37.愛してる。ただまっすぐに。 ***

 フェイバルとエンティスは、ギルド・グリモンの魔導師たちとの戦闘を強いられた。訳が分からずとも、二人はそれに抗うほかない。多勢に時間を奪われる中、警察組織であるグリモン駐在騎士団が戦地へ駆けつけたのは数分後のことだった。

 駐在騎士団を纏める男はフェイバルに状況を尋ねた。

 「魔導師の者……いやあなたは恒帝殿か! これは一体何事でしょうか!?」

 「見ての通りだ! 理由なんて分からねーよ!」

エンティスが口を挟む。熱くなってしまったフェイバルと騎士の男を仲裁した。

 「あんたが駐在騎士のかしらだな。俺らは別の仲間の応援に向かいたい。ここはあんたら任せていいか?」

 「ええ、もちろんです。グリモンの治安は我らの仕事ゆえ」

男はエンティスの言葉を承諾すると懐から魔法銃を抜いた。続けて周囲の騎士たちへ指示を飛ばす。 

 「総員に告ぐ! 直ちにギルド魔導師を制圧せよ!!」

 騎士たちは誰一人足をすくませず、真っ向からギルド魔導師へと立ち向かう。すぐに刃の打ち合う硬い音が響いた。

 グリモンの魔導師たちは一斉に騎士を敵と認識し、状況は一変する。敵からの注意が逸れたフェイバルとエンティスは、魔導師らの合間を縫うようにしてその戦場を突破した。




 「……さあ、仕切り直しですね」

 パルケードは手作りの義足をぶらぶらと動かしながら呟く。脚の処置を終え、またサーベルを拾い上げた。伸長した刃の先端を元の形状へと戻し、それを構え直す。

 「早く終わらせねば。騎士が来てしまいます」

 パルケードは再びクアナへ接近を試みた。その力強い踏み込むは、もはや老人のものとは考えがたい。

 クアナは治癒魔法を中断した。すぐに右手を前方の地面へと向け魔法陣を展開する。彼女にはもう次の策があった。

 (氷魔法・独壇場フィールド……!)

 地面は一瞬にして覆ったのは、揺らぎひとつ無い凪のごとき氷床。近接戦を回避するための手法だった。

 しかしパルケードは止まらない。男は多少速度を落としながらも、その氷の床をもろもとせずクアナへの接近を継続する。老人でありながら末恐ろしい身体能力に彼女は武者震いした。

 「なら……!」

クアナは空いている左手で魔法陣を展開する。

 「氷魔法・スピア!」

 パルケードへ相対あいたいするように、氷床から三本の氷の槍が突き出された。それは目にも留まらぬ速さで身を伸ばし、男を貫かんとする。

 摩擦の小さな氷の足場では、たとえどんな身体能力を持とうとも急停止することはできない。それは氷魔法を理解した彼女だからこそ成せる連続技であった。

 パルケードは咄嗟に再造形リメイクで義足の接地面にスパイクを造り出した。そこへ全体重をかけ、どうにか摩擦を殺そうとする。

 それでもやはり男の体は滑り続けた。迫り来る氷の槍を目前にしたとき、もう防御魔法陣も間に合わない。男の回避経路は空の一択へ絞られた。しかしそれは、クアナの想定に足る安直な道だ。

 クアナは左の手首を小さく振り上げる。氷の槍はそれに呼応して、まるで蛇の如くその身を大きくねじ曲げた。槍の先端が向いたのは、空中を漂うパルケード。三本の槍は、為す術無い老人の肉体を貫いた。

 「……」

 腹を串刺しにされたパルケードは、ただ静かに槍を赤く染めてゆく。ぐったりとした様子にクアナは少し安堵すると、自身の肩の傷を癒やすために再び治癒魔法を行使した。




 ――その時だった。




 雨が無機質に音を奏でる中、それを掻き乱すかのように鳴り響いたのはたった一発の銃声。

 「……え」

 背中から胸の一筋にかけて感じる確かな灼熱感。治癒していた肩から、その下へゆっくりと視線を移す。赤く染まった胸元が、そこにあった。そしてその赤色は、またじわりじわりと広がっていく。

 クアナは立っていられず地面へと倒れ込んだ。視界が遠のき、意識が薄れてゆく。

 「……使徒を一人持ってきたのは……正解でした」

 それはパルケードの声だった。まだかすかに息があったらしい。

 「……確かあなたはフィーナさん……とか言いましたっけ」

 聞き慣れぬ名。クアナはようやくここで、目に包帯をした少女・レイシュとはまた別の敵がそば潜んでいたことを知った。




 人間の脳とは不思議なもので、こんな状況でも自然と楽しい思い出が呼び出される。そしてそこにいつでも写るのはフェイバルの姿。ギルドで初めて出会ったあの日も、パーティを立ち上げたあの日のことも。

 「――煌めきの理想郷ステトピアなんてどう? フェイバルの魔法って熱くて眩しいじゃん! だから恒星を意味するステラを入れる! それでみんなが仲良く楽しく居られるように、理想郷を意味するユートピアを入れたの!」




 共に苦楽を分かち合う中、彼女はフェイバルに惹かれていった。鈍感な男には、どれだけ苦労させられただろうか。ベンチに腰掛けて夜月を眺めながら、ふとロベリアに相談したことすらあった。

 「――私ってさぁ、フェイバルから子供に見られてるのかなぁ?」

クアナは横に並ぶロベリアのほうに倒れ込み、彼女の膝へ頬を置いた。ロベリアは微笑みながらも、それを優しくなだめてやる。

 「なーに、フェイバルだってきっと気づいてるわよ。ただ恥ずかしがってるだけ」

 「……ホントに?」

 「なにせ彼はずっーと苦労してきたもんだから、イマイチ分かってないのよ。その……いわゆる"恋"ってものが」

クアナはロベリアを見上げる。ロベリアもそこへ視線を落とした。

 「"恋"……ねぇ。ならさ、ロベリアは知ってるの? その、"恋"ってものを」

 「そ、そ、それは今関係ないでしょ――」

 「えぇ? だって今の答えさ、完全に恋多き大人の女性のそれだったじゃん」

 「そ、それは、その、えっと……」

 



 クアナはたった一度だけ、一歩を踏み出した。珍しく二人きりで任務を終えた帰路。車に揺られながら眠るフェイバルの頬に、そっと唇で触れてみる。

 「……悪かった。いくら俺でも、気づいてた」

フェイバルは突如口を開いた。

 「……!」

 乙女の顔は思わず赤らむ。急に返されては何だか調子が狂った。確かにそれを望んでいたはずだったのに、彼女は黙り込む。

 結局、男からそれ以上の言葉は無かった。それが本意なのか、ただの寝言なのか。彼女は尋ねられなかった。




 クアナは己の死を確信した。薄れゆく意識のなか、振り絞るように声に出す。寒気というものを初めて体感した。徐々に呼吸の仕方が分からなくなってゆく。ただそんな中でも、これだけは口にしておかないと後悔する気がした。

 「みんな……フェイバル……大好き……だよ……」

そして彼女は、雨と涙に濡れた瞳を閉じる。魔導書の入った紙袋は、降り止まぬ雫に浸されて滲んだ。




 フェイバルとエンティスが一面が凍り付く激戦の跡地へと到着したのは、それから僅かのことだった。二人の視線は、どんなに拒もうとも血に濡れて横たわる仲間の姿へと吸い込まれる。瞬時には状況を理解できなかった。したくなかったのかもしれない。それでも二人は、すぐそこへ駆け寄らなければならなかった。

 エンティスはクアナを仰向けにして、膝で彼女の頭を支える。無事を確認しようとしたが、胸に空けられた風穴を見ればそんな必要が無いことは明らかだった。

 「くそ……どうして……!!」

 エンティスは声を押し殺す。魔導師として生きる以上、その突然の悲劇が誰に起ころうとも、覚悟はしているつもりだった。それでも、あまりに突然すぎた。混沌とした感情に支配され、どうして自分が泣いているのかも分からない。

 そのときふと横にあったはずの人影が消えた。顔を上げたエンティスは、ふらふらと歩み出すフェイバルに声をかける。心を許した仲間の頼れる背中は見慣ているはずだったが、それはどこか弱々しくて頼りなく、それでもなぜか畏怖してしまうほどの黒い何かを感じた。

 「おい……フェイバル……?」

エンティスの感じた何かは、何一つと間違っていなかった。少しだけ顔を見せた男から窺えたのは、これ以上染め上げようもないほどの無彩色な怨嗟。

 フェイバルはもはや事切れる寸前のパルケードへ近づいた。死に瀕する老人は何か悟ったかのように、そして少しの微笑みをもって声を絞った。

 「革命の塔よ……天を穿ち……世を導け……」

 フェイバルがパルケードの直前で立ち止まる。そのときエンティスには、一瞬時間が止まったように見えた。

 「……す……ろしてやる……殺す!」

 フェイバルは魔法陣を展開する。それは人間の形を成していながらも、もはや理性なき魔獣にすら見えた。

 「――殺す!! 殺してやる!!! 塵も残さず殺してやる!!!!!」

 フェイバルは腕に熱魔法・装甲アーマーを行使する。そこからはただ、取憑かれたように拳を打った。拳にぶつかった雨が蒸発する音は肉の弾ける音が掻き消す。もはや魔法も制御出来ていないのか、距離のあるエンティスでさえもそのただならぬ熱気に晒された。

 激しい攻撃は周囲の氷を容易く溶かしてゆく。氷に支配された極冠の如き世界は、慈悲無き恒星の衝突で雨模様へと回帰する。

 氷の槍から体が外れたパルケードはもはや肉塊となって、反対側の建物へ吹き飛ばされた。フェイバルはすかさずその方向へ飛び出すと、いまだ執拗に高熱の殴打を繰り出す。強化魔法を纏っていなくとも、その殴打は建物に亀裂を差し込んだ。

 その攻撃は止んだのは彼の感情が静まったときではなく、もはや感情をぶつける為の対象が焼け失せたときだった。フェイバルはクアナの元へゆっくりと歩み寄る。悍ましいほどの返り血を浴びた彼の顔には、もっと暗い何かがついて離れない。熱の装甲を纏いながらも酷く損傷した彼の拳が、抱く感情全てを物語った。

 慈悲無き恒星は、また地に堕ちた。エンティスとクアナへ見下ろされていたフェイバル視線は、誘われるように別の場所へと動き出す。理性を失った男が目にしたのはクアナのさらに後方、暗い路地の奥。虚ろな目をした白髪の少女だった。

 少女は手放した銃のすぐそばで、尻餅をついて座り込む。白髪に血が滲んでいるのは、クアナを狙撃したときの反動で銃身が頭へ激突したからだろう。

 フェイバルはそれがかたきであることを理解した。迷うことなく走り込み距離を詰める。しかしエンティスは、その少女が先程の魔導師たちと同じ瞳を浮かべていることに気がついた。

 フェイバルは赫々と猛る拳を振りかざす。その拳がもうあと一瞬で少女の頭を吹き飛ばす寸前、エンティスはフェイバルを羽交い締めにして制止した。熱を帯びた男の体に触れるのはもはや自殺行為であることを理解しながらも、それを気にするいとまなど無い。

 「フェイバル! あの子も操らてる! あの子も被害者だ!!」

そのときフェイバルは、ようやく暴走を終えた。少なくともエンティスにはそう見えた。

 そして少女は、その垣間見た死にというものへ畏怖する。制御の効かないはずの虚ろな瞳から、一滴の涙が滴る。幼き少女にとっては、あまりに悍ましき記憶が焼きついた。






【玲奈のメモ帳】

No.36 パルケード=コミュレイト

執事のような黒服を纏う灰色の髪の老人。当時七三歳。かつてはギルド魔導師であったが、年を重ねた末に引退した。その後は魔導書作家として名を知られることとなる。一方では反政府組織『革命の塔』に籍を置き活動。洗脳魔法の使い手であるレイシュとを連れグリモンへとやってきた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る