同じく『傷の戦士』です!」

 言って、母親は産まれたばかりの子を空高く掲げた。これがジュナインである。

 辺りは一時騒然となったが、慈悲深いマティスの母親は、兵士の制止を振り払い、マティスを抱いて馬車から降り、母親に近づいた。

「あぁ、女王陛下…」

「いつか、この子もマティスと共に国を支えてゆくことでしょう。マティス、握手なさい」

 まだ首の座らない赤子の身体を支え、マティスの母親はマティスの手を握り、ジュナインに伸ばした。その手に、ジュナインの手が触れた。

 ジュナインはこの時から前世の記憶があったのだ。泣きもせず、吐きもわめきもせず、ただその記憶を受け入れた。



 6歳頃には運び屋である両親の手伝いをするようになっていた。まだ幼い身体であったがこき使われ、親には叱責された。

「まったく、『傷の戦士』として産まれたくせに役に立たない。いつになったら金を稼げるようになるんだい」

 母親の決まり文句だった。

 父親は族のような男で、取引先を脅し、荷運び料を巻き上げていた。その荷も高く売りつけ、売り上げはほぼほぼ賭博に使われた。ジュナインには全く興味はなかった。

 ある日の夜。その日は夜通しで商人数人と積み荷を馬車で運んでいた。しかしその馬車は突然の落石に見舞われてしまう。当時10歳で体が軽かったジュナインは、一つ目の落石が馬車に当たった時、馬車から体が放り出され、擦り傷程度で済んだが、中に残っていた商人も父親もそのまま雪崩に巻き込まれて死んでしまった。

 母親はかろうじて生きていた。足を骨折し、もがき苦しんでいた。気が付けば、ジュナインは母親の頭を、近くに落ちていた石で殴りつけ、殺していた。あんなに自分を苦しめていた母親が、いとも簡単に死んでしまった。何の感情もわかない。

 前世、そして今生を含めて、初めて人を殺したが…こんなものか。罪悪感と言うものを微塵も感じなかった。人を殺すと言うことがは、その人が動かなくなる以外に起こる現象はない。人は皆、なぜそこまで『殺す』『殺される』にこだわるのだろう?ほかにも人を殺せば、自分にもわかる日がくるのだろうか…?ジュナインは一人思いを巡らせていた。


 翌日、兵士に発見されたジュナインは一時城に保護される。事故は、母親も含め落石による死亡と断定された。

 それから両親の家業を継ぎ、運び屋として生計を立てた。15歳になる頃には、なんとか一人で取引できるようになっていた。親が死んで大変だろうに、あんたはすごいね、とよく褒められた。

 そうして運び屋を勤めていると、父親のようなクズと鉢合わせることが多いことに気づく。父親のように荷運び代を脅して値切ろうとしたり、挙句荷物ごと馬車を奪って逃走しようとする奴もいた。そういう奴は決まって独り身で、家族がいない場合が多かった。ジュナインはそいつらを悉く殺していった。探す家族がいなければ、この国で人を探すことはない。死体が見つかっても、顔を潰せば身元は分からなくなる。この国には指紋もDNAも鑑定する技術もない。運び屋なので、荷台に死体を隠して運ぶことも簡単だった。

 スキルはとても役立った。ナイフを持って堂々と近づいても全く気付かれない。傷を負い、のたうち回っても、誰にも聞こえない。隣の部屋で、惨殺事件が起こっていることに誰も気が付かない。

 そうして、殺しても殺しても、罪悪感はなかった。なんの感情もわいてこなかった。これほど容易く人を殺せるのに、なぜ人は人を殺すことにこんなに躊躇するのだろうとすら思うようになってきた。


 18歳になり、戴冠式をボーっと眺めていた時、徴集があった。自分以外の『傷の戦士』がいると知った時、すぐにバス事件と結びついた。犯人を含めた7人が転生していたのだと。ジュナインは、人生で初めて心躍った。楽しい、これから何か、大きな事件が起こるような気がする。集められた中に、あの狂った殺人犯がいる…会ってみたい…話してみたい!あれほど人を殺して、抱いた感情は何だったのか…!ジュナインは、自ら『傷の戦士』であることを宣告した。




 徴集に乗ってみたものの、その後は特に何も起こらなった。つまらない探り合いの会話、普通の農民たち、兵士たち、陛下に女王陛下。なんだ、あんな事件を経験しておきながら、楽しい世間話をするだけなんて、ジュナインは落胆していた。

 オキシオが訪問し、帰った後、エリシアの後をこっそりつけ、ワイトとの会話を盗み聞く。【音を消せる】スキルは、2メートル以内なら範囲を狭められる。自分の周りだけ聞こえないようにすれば、尾行してもそうそうバレることはない。

 花の話から、エリシアのスキルについて話が変わった。彼女のスキルが【守護霊が見える】ではなかった。あとはワイトが耳打ちしたので聞こえなかったが、それから推測するに、もしや前世の人の姿が見えるではないかとジュナインは結論付けた。おそらく、ラティスの前世、軍服ではなくバス運転手の制服ということであれば、『傷の戦士』が全員生まれ変わりであるという確信と納得が出来る。

 エリシアは、ワイトと別れ際に「あなたはとても可愛い男の子よ!」と言った。それはワイト自身に言ったのではなく、彼の前世が、バス事件で殺された男の子だったと推測される。なるほど、少し面白くなってきたなとジュナインは笑った。


 その日の晩、さっそく動きがある。エリシア達の会話は、兵士を通してマティスに報告されることは予知していた。案の定、ワイトだけが呼び出された。それを確認したジュナインは、スキルを使って兵士とワイトを尾行した。

 マティスとワイトの会話が聞こえてくる。会話のやり取りから、マティスに前世の記憶があり、ワイトの母親であることはすぐにわかった。ワイトも記憶を取り戻し、親子は感動の再開に浸っていた。

 こいつだ、とジュナインは笑う。前世で無残に殺された親子。もし今からその息子がまた殺されたら…マティスはどうなるのだろう?泣きわめくのだろうか?壊れるのだろうか?それともまた別の…。ジュナインは、今すぐワイトを殺したい衝動を抑え、待った。チャンスを静かに待った。

 その時は訪れた、マティスがワイトを抱いて眠ったのだ。

 ジュナインは窓から堂々とマティスの部屋に侵入し、眠るワイトの背中を刺した。ワイトは目を開け泣き叫んだが、もちろんマティスには聞こえない。痛い痛いと母親に縋っても、母親は穏やかに眠っている。

 あぁ、おもしろい、おもしろいなぁ。こういうのが見たかったんだ。死にゆく誰かが愛する人に縋る姿。いいねぇドラマみたいで、なんて美しい映像なんだろう…。そうだ。ついでに左手にも傷をつけてやろう。あの事件を彷彿とされば、きっと、もっと面白いことになるとジュナインはほくそ笑んだ。




 翌日、マティスに呼び出された。エリシアには眠たいと言ったが、本当はドキドキしてニヤけが止まらず、あくびと言って口元を隠していた。

 マティスは目を血で真っ赤に染めて叫んでいた。そうだよなそうだよな、愛する我が子を二度もその腕の中で死なせて…あんたはそうなるのか…!

 笑い転げそうになり、口を押えながら膝をついた。さすがにここで笑ったら殺されかねない。せっかく、やっと、人殺しの楽しさがわかったのに。これだ、これが欲しかったんだ。死んで当然の奴を殺しても、誰も悲しまない奴を殺しても意味はなかった。愛し愛される者同士の死を間に当たりにすることが、人を殺す言うスリルと快感だったのだ…!

 あぁ面白い…面白い!マティスの理不尽な叫びに対し、エリシアまで怒鳴り始めた。関係の浅いエリシアまで…あぁ、エリシア、なんて可愛いんだ!君も殺してみたい!さぞ家族に愛された君が死んだら、君の家族は報復と言ってマティスに刃を向けるのかな?知りたい!殺してみたい!


 しばらくして、ラティスに連れられ自室に戻った。

 やっと一人になれた、スキルを使えば大声で笑える。

「あーーーはっはっはっは!!!楽しい!こりゃ人の一人や二人殺してみたくなるわけだ!!!バス事件の犯人と酒を飲み交わしてみたいもんだぜ!!!なぁ!あんたはこの事件どう思った???素晴らしかっただろ!!興奮しただろ!思い出しただろ!楽しいな!楽しいな楽しいな!!今度は誰を殺してみる???やっぱりエリシアか!いや、ユーリィも捨てがたい!!見目麗しいお姫様が突然しんだら、国中どうなるだろうな!!!国中が泣いて悲しむか??そんな光景をゆっくり歩いてみて周りたいよ!!!そうだ!今度はユーリィを殺してやろう!!どうやって殺してやろうか!また左手に傷をつけてやろう!あの美しい顔をズタズタにしてやろう!あーっはっは!考えるだけで楽しいね!なぁそうだろ!!」

 この狂気は、誰にも聞こえない。






 叫び狂うジュナインの背中を、ラティスが槍で一突きする。

「もう黙れ!」

「あ~痛いなぁ…刺されるってこんな感じかぁ…死ぬってこんな感じか…」

 ジュナインは両手を天井に伸ばす。

「なぁ女神様。また転生させてくれよ。おれはまだ知りたいんだよ。殺される人、そしてその人を愛していた人の顔を、言葉を…」

 ジュナインの口から血があふれ、落ちていく。まるで抑えきれなかった殺人衝動があふれ出すように…。

 ジュナインは腕をだらりと降ろし、エリシア達をゆっくりとみる。

「なぁ、皆、また会おうな…俺にまた教えてくれよ…愛する人が死ぬって、どういう、こと…か…」

 ジュナインは、絶命した。

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