彼女は、ある朝突然に

 ♠



「それじゃ確認しますけど綾瀬あやせ心咲みさきさん」

「ミサキでいいわよ、ミサキで。長谷川はせがわくんだっけ?」

「長谷川数馬です」

 ズルズル音を立てながらカップ麺をすすってるミサキさんが、ニッコリ微笑みながら言った。



 彼女の名前は、綾瀬心咲。



 某有名製薬会社に勤めるOLさんで、年齢は2X歳。

 オレよりチョッピリ年上だ。

「朝のミーティングで、新商品のエナジードリンクのモニターを募る役目に抜擢された、と」

「抜擢じゃないわよ。押し付けられたのよ、あのハゲ部長に」

「で、ダンジョンに来た、と」

「そうよ」

「なんで⁉」

「冒険者用に開発されたエナジードリンクだからに決まってるじゃない」

 決まってない、決まってない、その辺の事情は聞いてない。

「冒険者用に開発されたエナジードリンクのモニターですか?」

「そう言ってるじゃない」

「え~っと、綾瀬さんの勤める会社は──」

「ミサキ」

 スープまで全部飲み干したミサキさんが、じっとりとした視線でオレを見た。

「ミサキさんの勤める会社はOXLEYオクスリー製薬ですよね。スポンサー契約をしる探索者エクスプローラーチームがありませんでしたか?」


 ダンジョン探検は金になる。

 探掘者みたいにに、財宝を収集するだけではない。

 ダンジョン探索そのものが、ひとつの娯楽として定着してる上に、その中継映像が世界中で高値で取り引きされてるのだ。

 テレビは勿論、ネットでも、配信でも、有料放送でも観られている。

 世界最大のシェアを誇るWDE((Worldワールド Dungeonダンジョン Entertainmentエンターテイメント)なんて、全世界に20億人もの視聴者を抱えてる一大産業だ。


 超一流の冒険者ともなれば、年に何億円もの大金を稼ぎ出してる。

 当然OXLEY製薬も専属契約を結んだ冒険者チームがあった筈だ。

「まだ試作段階なのよ、これ。中途半端なモノは、ウチのギルドのメンバーには渡せないからって部長が⋯⋯」

 ギルドって⋯⋯、協会の事なんだけどな。

 なんか勘違いしてんな、その部長さん。

「それで一般モニターをつのりに、ダンジョンに来たわけですか」

「そう、そうなの長谷川くん。察しがいい」

「でも、今日、人いなかったでしょう」

 キョトンとしたミサキさんが、

「なんで分かるの?」

 と、不思議そうに眼を丸くした。


 ダンジョンが人でごった返すのは、基本的に週末だ。

 仕事帰りのサラリーマンや、学校帰りの学生が大挙してやって来るのが、金、土、日の3日間で。

 日帰りダンジョンなんて言葉もあって、ピクニック気分でやって来るヤツや。

 それなりに装備を固めて、金曜日の夜から日曜日の昼過ぎまでダンジョンで過ごす本格派まで、スタンスはそれぞれだが、それなりにダンジョンライフを楽しんでる。

 平日のダンジョンに通うのは、プロの冒険者か、プロを目指してる駆け出しか、ダンジョンの魅力に取り憑かれて、色々とこじらせたヤツくらいだ。


「それで人を探してダンジョンの一層目をウロウロしてたら。スッゴく大きな犬に追いかけられたのよ」


 犬?


「それって」

「色が黒くて」

「うん」

「頭が3つもあって」

「うん、うん」

「牛みたいに大きな身体してて⋯⋯」

「ポチだな」



「ポチ⁉」



「ここの管理人が飼ってるケルベロスの子犬だよ、それ」

「子犬? こ~んなに大きいのよ」

 そう言って立ち上がったミサキさんが、身振り手振りでポチがいかに大きくて、凶暴で、執拗に自分を追いかけたかを語った。



 なんだろこの人、スッゲエ面白い。



 腹を抱えて笑ってるオレをミサキさんがジト眼で睨んで来た。

「ごめんよ、でも、ポチに悪気はないんだ」

 ミサキさんに構って欲しくて、その背中を追い掛け回したポチの姿が思い浮かんだ。

「だって口は、こんな大きいし牙だってズラッと並んでるのよ」

「そりゃ犬だもん」

「首は3つも生えてるし」

「ケルベロスだし」

「身体だって、こんなに大きいのよ」

「まだ大きくなるよ」

「あれより?」

「あれより」

 ちょっぴりゾッとした表情を浮かべてミサキさんが訊いた。


「そんな生き物が本当にいるの?」


「生き物っていうか、魔物だね」

「魔物?」

「そう魔物」


 ダンジョンに棲む生物をさす言葉して、魔物という言葉は、古くからニッポンで使われている。

 最古のモノだと平安時代の文献ぶんけんに残ってるとか。

 海外じゃモンスターとか、クリーチャーとか、ヴェッセンとか、やはり怪物を思わせるニュアンスの呼び方のモノが多い。

 それだけ危険なモノが多いからだ。

 最近じゃ、ダンジョンに元から住んでる生き物という意味で。

 Dungeonダンジョン Nativeネイティブの頭文字を取ってDNなんて呼び方をしてるヤツもいる。

 ま、あまり浸透してるとは言えないが。

 ひと口に魔物と言っても、その数は膨大で、種類は千差万別。

 ポチのように哺乳類タイプのモノもいれば、鳥や昆虫を思わせる姿のヤツもいる。

 細分化するとキリがないので、一括して魔物と呼ぶのが一般的だった。


「本当にいるのね」

「ミサキさん、ダンジョンに入るのは初めて?」

「いいえ。高校時代に、親友のやっちゃんに連れられて何度か」

「その時は魔物に遭遇しなかったの⁉」

「してないわ。してたら、あんなにビックリしないわよ」

「そっか、それでココに来たルートは、どこを通って?」

「知らないわ」

「分からない?」

「そうよ。あの大きな犬──」

「ポチね」

「そのポチに追いつめられて、壁に背中を押しつけたと思った、ここにいたんだから」

「壁に⋯⋯、背中を⁉」


 第一層のどこかにポータルがあるのか⁉

 しかも、一層から二十層まで直通で来れるような危険なヤツが。

「ところでミサキさん。頭痛とか、吐き気はない?」

 カップ麺を食い終えたミサキさんが、お茶請けに出したチョコレートをムシャムシャと食いながら首を横に振った。



 凄いな。



 魔素が50°Ozを超える空間で、マスク無しで過ごせるなんて、並みの順応性じゃない。

「ねえ長谷川くん」

「はい」

「あのポチが魔物ってことは、この子も魔物なのかしら?」

 と、ミサキさんの足元から現れたソレを見て、オレの顎がカクンと音を立てて落ちた。



 ♠



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