ブチョーよ、ブチョー。あの半分ハゲ散らかした未練たらしいバーコードハゲは、絶対にブチョーよ‼


 ♠



 ここも特に危険生物がいないと思われてたから、トータルでAプラスのダンジョンに内定されてたんだが。

 ヌエが出るとなると状況が変わってくるな。

 駅前の好立地で、比較的に環境も安定してる。

 かなりの収益が見込めると思われてたのだが。

 もしヌエのヤツが、中層部よりも浅い階層に顔を出すようなら、かなり危険なダンジョンって事に⋯⋯。

 いや待てよ。

 そもそもマスク付きでも、中層十階まで潜って来れるヤツが素人にいるか?

 それにオレがヌエを見たのは、深層二十階が初めてだ。

 プロの冒険者でも、魔素の濃度が50°Ozもあるような場所には滅多に潜らない。

 そもそも素人が深層域に到達できる訳がない。

 杞憂きゆうに過ぎないか。

 それに判断するのはオレの仕事じゃない、後は協会のお偉方えらがたに任せりゃいい。

 オレは事実を報告するだけ──



「あ~、でも残念だな~」



 全身の毛穴から、一気に冷たい汗が噴き出した。

 このひとがいたよ。

 何をどうしたのか、いきなり表層一階から深層二十階まで飛んで来て、50°Ozもある濃い魔素の中で平気で息をして、飯を食って、魔物をペットにしようとする規格外の、この女が。

「残念? なにがです⁉」

 オレは内心の冷や汗を隠しながら訊いた。

「長谷川くんと一緒にヌエをやっつけたら、絶対にやっちゃんに自慢できたのに」


 やっちゃん?


 さっきからチョイチョイ出て来るけど、そのやっちゃんって誰?

 いやいや、そんな事はどーでも良い。

 この女をどうにかしないと、もしオレがいない時にひょっこり現れて、性懲しょうこりもなく深層二十階に飛ばされて、そこでヌエとご対~面~なんて事になったら、確実にお陀仏だ。

 なんとかしなきゃ、なんとか。

 あぁ~、でも、いまここで何が出来る。

 まずはダンジョンから出る。

 それからの話だ。

「所で、そのやっちゃんって誰なんです?」

「やっちゃんはね、あたしの親友で、いまはアメリカに住んで──」


 オレは咄嗟とっさにミサキさんを抱えて真横に飛んだ。

 その瞬間、それは、それまでオレたちのいた空間を引き裂くような勢いで駆け抜けていった。

 熱波が、オレの顔を打った。

 それに、この凄まじい獣臭。

 生まれてから、ただの一度も、その身を洗った事のない野生の獣の臭いだ。



「なに⁉」



 前に飛び出そうとしたミサキさんを庇うように背中で隠しながら、オレはナイフを抜いて身構えた。




 ひゅうぃぃぃぃぃぃぃ⋯⋯。




 と、物悲しく、薄気味の悪い声が風に乗って耳に届いた。

 視線の先に、それがいた。

 大きく口を開いて威嚇いかくしてる巨大な獣。


〈当然か、ここはお前の縄張りだもんな〉


 風上に立ったヌエの身体から白いもやが立ち上り、風に乗ってオレたちの足下まで流れて来た。

 ヌエの全身を覆う水蒸気のようなモノの正体は、可視化するほど濃度を増した魔素の塊だ。

 地上に現れたヌエが、その身に瘴気しょうきを纏わせていたなんて言われるが、それは正確じゃない。

 ヌエが発散していたのは、体内に溜め込んだ膨大な量の魔素だ。


 当然の事だが、魔素に弱い人間は、この濃い魔素に触れただけで具合が悪くなり、下手をすれば命を落とす。

 このオレですら経験した事のない濃度だ。

 下手をすれば一瞬で気を失う。

 いや気絶した時点でオレもミサキさんも終わりだ。

 この場で彼女を守れるのはオレしかいない。

 しかし、どうする。

 オレ1人ならやり過ごす事も可能だが、ミサキさんを連れた状態でヌエと戦えるのか⁉



 いやダメだ。



 ヌエと戦うという選択肢は棄てろ。

 いまは逃げる事に専念する時だ。

 彼女の身の安全が最優先だ。

 オレは後ろ手にミサキさんを制止しながら、じりじりと後退した。



 ここじゃない。



 まだ先だ。



 足下の感触を確認しながら、じりじりと後ろに退がる。

 ヌエを刺激しないように、一歩、一歩、ゆっくりと、敵意が無い事を示しつつ確実に距離を離して行く。

 これでヌエが顔を背けてくれれば⋯⋯。


「あっ部長、何やってんですか、こんなトコで‼」




 はぁっ⁉




 何やってんのミサキさん‼




 つかつかとオレの前に出たミサキさんが、指を差してヌエに文句をたれだした。

「いいですか部長。部下にガイドも付けずにダンジョンに送り出すなんて、労働基準違反ですよ。パワハラもいいとこなんですからね──」

「下がって‼」

「なにすんのよ長谷川はせがわくん。部長には言いたい事が山ほどあんだから、この際だから全部ぶちまけてやる」

「いや部長じゃないから、ヌエだからあれ、挑発しないで」

「ブチョーよ、ブチョー。あの半分ハゲ散らかした未練たらしいバーコードハゲは、絶対にブチョーよ‼」



 ヒドい言われようだな。



「顔は似てるかも知れないけど、身体が違うでしょ」

「大差ないわよ」

 ヌエに向かって執拗しつようにファイティングポーズを取るミサキさんを見て、オレは思った。


〈この人、もしかして普通に酔っぱらってる?〉


 今まで、そんな素振りを一切見せなかったから気づかなかったけど、しっかり魔素酔いしてるのか⁉

「おらー、かかって来いやブチョー。今日こそコテンパンにぶちのめしてやるんだからね」



 拾った石を投げつけるな‼



「危ない」

 咄嗟に後ろ襟を掴んで引っ張ると、オレの背後にミサキさんを投げた。




 ひゅうぃぃぃぃぃぃぃ。




 笛の音を思わせる鋭い叫びを上げてヌエが飛びかかる。

 瞬間、オレたちの目の前に土色をした氷柱が数本突き出し、





 ビキィィィィィィッ





 と、物凄い音を立てヌエの長い体毛を巻き込みながら固まった。

「なにすんのよ長谷川くん」

「逃げますよ」

 オレはミサキさんを肩に担いで、脱兎の如く逃げ出した。

「長谷川くん離してよ、離してってば。も~~エッチ~‼」

 エッチ~って言われてもな~、あんたが素直に逃げてくれりゃ、こんな苦労しなくて済むのよ。



 あ~、クソ、腕が痛え。



 ヌエのヤツめ、アーマードスーツで護られてない箇所をピンポイントで狙って来やがった。

 オレの右腕。

 その前腕がザックリと裂けて血が滴ってる。

 魔法の発動が一瞬でも遅れてたら、肘から先を丸ごと持って行かれてただろう。

 危ない所だった。

 仕掛けておいた罠にハマってくれて本当に助かった。

 あんなバケモノ相手に正面切って戦うなんて真っ平ゴメンだ。

 ヘタレと笑われようが、腰抜け呼ばわりされようか構うもんか。

「ねえねえ長谷川くん‼」

「何ですか?」

 右腕の治癒をしながらオレは訊いた。

「あれって魔法よね? いったいどーやったの⁉」

「ああ、あれはですね⋯⋯」


 魔法ってヤツは大きく分けて3つある。

 呪文を唱える詠唱えいしょうと、特定の意味のある言葉を身振り手振でサインで刻むいんと、図形や小道具を配置して魔法を発動させる魔術の3つだ。

 オレは、この深層二十階に足を踏み入れた時から、幾つかの罠を用意していた。

 緊急脱出用のルートに穴を掘り、そこに水を張って枯れ草やオガクズを混ぜておいたのだ。

 いざという時は、そこに魔物を誘い込んで、一瞬で凍らせるためだ。


 オレは一度の魔法の行使で、最大マイナス150度まで一気に温度を下げる事ができる。

 ヌエがオガクズ混じりの水溜まりに足を踏み入れた瞬間に、後ろ手に隠した右手で印を刻んで、ヌエの長い毛に絡みつくように魔法を発動させたのだ。

 植物繊維の混ざった氷は溶けにくく、強度も高く、衝撃にも強い。

 その強度は、ライフルの弾丸を受け止める程だと言われてる。

 魔物の力でも、そう簡単に壊すことは出来ない筈だ。

 この高温多湿のダンジョンで、いつまで氷が保つかは不明だが、少なくとも脱出するまでの時間稼ぎにはなってくれるだろう。


 って、なに悠長に説明してんだよオレ。

 あ~、もう、この女といると本当に調子が狂う。

「それにしても凄いわね長谷川くん。あたしって痩せて見えるけど○十キロあるのよ。そのあたしを抱えて、このスピードで、こんな坂道を駆け上がるなんて、普通できないわよ」

「ああ、それはですね──」

 説明してる場合か‼

 って、○十キロあるのか。

 スレンダーに見えて結構なウェイト。

 肩に感じる膨らみから、なんとなく想像はつくけど。

 って、なに考えてるオレ‼

 あ~、もう、ほんとに、もう、この女は‼


「ねえ長谷川くん」

「⋯⋯」

「ねえ‼ 長谷川くんってば‼」

 オレは沈黙を守った。

 これ以上ミサキさんと話してると、ここがダンジョンって事を忘れそうななる。

 少なくとも安全圏。

 最低でも中層十階ぐらいまで登ってからじゃないと、ゆっくり相手をする状況じゃない。

「長谷川くんってば‼」

「なんです」

「あれってヌエじゃない?」




 なにっ⁉




 オレはミサキさんのお尻越しに、それを見た。




 ♠


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る